fairyfiery

<10> 決死の救出活動


 

「こっち側の区画はほぼ無傷のようだ、な……」
「一体、どんなふうに火が回ってるんだ? 理解しがたい挙動だが」
「オレが聞きたいくらいだ。本部から無線も入らんし――。雑音しか聞こえない」
「例の妖精のせいか?」
「かもしれないし、そうでないかもしれない」歯切れ悪くレイトグリフは言う。「上まで行かなきゃならないのは、どちらにしても変わらないサ」ニヤリと笑みを浮かべた。
「まあな」リーブスは応じた。
 そのまま、歩みを進める。目に見えるのは、やはり煤けた天井だけ。だけれど、炎へは確実に迫っていた。消防服を着ていても判る。徐々に上がる気温と、鼻を突く異臭がそれを告げている。
(ウィルのやつは、上手くやってるのか)
「レイ〜。上の空だ」
「ああ、上の方だ。ミシミシいってる。ボチボチ、落ちてくるかもナ」
「ぁあ?」頓狂な声が出たものの火事場でレイトグリフの言うことは九割方外れない。でも、信頼していても、つい悪戯心が頭をもたげてきて疑いたくなる。
「……」その場での数十秒の沈黙。
「嵐の予感だ」
「じゃ、この奇妙な淋しさは嵐の前の静けさかい?」減らず口をたたく。
「そ、言うことだ。来るぞ、リーブス。走れ!」
 と、次の瞬間には崩壊が始まっていた。走り去ろうとするレイトグリフたちの後を追い掛けて天井がなだれ落ちる。水道管、エアダクトが大音響とともに降り注ぎ、ボロボロのコンクリート片が雹よろしく落下する。背後は既に火の海。さほど広くもない廊下を二人を目がけ、猛ダッシュで差し迫る。
「防火シャッターの向こう側だ!」レイトグリフの指すほうに階段の防火シャッターが見える。
「保障は?」
「あ?」聞こえているのに問い返す。
「保障だよ! シャッターの裏がここよりちょったぁましなのかって聞いてるんだよ」
 レイトグリフからの返事を聞く前に、二人は狭苦しい扉から転がり込んだ。
「ちったぁ、ましになったんじゃあないのか?」一瞬、瞳の煌めきが宿る悪戯っ子の笑みが漏れる。
「結果論だよなぁ。いっつも! よくこれで生きてるって、思うよ、毎回」
「運がいいんだよ」リーブスの眼を見てニヤリとする。
「はぁ? まあ、そうなんだろうな」
「行くゼ!」
「行くサ!」
 立ち止まった行動を再開する。今来たところの天井が落ちてしまっては、飛び込んだこの階段を上に上っていくしかない。そして、近付くにつれて嫌な予感が増大していく。
「結構、あれだ。――下の様子から類推したのより状況は悪いな」
「ああ、火の回りは木造モルタル民家並みだな。難燃とか不燃のパネル、布は使ってないのか?」
「さあねぇ。だが……、スプリンクラーは動作しない、空調は切れないとこをみると、消防法、建築基準法には違反してそうだゾ」
「どっちでもいいけどね」
 リーブスは辿り着いた二階のシャッターをそっと開けてみた。カラカラの熱気と行き場を求める貪欲な火炎が窮屈な出入口から吹き出してきた。リーブスはすかさず扉を閉める。確認を怠って迂闊にも扉を開けたことに悔いを感じた。顔は汗びっしょり、背中も冷汗でちょっと湿気った。
「やばいなぁ……。リーブス」それを見て、レイトグリフがぼやいた。
「何だ?」
「も、少し、ましだと踏んだんだが……」明らかな迷いが見て取れる。
「ウィリアムを一人で行かせたことか?」
「いや、フィントも一緒だ。一応、二人だな」
「? ちょっと待てフィントだって? あの珈琲好きの娘か? 『停車場』の常連でベルさまの珈琲をおいしく飲む一風変わった女の子のことか?」
「そう言うことになるな」落ち着いて問いに答える。
「ウソだろ?」声が裏返って、少しおかしな調子だった。
「……オレも昔、同じことを言ったよ。いや、そのことはどうでもいい。ここから帰ったら、直接本人に聞いてくれ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
 気が付けば、話が火事と救出から放れたことになっていた。少し気まずくなったのかレイトグリフは大きな咳払いをひとつして話を自分の言いたかった本題に引き戻した。
「オレはウィリアムを捕まえる。お前はそのまま上に行け! 本館との渡り廊下があるから……」
「判った、レイ。ベルさまとオフクロさんは確保する。ボチボチ、第二班も上るし、どうにかなる」
 レイトグリフの思ったよりも遥かにすんなりとリーブスは納得してくれた。ホンの僅かに不満もあるようだが、ウィリアムが咬んでるとなると無下に断るわけにもいかない。
「すまない。だが、局長には内緒だゾ」
「懲戒免職か? 始末書で済めばもっけの幸いだぞ。さっきのといまのと合わせたら」
「職とウィルとどっちが大事だってか? 逃げ遅れた人を全員助けてもナ、ウィルが死んだら台なしだ。……それに逃げ場なんてなくしたヨ。貸してやったんだからナ」
「ま、そうだろうな。――ホラ、行けよ。オレは今更、止めないゼ」
「恩に着るよ」チャッと左手を上げてお礼をすると、レイトグリフはリーブスに背を向けて、ウィリアムのいるだろう場所に向けて走り出した。何をどう考えても、ウィリアムが一人で目的を果たせるとは思えなくなっていたから。
「……ついでに言っときゃ、お前がしくじりゃ、オレも一緒に首って事だよなぁ」
 炎の向こうに無理やり消えていった同僚の姿を思い浮かべて、リーブスはぽつんと呟いた。
「転職……本気で考えるか――」

「くそ! こんなんじゃ、埒が明かない」ウィリアムは悪態をついた。
 自分の考えの甘さが呪われる。一人でも助けに行けると僅かでも思ったのがバカのように思えた。二階に上がったときから、そこは黒煙の中。圧縮空気のボンベひとつと、一人じゃとてもベルクールたちのところまで行けないのが素人目にも判る。
 防火扉の向こうに炎が迫り、色々なものを焼き尽くす恐怖が聞こえる。そして、異様に熱い。
「もっと素直にならなきゃ損をするよ。尤も、素直すぎて損することもあるけどネ。……でも、レイは――そんなことない。ずっと、ウィルのことを心配してたヨ」
「……素直になれないのは、オ、お互い様なんだよ」何となくぎこちない。
「お互い様か……。どこかで聞いたな、そのセリフ。ずぅっと昔に……」
 フィントは切なく淋しげな表情を浮かべてウィリアムのヘルメットの上にふわっと舞い降りた。
「どうかしたのか? フィント。どんなときも元気で能天気なのがとりえそうなのにナ」
「うるさいナ。わたしだって考えることくらいあるの!」
 ウィリアムの頭をポカッと叩いて、ぷ〜っと憤慨した。
「でも、ホラ、急がないと。まだ、ここ二階だよ? ベルたちは四階だよ」
「判ってるよ。これからそこに行くんだ」
 ただじっとしているだけでも汗が噴きだしてくる。こんなところでレイトグリフが日々働いているのかと思うとゾッとする。大変だ。けれど、一度だってレイトグリフから愚痴の零れるのを聞いたことはなかった。自分にはとても無理なような気がしてくる。
「あ……!」と急に、フィントが素っ頓狂な声を上げた。
「あ?」訝しげな顔をして、ついおうむ返し。
「お〜〜」
「お〜? 何、百面相なんてしているんだ?」
「ブレーズが来てる!」ウィリアムの言葉なんてまるで無視。どこか遠くを見て一人で喋っている。
「はぁ?」全然、訳が判らない。
「ごめん、ウィル兄。わたし先に行く。嫌な感じがしたの」瞳が少し煌めいて見える。
 ウィリアムはあまりに唐突なフィントの言動に対処に困った。そして、口を付いたのはホンの冗談のつもりの軽い言葉。気まずい沈黙は嫌だったから、場繋ぎに放った深い意味のないはずの軽口。
「ブレーズねぇ。“炎”か……。案外、そいつが立役者なのかもナ」
「そうだよ」フィントの思い掛けない真面目な視線に、ウィリアムの心臓が飛び上がった。
「あいつは、ガンフォード一家を消そうとしてる……」
「何故?」
「妖精たちと関わりを持ちすぎたこと、すぎるから……。少なくとも、ブレーズのやつはそう言ってた。でも、ホントはそんなことじゃないと思う。たったそれだけのことでここまでのことはしないし、出来ない。他にまだなんか、きっと、ある――。わたしには判んないけどネ」
「ブレーズってやつに聞けば判らないのか」
「判るかもしれないけど、絶対教えてくれない」
「だから、何故! オレとミーナをそんなに攻め立てる! オレたちが一体何をした? “声”を返してくれと頼むのはそんなに悪いことなのか!」
「ひ……。し、知らないヨォ〜。だって、そ、そんなのウィルの方が知ってると思ってた――」
 泣き出しそうに裏返った声色と、恐怖におののく視線。震える身体と潤む瞳。
「すまん……」
 しょげ返ったのはウィリアムだった。それに関しては直接関係のないはずのフィントに八つ当たりしても無意味なこと。事の解決に何の貢献もない。ウィリアムは床に膝を突いて非礼を詫びた。
「そ、そんな別に改まらなくても……。ちょっとびっくりしただけだから」
「それじゃあ、お前に悪いよ。すまない……。ひとときでも怖い思いをさせて――」
「……」
 フィントはウィリアムという男の心の優しさをひしひしと感じていた。ミーナがウィリアムに信頼を寄せている訳が判るような気がした。この男なら間違いない。そう思わせる何かがあった。
「へへへ〜。ミーナって結構、人を見る目、あるんだね」
「――?」フィントの変わり身の早さにウィリアムはついていけないで、目を白黒させた。
「ウィル兄にまかせておけば、万事うまくいくのかもね……」
 ウィリアムにはフィントの言いたいことがいまいちよく呑み込めない。
「つまり……なんだ?」
「ううん、気にしないで」フィントは手を後ろに組み、目を閉じて大きく首を横に振った。
「ベルたちが心配だからもう行くよ。でも、心配しないで。レイが来るヨ。恥ずかしがり屋のおばかさんがネ。そ、これが『お〜〜』の訳だから。レイは誰よりもウィル兄のことが大事なんだヨ」
 そして、フィントはパタパタとその場を後にした。