どたばた大冒険

←PREVIOUS NEXT→

03. for me for him(あいつのため、自分のため)

 風の双塔の数百年、いや、数千年の時を通じてもこのようなことは極稀だった。クロニアスが一人のエルフがあいまみえ、エルフがその要求をクロニアスに呑ませたのだ。より正確にはクロニアスが予定調和のために決断を下したと言うべきだろう。
 その精霊がエルフの要求に応じるという不可思議な状況を風の双子は見守っていた。
「ほら、ちょっと見てよ、エミーナ」
「……ルーンとラールが折れるなんて、珍しいこともあるものね」
「これはもう、世の中丸ごと引っ繰り返っちゃうんじゃないかしら?」
「けど、絶対に何か考えがあると思う。でなければ、あの二人が他人の意見に耳を傾けるなんてこと、ある筈ないもの」
「いいえ、考えてなんかないわよ。きっと、“予定”通りに事を運んでるだけなのよ」
「そうかしら?」二人は見合って様々な憶測を飛ばしあう。
「……。うるさいよ、そこ。外野は少し静かにしていてもらえるかな?」
 ラールは静かな声色に密やかな脅しを込めた。エミーナとルシーダもそこまで言われると流石に騒々しくあれやこれやと意見を言いあってる場合ではなくなって黙り込んだ。
「じゃあ……連れて行ってあげるよ。――けれど、キミはきっと後悔する」
「す、する訳ないっ! あたしは絶対に後悔なんてしない」
 セレスはむきになって、ラールの言葉を否定した。実のところ、それだけ不安だったのかもしれない。向こうの世界に無事に辿り着けたとして、あの頑固な彼が大人しくセレスの提案を聞いてくれるだろうか。それよりも先に、彼と無事に会えるのだろうか。
「――それは……どうかなぁ?」ラールはニヤリとした。「ねぇ、姉さん?」
 ラールはチラリと背後に佇むルーンを見やった。
「ポジティブなのは認めるけど。敢えて何もしないという選択を放棄するのもどうかと思うけど? ――時には知らない方がいいこともあるのよ……」
「ま、正論だね。しかし、目の前のお転婆さんはその正論が大嫌いのようだけど?」
 面白おかしそうに瞳を煌めかせて、ラールは再び、セレスを見やった。
「あたしは今、できる限りのことをしたいの。しないで後悔するくらいなら、やってしまって悔やんだ方がいいんだもの。だって、そうでしょう?」
「――それは知らないな。けどまあ、どっちにしてもキミは後戻りできないんだ。せいぜい頑張りなよ。やってしまったことを後悔しないようにね」
 ラールは厳しい眼差しをセレスに投げ掛けていた。

 一夜明けて、セレスはカイトの教会を後にした。昨晩は十三世紀シメオンに来て、初めてぐっすりと眠れた。エルフ狩りの魔法も、闇の狩人も気にすることなく身体を休められるなんてとても快適だった。
 けれど、タイムリミットは刻々と迫り、今日を含めて残すところはあと二日。クロニアスとの約束だった。セレスの思惑が成功しようと失敗しようと二日後には帰らなければならない。結局、クロニアスたちの言うことをきいて大人しく諦めた方がよかったのだろうか。セレスは茂みに身を隠しながらふと思った。
「時間が……欲しい……」
 セレスは人通りが途切れたことを確認すると、茂みからひょこっと姿を現した。
 耳を隠すようにバンダナをまき、注目されない限り、道行くセレスがエルフだとは気付かれまい。しかし、隠すといっても限界がある。セレスの醸す気配は結局、エルフなのだから。狩りのプロ集団、闇の狩人には通用しないだろう。
 実際、数分と歩かないうちに……。
「おいっ! エルフが一匹そっちに行ったぞ。捜せ! 捕まえて、吐かせるんだ」
「吐かされてたまるもんですかってんだいっ」
 セレスは駆け出すと、あっという間に闇の狩人を突き放し、視界の点にしてしまった。
 例え、身を滅ぼしても自分は彼に会わなければならない。既にそれは希望を越えて、義務になっていた。幾多の難関を越えて、ここまで来たのだ。何かを失うことになったとしても、所期の目的を完遂するまでは帰れない。
 けれど、絶えずセレスの中には焦燥があった。
 彼と再び出会うことは何かを失うことだと勘が告げていた。その何かが何なのか、未だにハッキリとは想像がつかないが、心の表層に登るだけで不安になってしまうほどなのだから、それだけの何かが自分の身に降りかかるだろうという予想は付いていた。
「……。イヤな……感じ……」
 胸の奥の違和感はいつまでたっても消えなかった。
 それどころか、ますます増大する。セレスは左手で胸を押さえて立ち止まった。怖い。血の気が引き指先が冷たくなるくらいに、震えが止まらなくなるくらいに。
「……どうして……」
 自分は彼を捜してはいけないのだろうか。彼を捜して、彼を見つけて、“あの時”に戻ることは許されないのだろうか。彼を見つけ出せばきっと、失われたあの時を取り戻せるのに違いないのに。
「賢いのか、ただのバカか……」
 セレスの前で、ゆらりと大きな人影が動いた。その人影は大業な鎧を身にまとっているようで、影は不気味に大きく、動けばかちゃかちゃと耳障りな金属音が響いた。
「闇の……狩人……」セレスは背中に冷や汗を感じた。
「――この二、三日、シメオンをうろついているエルフというのはお前か?」
 違うと完全否定したいところだが、恐らくこの闇の狩人の言う通りなのだろう。セレス自身がこの街を徘徊して、すれ違ったエルフなんて一人もいなかったのだから。
「……ヒト違いじゃないかしら。あたしはうろついてなんかいないし、そもそも、あたしのどこがエルフだって言うつもり?」
 強気な口調で返すものの、見る人が見たら脅えているのがハッキリと見てとれた。
「ここら辺がだ」
 闇の狩人は一歩踏み出すと、セレスのバンダナをガッと掴みもぎ取った。
「我々を前にシラを切るつもりか?」
「……シラなんて、切ってない。あたしはエルフじゃない」
 難を逃れるにはそう言い切るしかなかった。けれど、自分がエルフだということは全く隠しきれていなかった。尖った耳も、濃い青色の瞳も、何もかも。
「……やはり、ただのバカか……」
「バカって言うなっ!」涙目で反論したが、説得力はありはしなかった。
「……。ま、何でも構わないさ。ともかく、一緒に来てもらおうか?」
「イ、イヤだっ!」セレスは叫ぶ。
「――それは無理だろうね?」
 闇の狩人はスッと右手を伸ばしてセレスの後方を示した。セレスがそれにつられるように首を捻ると、セレスの正面に立った厳つい男と同様の雰囲気を醸す連中が十数人。それもセレスを取り囲むようにいるようだった。
「くっ!」セレスは背負った矢筒に手を伸ばした。
「それでは全員を殺す前に誰かがお前を切り刻む。それでもよいなら、好きにしたらいい」
 そこまで言うのなら、好きにさせてもらおうというのがセレスの性格だった。しかし、一度は手に掴んだ矢から手を放した。弓矢でこの人数を同時にやっつけられない以上は最後の手段を使う他ない。こちら側に旅立つ前に古い馴染みからくすねてきた闇護符を使うのだ。どんな種類の闇護符が自分の手元にあるのかは判らないが、少なくとも時間稼ぎくらいにはなるだろう。
 セレスはウェスとポーチから一枚の紙切れを取り出した。
 セレス自身が理解できる範囲内では、これが最も危険性が低いはずだ。まかり間違っても、死人が出るような騒ぎにはならないだろう。セレスは自身の手にある闇護符を見詰めて、ごくりと唾を飲んだ。正直、怖い。けれど、躊躇っている時間はなかった。
「……」闇護符を闇の狩人に向け、かざす。「――キャリーアウトっ!」
 闇護符が一瞬、鈍い閃きを放ち、その身を灰へと変化させつつ魔法を発動させ始めた。
 次の瞬間、パーンと激しいバースト音がしたかと思うと、何かが飛び出した。
「な、何だ、これは?」
「……。やっぱり、宴会芸だったようね……。よかった、外れじゃなくて……」
 呟きつつセレスは後退り、闇の狩人の全員が煙に巻かれたことを確認すると、踵を返して一気に距離を離すために全力疾走を試みた。しかし、数メートルも進まないうちに障害に突き当たった。あの男がセレスの目の前に立ちはだかっている。どうやら、その巨体に似合わずに俊敏、もしくは空間飛翔系の魔法が使えるらしい。宴会魔法の派手さに惑わされることもなく、的確にセレスの進むだろう位置に移動してきたのだ。
「よい考えだとは思うが、詰めが甘い。――さて、どうする? 俺とともに行くか、それとも、ここで……」男は腰に差した剣に手を伸ばした。
 戦う気になれば、戦える。けれど、この連中と戦う意義が見いだせない。逃げてもいい。けれど、幾ら逃げても逃げ切れないだろう。ならば……。
「……。判った。従えば……いんでしょ」
 もはや、セレスに選択の余地はなく、闇の狩人に従うしかなかった。何の手出しも出来ずに、連行されるなんて屈辱以外の何ものでもなかった。
「いい子だ」
 いい子でなくても構わない。彼と会えるのなら、何だって出来る。けれど、今は何かをする時ではないような気がしていた。すぐに集まってくるかもしれない闇の狩人をたった一人で相手にして勝ち目があるとも思えない。だから、セレスは万に一つの可能性に賭けた。多勢に無勢よりも、牢に投獄される直前に脱出しようと考えた。
 そして、程なく……セレスは協会のシメオン大聖堂に連行された。セレス自身が気が付かないうちにかなり近隣まで来てしまったようだ。ある意味で敵の牙城とも言うべき聖堂に近づき過ぎた。それ故、闇の狩人に発見されやすかったのだろう。
「こっちへ来い」無粋に男は言う。
 大聖堂の裏門から入り、華美なほどに装飾された礼拝堂には一切立ち寄らなかった。そのまま、うっすらと明るい通路を抜けた後は、不安に駆られて泣きたくなるような奇妙な淋しさと怨念のこもったような気味の悪い薄暗い通路を歩かされた。どこででも隙をついて逃げられると思ったのは浅はかだっただろうか。市内を歩かされた時も、大聖堂に連れ込まれてからも、逃げ出せるような隙も何もない。
 と、男は歩みを止めた。
「……入れ」ドスの利いた低い声にセレスはピクリと身を震わせた。
 ギィィィィイ。厳めしい音を立ててドアが開いた。
 そして、そこには思いの外に哀しい現実があった。入りたくない。一瞬にしてそう思わせるだけの怨念が渦巻いている。ドアの内側から、あらゆる想念がセレスを引きずり込もうとする感覚に捕らわれ、何としてもそれを拒絶し、遠のけたい衝動に駆られる。
「いや……。やめて。あたしは、いやぁ、こんなところで……」
 この気味の悪い牢獄へ投げ込もうとするのを両足を踏ん張ってセレスはこらえた。
「大人しくしろ、この、エルフ女め! お前はここで死ぬんだよ」
 吐き捨てるような声色。幾らセレスでも、筋骨隆々な男の腕力には敵わない。ズルズルと引きずられてセレスは牢獄に押し込められた。暗く、陽の光も全く入らない場所。湿気った壁や床。一応、寝床として用意されているらしいボロボロの毛布。
「いやぁ、出してっ! 出してっ!」叫んでももはや、応えはない。
 一分、一秒でも早くこの陰気な場所から逃げ出したい。
 けれども、セレスには脱出をする術が無かった。空間飛翔系の魔法が使えるのでもなく、そもそも魔法なんて不得意の代名詞みたいなものだったし、この場から抜け出せるような妙案も全く浮かびはしなかった。
「……うぅ……」
 いつもは強気なセレスでも流石に弱気になってしまう。
 それから、どれだけの時間が流れただろうか。セレスは自分でも気が付かないうちに眠りに落ちていたようだ。ドアの前には水の入った容器と何やら怪しげな食べ物のようなものがのった皿が一枚無造作に置かれていた。捕まった時刻を考えて、夕食なのだろうが、窓もない牢屋ではおおよその時間も見当もつかない。
「どうやって、ここから抜け出そう……」
 答えも得られぬままにセレスはただ壁際にうずくまっていた。ただ、暗闇の中、刻々と時間だけが過ぎていく。ホンの少しも時間を無駄には出来ないはずなのに。今こうして、無為に過ぎていく時間に耐えなければならない。こんな陰気臭く、フッと気を緩めれば、魑魅魍魎どもに何もかもを貪り尽くされてしまいそうな場所で。
「……。あたしは……ここにいる。あいつを捜してここにいる……。なのにどうして、あたしはここにいるの……? トリリアンと関係ないし、協会の邪魔なんてしてないのに」
 黙ったて座り込んでいると鬱々とよくない考えがポンと浮かんでは消え、浮かんでは消えをする。このままここで朽ち果ててしまうのだろうか。それとも、どこかに連れ出されてそのまま帰ってこられないのかもしれない。
 カシャン……。何かが落ちるような乾いた音がした。
 キィィィィ。金属がこすれる耳障りの音が牢に響いた。何の用事もなくドアが開けられるはずもない。だとしたら、あまりよくない予感がセレスの脳裏をよぎった。大体、こういう時の相場は決まっている。ロクでもないことが待っているに違いないのだ。
「……、誰……?」
 逆光になってよく見えないシルエットに向かってセレスは問い掛けた。尋ねたところで応えは返ってこないだろうし、たいして期待もしていなかった。実際のところ、名乗られたところでセレス自身にはどうにも出来はしない。
「――さあ、誰だろうな」
 素っ気なく吐き出された第一声はセレスには懐かしく、聞き覚えのある声だった。ここしばらく聞いていない、“あいつ”と同じくらい大切なヒトの声の響き。
「……まさか、父さん……?」セレスは目を見開いてその影を見詰めた。
「そのまさかだ。――へまをやったな、セレス」
「どうして、あたしがここにいるって判ったの?」

3

 にわかには信じられない。確かにセレスの父・アルタがこの時代にいたことはセレスも知っている。けれど、アルタは母・バッシュの命運を救いに来たはずでここにセレスが閉じこめられていることを知るはずはないのだ。
「……自明だろ?」セレスの予想に反しアルタは言う。
「――闇の狩人」恐る恐る声に出してみた。
「――ご明察。エルフの俺がこの街に紛れ込むのにはここにいるのが一番だ。味方の中にある種敵……、狩りの対象が紛れているとはなかなか思い至らないものだからな」
 それはそうなのだろうとセレスは思ったが、どこか釈然としないところがあった。
「――」にわかにアルタの表情が険しくなった。「お前は何故、ここに来た?」
 まさか、まさかアルタに会うとも考えていなかったから、そんな気の利いた答えなど用意しているはずもなかった。純粋に答えるのなら、“彼”に会いに来た。しかし、アルタが問うのはこれ以外の答えを予期してのことだろう。
「……、あたしは父さんとは違う……」
「そうか。――では、お前は……あのフェンリルを捜しに来たのか……」
 図星だった。セレスはぐうの音も出せずに俯いた。結局、血筋なのだろうか。それぞれにそれぞれが思う者を追い求めて、精霊の忠告にも従わずに自分たちの我を通そうとする。叶わないかもしれないある種の“夢”を追うのがアルタとセレスの一族なのだろうか。
「――どうして、判ったの? だって、父さんはあいつのことは知らない……」
「知ってるさ。お前が抱き枕にしてしまいそうなほどに白い毛並みがふさふさで、気持ち良さそうだものなぁ」アルタはわざとらしく言うと、チラリとセレスを見やった。
 すると、セレスはどこか不満そうな、納得できなさそうな渋い表情を見せた。
「お前は気が付いていないだろうが、……ずっと見ていた」アルタはニコリとする。「リテールで一番難しいと言われる協会魔法学園に受かった時は鼻が高かったぞ。……まぁ、正直なところを言えば、少々、複雑な思いをしたものだけどね」
「……ひどいよ……」セレスは俯いたまま、消え入りそうな小さな声で呟いた。
「ん……?」アルタはキョトとした表情でセレスを見詰めた。
「ひどいよ。ひどいよっ! ずっと見ていたなら、どうして姿を見せてくれなかったの。あたしは……、あたしはお父さんが帰ってきてくれるのをずっと待ってたんだから」
 それにはアルタも思いが至らなかった。
「そうか……、そうだな……。俺もお前のことをもっと考える時なのかもな……」
 アルタは優しくセレスを抱き留め、そっと柔らかに髪をなでた。
「ともかく、今はお前の大切なフェンリルくんを見つけ出せ。もうあまり時間がないだろう? 恐らく、あと、一日もない。急げよ、セレス。お前なら知っているだろ。この時代がどれだけ不安定な土台の上に成り立っているかも」
 そうだった。どうしてこの一週間なのかは判らないが、クロニアスに無理やり頼み込んで危険なこの時代に降り立ったのだ。彼を見つけ、彼と話し、彼とともに帰るために。その実現のためにはここで感傷にどっぷりと浸っている場合ではない。
「父さん、あたしは一六〇〇年で待ってる。だから、全部が終わったら必ず来て。今まで、話せなかったことを一緒に話そうよ」
 セレスはアルタの腕の中からそっと彼を見上げた。
「そうだな――。全部、終わったらお前の待ってる時代に帰るよ」
 それから、二人は大聖堂の地下牢を体よく抜け出した。連れられてきた時は屈強な闇の狩人に付き添われていたが、今度は誰もいない。いや、アルタ自身が闇の狩人として紛れ込んでセレスを連れていたから、形式上は特に問題は起きなかったのだろう。
「次は捕まるなよ」
「判ってる。今度は間抜けなことにはならないよ」
 セレスはアルタと別れ、自分の目的を果たすために歩き出した。

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改