12の精霊核

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08. a long long time ago(むかしむかし)

(レルシアさまはシェイラル司祭と玲於那の娘……。ジングリッドさまはレルシアさまが召喚して――。一体、何がどうなっているんだ? どこが始まりだ?)
 久須那がサムと出会ってまだ四日目。それまでの間、ほとんど変わらない日常を過ごしてきた久須那にとって、この四日間で起きたことはあまりに目まぐるしかった。そして、自分が心の拠り所にして信じていた協会がどれほど頼りないものだったのかも知ってしまった。
「久須那ぁ。まだ、起きてるのか? まだ、起きてるんだろう?」
 ダンダンと、雑に扉を叩く音が聞こえてきた。
「サム。酔っぱらっているな?」久須那はベッドを軋ませて立ち上がると戸口へ向かう。
「久し振りに、親父に会ったんだ。酔っぱらっちゃ悪いかぁ〜」
 夜の夜中にさっきまでサムとシェイラルは食堂で呑んでいたらしい。今までにないくらい上機嫌だけど、それはサムの抱えた不安の裏返しのようで久須那の瞳には切なく映った。
「誰も悪いなんて言っていない」扉を開けた。
「やっほ、久須那ちゃん。今宵もびっじ〜ん! 可愛いよ」掌をひらひらさせてやけに晴れやか。
「ありがとっ! でも、酔っ払いは嫌いなんだ」
「コラ、イクシオン。深夜を回っているのですよ。いいかげんに……」
 背後からはサムをたしなめるシェイラルの声が届いた。
「あい、寝ま〜す!」可愛らしい返事をすると、ふらふらと寝室にとあてがわれた隣の部屋へと歩いていく。普段は見せない何だか頼りない姿は、久須那にサムの新しい印象を植え付けた。
「全く、いい年して子供みたいに……」ホトホト呆れ果てたと言わんばかりにため息も混じる。
「フフ……、それがサムの強さなんだろ。司祭さま」
「そうなのでしょうか?」意外そうに驚いて見せた。
「ち、違うのか? じゃあ、サムの素の姿は一体……?」
「……あなた方が出会ってから何があったのかは知りません。けれどね、久須那の見てきたイクシオンの姿。少なくともそれはあなたの知りたい彼の一面 ではあるはずです」
「でも……」久須那は押し黙った。
 でも、それは本当のサムじゃない。おちゃらけた人のような演技をして真実の自分を誰にも見せないようにしているように久須那には見えていた。そんな淋しげに移ろう久須那の表情を感じてシェイラルは口を開いた。
「……イクシオンの言った通りに、あなたは不思議な方です」
「わたしが……」俯いていた顔を上げ、シェイラルの顔を見つめた。
「ええ……。少なくともあなたはわたしの知っている協会の天使ではない。最初、玲於那にも雰囲気が似てるなと思ったのですが、どうも、違うみたいですし……。協会に使役される天使たちには九割方“色”がないのに、あなたはそれをはっきりと主張しています」
 久須那は瞳を閉じて首を静かに横に振った。
「……わたしに“色”をくれたのはサムなんだ」その横でシェイラルが頷いていた。「それまでのわたしに“色”何かなかった。無色透明で、空気より存在感のないような……」
「いいえ、あなたは透明ではなく、透けるような仄かな“色”を持っていたのですよ」
「そうなのかな……」
 シェイラルは答える代りに微笑んでいた。そうでなければ、レルシアが久須那を選ぶはずもなかったことをシェイラルは理解していた。レルシアや玲於那の欲しかった味方は考えることを放棄した木偶ではなく、自ら考え動いてくれる天使だった。それはちょうど、ジングリッドの考えるそれと対局にあるものだった。
「では、夜も遅いですし、お休みなさい」
「あ、待って。……その前に、またひとつだけ教えてください」
 久須那が何を聞こうとしたのか。問い掛けるまでもなくシェイラルには届いていた。久須那が昼間に呟いた一言をシェイラルは覚えていた。『左右が逆になっている』元々、左右対称に近い協会十字だったから、そんな細かいことに気が付いた人などいなかった。
「鏡面十字の意味ですか……。なかなか鋭いところを突いてきます」
「あれは……鏡面十字と言うんですか?」
「そうです。――少し長くなりますよ。さ、ベッドに座って、タオルケットを膝に……。あったかくしていないと風邪を引いてしまいます」
 一日の終わりに不思議な夜が目を覚ます。久須那の抱いてきた疑問が少しずつ、だけど、確実に解けていくのを感じていた。それが全部無くなって、片づいたとき自分はホントの自由になれるんだと久須那は何故だか信じていた。

「玲於那、何をこしらえているのですか?」
 教会の庭の片隅で玲於那が子供たちと一緒に何かを造っていた。ノコギリ、糸ノコ、紙やすり。木工のあらゆる道具を駆使して形作ろうとしているものは。
「協会の十字架ですか?」玲於那の背中越しに作業台を見てシェイラルは言ってみた。
「鏡に映したらね!」覗き込んだ顔を上げ、ひょっとシェイラルの顔を見つけたのはレルシア。
「鏡……ですか」
「ね、ね、お父さん」レルシアはシェイラルの服の袖を引っ張る。「鏡、持ってきてよ」
「玲於那ったらね、けっこう、器用なんだよ。ホラ、見てご覧! おじさん」
「『けっこう』は余分です。イクシオン」
「あ、あれ?」イクシオンは照れ笑いを浮かべて、シェイラルの背に回った。そして、シェイラルのズボンを掴んでカリカリと頭をかくと、陰から顔を出して玲於那を見やった。
「ハハ、まあいいではありませんか」シェイラルはイクシオンの頭をポンと撫でた。「では、ちょっと鏡を取ってきますよ」
 シェイラルは教会の中に入っていって、洗面所から鏡をはがして庭先に運んできた。
「わたしの力作の出来栄えはどうかしら? 司祭さま」
「ど〜かしら? お父さん」得意げなのは何故かレルシアだった。
「成程……。協会十字の左右反対ですか」
 じぃっと八つの瞳が鏡の中の木製十字架を見詰めている。縦と横も隙間なく組み合わされ、綺麗に丁寧なまでにやすりがけされているのですべすべと手触りもよさそうだった。
「ほら! ばっちり決まってるじゃん! 流石、お母さんよね。イクシオンのなんてヘボ十字!」
「ヘ、ヘボって、レルシアの造ったのもたいして変わんないよ。へにょへにょの十字架……」
「なんですって?」レルシアの怒りの眼差しがイクシオンに降り注いだ。
「うへ! しまったぁ!」と、ダッシュ一番、掴まる前にと教会に逃げ込んだ。
「ちょっと待ちなさい! 訂正しなさいよ。失礼しちゃう」
 ベランダから身軽に教会に飛び込んだイクシオンをレルシアが負けじと追い掛けていく。
「行っちゃいましたね」二人を見送ってシェイラルが言う。
「ええ、でも、どちらの言ってることも、間違ってはいないんですよね。ホラ」
 玲於那はレルシアとイクシオンの造った十字架を両手に持ってシェイラルに見せた。
「まあ、ヘにょヘにょ十字とヘボ十字でしたっけね……」
 二人の個性が現れている。シェイラルにはそう思えてならなかった。几帳面 に、真っ直ぐ真っ直ぐ切ろうと思ったのか却って歪んでしまったレルシアの十字架。逆にそんなこと欠けらも考えず思い切りよくいったイクシオンのガサツな十字架。でも、邪念なんかなくて純粋な気持ちの塊で出来た素晴らしい十字架にシェイラルにも玲於那にもみえていたに違いなかった。
「微笑ましいですよ。本当の姉弟のようです」
「『よう』ではなく、姉弟なんですよ。あの二人。少なくとも本人たちには」
「そうですね」シェイラルは頷いた。
 あの二人が初めて会ったのは四つの時。それからまだ一年も経っていない。それなのにレルシアとイクシオンはすっかり打ち解けて、どこへ行くのにも二人一緒。小さなテレネンセスの街ではリトルカップルとしてちょっとした話題を振りまいていた。
「さて」玲於那はパンと手を叩いた。「元に戻りましょうか?」
「もう、戻っちゃうんだ!」
「どこへ帰るの?」
 フと気が付くと、いつの間に戻ってきたのかレルシアとイクシオンが二人の会話を聞いていた。
「もう、仲直りは済んだのですか?」とシェイラル。
「ケンカなんてしてないもんね〜」レルシアはイクシオンの顔を覗き込んで同意を求めた。
「ね〜」イクシオンはレルシアの瞳を見つめ返して同意する。
「はいはい。判りましたよ。でも、ちょっと静かにしていてくださいね」
「は〜い」
 二人の声が重なって遠のくと、玲於那は話の続きを始めた。協会十字と鏡面 十字。その後、協会レルシア派としてリテールに広まっていく信仰のシンボルが産声を上げた日だった。
「今の協会がこの協会十字。シェイラル、鏡の中を見て」玲於那は首にかけた協会十字のペンダントを外すと鏡の前に下げた。「左右が逆に映っていますよね」
 玲於那の言葉に、再びシェイラルは鏡を覗き込んだ。
「こちらにあるのは実像、鏡に映ったのは虚像です。じゃあ、ちょっと言い換えて、これが現実」ペンダントを持ち上げた。「あれが理想」鏡の中を指す。「だとしたら、この手作り鏡面 十字は?」玲於那は軽やかな笑みをシェイラルに向けた。
「つまり、理想の実現というわけですか」
「そして、この協会があったから、わたしたちの理想の協会も見える……」
 久須那は鏡の前にぶら下げたペンダントの十字架を手元に手繰り寄せた。すると、当然、鏡に映った十字架も消えて玲於那の右手だけが鏡に見えていた。
「それでシンボルは鏡に映った十字架……」
「戒めの意味もあるんですよ。鏡に映った十字架なのは、わたしたちの理想が実像になったとき、その鏡に映る協会がどんなものなのかを想像してみると……」
「――今の協会が鏡の中にありますね……。玲於那の言いたいことは確かに伝わりました。ちょっと、難解ですけど……ね」
「判んな〜い」
 シェイラルが声のする方を向くと、レルシアがしゃがみ込んで頬杖をついていた。いつも一緒のイクシオンは、まるで興味なしという感じでベンチに座ってぼんやりと空を眺めている。
「あら、あなたたちはまだ判らなくても大丈夫よ。もうあと十年もしたら、きっと、いやでも判るようになる……。きっと、ね」玲於那はそっと呟くようにレルシアに答えていた。

「そして、あの祭壇に掲げてあるのがその十字架というわけです。……さあ、夜もだいぶん更けましたよ。そろそろお休みなさい――」
 そう言われた後も、久須那はしばらくの間、物思いに耽っていた。レルシアの協会に付いていくか、シオーネの協会に付いていくか。レルシアがシオーネとは異なる考えを持ち、水面 下ではレルシア派なるものを形成しているのは勿論、知っていたけれど、その思いがこんな深いところにあるなんて夢にも思ったことはなかった。
「ヘボ十字や、ヘにょヘにょ十字もまだあるのですか?」
「!」意外だったようでシェイラルは目を丸くしていた。「そちらにも興味がありますか」
「レルシアさまやサムの思い出が垣間見れるなら……」
「……成程、ちょっと待っていてくださいね。ありますよ。ちゃんと取ってあるんです」
 嬉しそうに頬を綻ばせてシェイラルはベッドから立ち上がった。甘い思い出の創作物を見てくれるという人なんてずっといはしなかった。玲於那と二人の子供たちとこの教会で暮らした時間はまるでどこかに封印されてしまったかのように色褪せ、セピア色になれずに消えようとしていた。それがまた息を吹き返したかのようにパァーッと華やいできた。
(司祭さま、楽しそう。ホントに皆のことが大切だったんだね……)
 タッタッタと軽やかなシェイラルの階段を駆け降りる足音がして、階下の部屋からがさごそと探し物をする物音が久須那の耳に届く。
「ありましたよ! 久須那」久須那の聞いたシェイラルの一番明るい声色だった。
 夜中だということを忘れて、はしゃぐ子供のようにシェイラルは階段を駆け上がってきた。
「どうです? 可愛らしいでしょう?」
「サムにもこんな時代があったんですね……」
 久須那は掌より一回り大きいサイズの十字架をシェイラルから受け取った。確かにヘボ十字、ヘにょヘにょ十字の形容が似合っているような気がする。でも、そこからは限りない温かさが滲みだしている。下手くそでも無機的に冷たさを醸し出す協会十字よりも遥かに象徴に値する。
「……どこで、ひねたんでしょうね?」
「ひねた?」不思議そうに久須那は尋ねていた。
「はは……。素直じゃなくなったと言うことです」
「素直じゃない……」久須那の顔が少しだけ曇った。「わたしももっと素直になったほうがいいのかな」久須那の足がポンとひとつ空を蹴った。まるで淋しさの現れのよう。
「いえ……あなたは十分に素直ですよ……」
「そうなのかな……」久須那はベッドを軋ませて立ち上がると窓際に歩み寄った。
 窓ガラスに映った自分の顔を見つめると切なくなってくる。シメオンでなすべきことに疑問を抱き、行き先を見失いかけた日々が見える。自分が歪んでいても華やいだ明るい世界にいると先が見えない。自分に小さな心の闇が出来たとき、遠く未来が感じられた。ガラス。あの町にいたときはその数ミリ先の世界が決して届かぬ ところにあるのだと思っていた。
「明かりを消したら……向こう側がくっきり、はっきり見えるようになるんです……」
「そう言う気持ちなのですか?」シェイラルはガラスに映る久須那の瞳を見詰めていた。
「きっと、そうです。……協会の灯が消えると、自分しか映らなかったガラスの向こうに他のことが見える。でも、やっぱり、その道もサムが開いてくれたんだ」
「ガラスの向こうの街並みは素敵ですか?」
「ええ! とっても!」振り返って会心の笑みを浮かべ、久須那は言った。
 久須那の探していた始まりはここにあった。玲於那の夢見た協会はレルシアが志すことになり、協会のあり方に疑問を抱き、行く先を見失った久須那には道筋を照らし出してくれた。やっぱり、自分は協会なしに存在することは出来ない。協会をあるべき姿に戻して、そこに帰ろう。
「司祭さま、わたしは……」久須那の瞳に迷いはなかった。
「わたしたちと一緒に来てくれるのですね」シェイラルは久須那の考えを見透かしたかのようにニコリと微笑んだ。「イクシオンを慕ったあなただから、そう言ってくれると信じていましたよ」
「は、あっ、そうだけど、その、あの、い、イクシオンがどうのってあたりは……」
 ここまで来るとわれながら情けないと久須那は思った。顔を真っ赤にしてシドロモドロになる。
「判りやすい方です。隠し事は苦手なんですね」
 この調子ではサムの言うウソの付き方全十巻をマスターするのは夢のまた夢に思えてきた。も、少し内緒に隠し事が出来たなら、いちいちサムに茶化されたりしないのにと思ったりする。
「しかし、そう言うあなただからイクシオンは黙ってあなたを連れてきたのではないでしょうか」
 悪態をつきながらも久須那が追い掛けてくるのを拒まなかったサムを思った。そしてまた、サムが久須那を不思議なやつだというように久須那もまたサムのことが変わった人に思えていた。協会にこんなに近いところにいたのに、今は遠く追われる身。
「で、でも、サムは協会を嫌っていた」
「では……」見かねたようにシェイラルは言った。「イクシオンが何故『サム』という偽名を使っているのか知っていますか?」
 それはシェイラルの口から聞く初めてのサムの名だった。久須那がどれだけイクシオンをサムと呼んでも、シェイラルは決して言うことのない名前だった。そして、久須那はシェイラルの問い掛けに力なく首を横に振っていた。
「そうですよね。……では、イクシオンから直接聞いてみますか?」久須那にニコリとするとシェイラルは静々と閉められた扉へと近付いた。「こう言うときは大抵、いると思いますよ」
 と言いつつ、シェイラルはこれでもかという勢いで扉を開け放った。すると、バキッと何かがぶちあたる音がして、どすんと引っ繰り返ったような床の軋みまで聞こえた。
「あれ?」開けた扉の見える範囲にはサムがいなかったので、シェイラルは裏側を覗いた。「全く、酔ったふりして盗み聞きだなんてよい趣味ではありません。だ・か・ら! 昔から玲於那にあ〜だこ〜だ、ぎゃあぎゃあ喚かれるんですよ」
「そりゃ、かんけ〜ねぇだろ。大体、玲於那は細かすぎるんだよ」
 床にしりもちをついたままサムがやり返す。売られたケンカは口ゲンカでも買って出る。
「わたしの玲於那にいっちょまえに文句付ける気ですか!」
「お? 誰の玲於那だって」二人ともすっかり喧嘩腰でどちらも譲る気はないらしい。
(……ほら、また始まっちゃった。止めないと止まらないよ? 強情……だから)
「あ……?」久須那はキョロキョロと辺りを見回したけれど、喋りそうなものは何もない。
(もっとアクティブに。そしたら、色んなものがよく見える)
 久須那にしか届いていないその思いは、ともかく二人のケンカを止めろと伝えたいようだった。
「玲於那?」
 小さな声で名を呟くとベッドの傍らに立て掛けたイグニスの弓がポウッと短い間だけ、青白い炎をまとったように感じられた。そこに玲於那の思いが宿ったのだろうか。
「あの……ケンカはやめて……」
 二人の怒気を含んだ雰囲気に気圧されて、小声で囁く。でも、大声、大張り切りで口ゲンカの真っ最中の二人にはてんで届かない。更に逆にヒートアップしてしまってこれが神聖な教会でのやり取りかと思うほどの罵声が飛び交う。
「わたしを無視しないで!」
 それは久須那のホントの気持ち。届いた言葉にシェイラルもサムも久須那に振り返った。
「これは失礼しました。久し振りだったので、つい……」
「語気にも力が入って、白熱してしまいました」サムはシェイラルを見詰めて微笑んだ。
「懐かしいです。……あの頃に、戻りたい――」
「へっ……。でも、判っているんだろう?」立ち上がってサムは戸口の柱に寄りかかった。
「ええ、言われるまでもありませんよ。言われるまでもね」
 昔々の思い出を取り戻すためにシェイラルはこの小さな教会に残ったのかもしれなかった。仲良し二人組のレルシアとイクシオンがいて、愛するパートナー玲於那のいた日を取り返すために。望みはただそれだけだったはずなのに。いつしか事は大きくなりすぎていた。