12の精霊核

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17. tempestuous threat(嵐の兆し)  

「うわ、本降りになってきたな。やっぱ、乗り込むのやめて、どっかのホテルにしけ込みますか」
「この期の及んでふざけたことをぬかすな。今日じゃなきゃダメなんだろう?」
「そりゃあ、そうなんだけどさ。……久須那ちゃん、だんだん、玲於那に似てきたよね?」
「姉妹だからね。多少は似ているだろう?」
 にわかに降り出した雨は本降りになって、当分やみそうになかった。雷雨。こんな天気になるとサムはいつだって二年前のあの日のことを思い出した。
(玲於那……。今が俺の出るときだ。違うか?)
 時は満ちたとサムは思う。玲於那がいたらどういうのか判らないが、今このときを外したら協会の……ジングリッドの野望を止められない。
「ここまで来てあれなんだが、だんだん、気が滅入ってきたよ」
「何を今更、ここまで来たんだから最後まで行くよ」
 立場逆転。いつもはサムが久須那を引っ張っていたのに、今日は主導権を久須那に握られてサムは行く。シメオン大聖堂の裏手から、二人仲良く傘をさして。不思議。二人は敵として出会った。それがわずか四日前。何でこうなってしまったのか当のサムにも全然判らなかった。
「……大聖堂の秘密の出入り口があるんだ。そこから……」
「へぇへ、くっついていけばいいのね?」
「そぉそ、今日はやけに素直だな」
(素直にしてないとしばかれそうな勢いなもので……だなんて、口が裂けても言えないよな)
 サムは横目でちらりと久須那を見やった。この街にきて、久須那は明らかに生き生きとして見えた。初めの頃は追っ手にびくびくしていたけれど、何だかんだ言っても自分の街は落ち着けるらしい。協会の空白に怯えていた久須那の横顔はいつの間にか影を潜めていた。
 雨に人通りの少なくなった裏通りを二人並んで歩いてゆく。雨音が二人の距離を微妙に近づけて、大聖堂の威圧感を遠ざけた。小さな喫茶店からそれなりの長い道を歩いていくと、色んな思いが交錯して弾けていく。半ば機械的に足は前に出て、久須那の頭の中にはこの四日あまりの出来事がぐるぐると渦巻いていた。そして、辿り着いた一つの思い。
「わたしは……怖い」久須那はくるっと傘を一回転させた。
「どうした?」
「判らない。……ただ、このままだとサムがいなくなってしまいそうな気がして怖い」
「……」サムはまっすぐ前だけを見ていた。
「サム、答えて。――いつものサムのように『俺はどこにもいかねぇ』って」
「そお言えばてめぇは満足なのか?」
 いつの間にか、久須那はサムの服の裾を掴まえて、淋しそうな瞳を従えて首を横に振った。協会が消えた空白なんて、どうにだってなる。でも、サムが消えてしまったら、その空洞を一人で埋められないことに久須那は気付いていた。そう思えば、気が遠のくほど哀しくてどうにもならない。
「久須那? 聖堂の裏手だぞ。秘密の出入り口ってどこら辺だ?」
 ネガティブな考え事をしている間に、二人はシメオン大聖堂の裏側にいた。白亜の建造物。至近距離からは最上階がどのくらいの高さにあるのか見当もつかない。その協会総本山の秘密の出入り口を探して、通 行人が見たらそれこそ不審人物のようにまじまじと壁を見詰めていた。
「サム……そこだ……」
 久須那がさしたそこには壁に長方形の亀裂が入っていて隠し扉のようなものがあった。けれど、それは出来てから一度も使われたことがないのではと思われるくらいに壁と一体化している。
「開くのこれ?」サムは思わず、久須那に質問した。
「開くよ。きっと、この扉のことはレルシアさまに聞いたんだ。昔、開けたことがあると言っていたし、それに開けるのはサムだ」悪戯っ子の微笑み。
「やっぱり?」サムはちょっとの間、扉をナデナデしたり、押してみたりして普通 に開けるのは諦めた。「久須那。これ、もう、扉じゃなくて壁になってるぜ?」
「じゃあ、思い切って正面突破するか?」真顔じゃなくてどこか冗談めかしていた。
「つまり、何が何でも開けろってことね」ため息まじりにサムは言う。
「そう言うことだ。正面を切ったらここにいるやつらを全員のさないとレルシアさまのところまで行けないんだから」
「だろうな」
 呟いて、サムは扉の隙間と思える場所に、数カ所、印を付け始めた。適当に長さを測ってもっとも効果 の出そうなところに火薬を埋め込んでいた。
「久須那ちゃん。ちょっと離れていてね。火の魔法を印のつけた一点に集中させると――」
 ドン、ドン、ドン。小さな爆発音が連続して聞こえると、隙間につもった色んなカスがぱらぱらと崩れて、向こう側の薄明かりが漏れ出すようになった。
「へへ、これで押せば開くだろ?」
「開くだろうな」二人は見つめ合って、思わずクスリ。

『ね〜ね〜。イクシオン大きくなったら何になりたい?』
『決まってるだろ! 俺はリテールの英雄になる! どこに行っても俺の名前を知らないやつはいないんだ。すげ〜だろぉ〜』両手を広げて大げさにアピールする。『じゃあ、レルシアは?』
『わたし?』イクシオンは頷いた。『わたしは協会の……ちっちゃな教会のシスターに』

 そのささやかな夢を引き裂いたのは誰だっただろう。けれど、自分たちの足音に現実に引き戻されてそれ以上思考が進むことはなかった。
「なぁ、この辺はどの辺りなんだ?」とっとと先に行ってしまう、久須那の肩を掴まえた。
「そおだな」唐突に、立ち止まった。
「うぉ!」久須那の後ろでサムがつんのめってぶつかりそうになる。「急に立ち止まるな」
「――かなり隅っこの方だぞ。いきなり、真ん中の方に行って、誰かに見つかったら困るだろ」
「ふ〜ん」
 サムは気のない返事をして、辺りを一回り見渡した。それから、久須那を両手で押して、再び歩き出した。大聖堂には一日でテレネンセスの人口ほどの人の出入りがあると聞くのに。人っ子一人いなくて、サムは不安のような奇妙な感覚に囚われていた。
「でも、ホントにこっちなのか? 俺、こう言う迷宮って苦手なんだよ」
「大丈夫。信用して。今更、だましたりなんかはしない」
「いや、別にそお言う心配をしているわけじゃないんだけどね。何というか心許ないだろ」
「そおか?」
「『そおか』っててめぇは……。視界の利かない狭いとこって俺、いやなんだわ」
 けれど、そんなサムをよそにして久須那は少し楽しそうだった。協会幹部に咎められてはまずいのだが、最近まで我が家であったことには違いない。回廊を走って、狭い階段を上って、久須那は出来るだけ人目に付かないルートを選んでいるようだった。程なく、
「ここがレルシアさまの部屋。……サムがノックして、開けたらいい」
 サムの動きが扉の取っ手を握ったまま止まってしまった。
「へへ……、レルシアに最後に話したのは十五年も前だ。俺はどんな顔してあいつに会えばいい」
「恥ずかしいのか?」久須那がサムの顔を覗き込んだ。
「そお言う訳じゃない」ケンカ別れして、仲直りもしないまま時が過ぎてしまった。そのことがサムを躊躇させていた。「……レルシアがここに来る、来ないで一悶着あってさ。――それから口もきいてない」

『父さん! 協会はいかれぽんちの集団なのかよ! 何でレルシアなんだよ。どうしてレルシアが大聖堂に連れていかれんだよ。レルシア! てめぇも何とか言えよ』
『わたしはいいの――』
『ウソだ、ウソだ! そんなこと言うてめぇはレルシアじゃねぇ。玲於那! ……? どうしたんだよ。何で、玲於那も父さんも黙ってんだよ』
『わたしが決めたの。イクシオンは口出ししないで』
『ちくしょう! レルシア、てめぇなんかもお知らねぇからな!』

(レルシアと話したのは……あれが最後だったな……)取っ手を握った手のひらが汗ばむ。
「サム、大丈夫だよ。レルシアさまは大丈夫だよ」
 シメオンに来てからありとあらゆることが違っていた。あれだけ、強いと思っていたサムの意外な面を見せつけられる。シメオンがサムに魔法をかけた? 久須那は気がついていた。キーワードはレルシアなんだ。レルシアのことを語り、近づいてくるとサムは切ない表情を見せる。
「レルシアさま。――久須那が参りました」
 久須那は静かに扉をノックして言った。それから、永遠のようなひととき。既にサムと久須那は協会の指名手配者リストに載ってしまっていたから、入れてくれなくても文句は言えない。
「久須那、ですか――? 入りなさい」
 奥からレルシアの声が聞こえて久須那はホッと一息をついた。
「レルシアさまのご許可が出た。行くよ。サム」ウィンク。
 そっと開けて、久須那は扉の向こう側に身を滑らせた。サムはためらいがちに久須那のあとについてレルシアの部屋に入る。すると、久須那が礼をしていて、久須那を見ていたレルシアの視線が突如、サムを捕らえた。その瞬間だけ、レルシアの瞳は微かに驚きの色を湛えたいた。
「イクシオンを捕らえなさいと命を受け、その後、行方をくらませていたとは聞いていましたが……。帰ってきてみたらこの有様ですか」
 よどんだ空気の中の気まずい沈黙。
「話してみなさいとは言いましたが」レルシアの眼がちらりとサムを見る。「――イクシオンを連れてきなさいとは言った覚えはありませんよ」
「ですが、レルシアさま」
 この状況をどう説明したらいいのか、久須那は困ってしまった。そんな冷たいやりとりを見て、何だかやりきれなくなったサムが口を挟んだ。
「久須那が連れてきたんじゃなくて、俺が勝手に来たんだよ。久須那はおまけだ」
「お、おまけ?」それはないでしょうと、抗議の意を含んだ眼差しがサムを睨む。
「……悪い、俺、専属の翼だった」久須那を優しい眼差しで見詰めてニコリとする。
「どっちにしてもずいぶん仲良くなったんですね」
 レルシアの冷めた眼差しがサムに突き刺さった。サムはそれに対して真摯な眼差しを返す。
「もう、いい。――何か、色々と期待してきた俺がバカだった。帰るよ……」
 サムは目を閉じて、面倒くさそうに頭をバリバリとかいて、きびすを返した。
「レ? レルシアさま? サ、サムも待って」
 思わぬ展開にオロオロしてしまうのはやっぱり久須那だった。
「せせせ、せっかく、会いに来たのに」
「落ち着きなさい、久須那。全く、もっと機転を利かせなさい。イクシオンもいつまで帰るだのなんだのってだだこねてないで、奥の部屋に入りなさい。二人とも見つかっては困ります」
「へ?」急転直下の展開にサムの頭がついていかない。
「あの俺、何が起こったのかよく判らなかった……な?」
 呆気にとられるサムをよそに、レルシアがクスッと可愛らしく微笑んでいた。
「これが協会大司教さまってところを見せたくなったの、つい。……でも、ずいぶんおじさんになりましたね、イクシオン。最後に会ったときは……もっと可愛かったのに。ひねちゃって」
「十五年ぶりなんだ、仕方がないだろ」
 サムはレルシアの暖かな反応に安心していた。あの日の禍根を残したままつっけんどんに冷たくあしらわれてそれっきりになってしまったらどうしようかと内心ビクビクものだった。
「でも、よかった。レルシアは変わってねぇな。安心したよ」
「わたしも、少しは変わりましたよ」
 そう言いつつ、レルシアは二人を奥へと導いた。完全なレルシアの私室。必要のなさそうなものは何一つなくて、とても機能的だった。ソファもベッドも机も大司教が使うにしては安っぽすぎるイメージがサムにはあった。望めばもっと贅沢な振る舞いも出来るはずなのに。
 奥の部屋に入るとサムはソファにどっかりと腰を下ろした。
「それで、久須那におかしなことを吹き込んだのはてめぇだろ? 俺にくっついていけばてめぇの悩みの答えが見つかるんじゃないかとか何とか、言ったんじゃねぇのか?」
「ふふ、何だ、よく判ってるんじゃない」レルシアはソファから少し離れた机の椅子についた。
「あのなぁ、おかげで久須那につきまとわれてるんだぞ?」
「迷惑だったのか?」サムの後ろに佇んだ久須那が言った。
「い、いや、迷惑じゃあないけどよぉ……」サムは問い詰められた子供のように押し黙った。
「やっぱり、大正解でしたね。イクシオンと話してみなさいと言って」
「と言うかね。お話しする前に一戦やらかして、俺が勝ったの」
「あら? では、久須那はイクシオンのもの? おめでとう」
 レルシアが半分冗談まじりで発言すると、久須那がサムの後ろで赤くなっていた。
「あのなぁ。なんで、そう、誤解を招くような発言するの? 天使の輪っかは俺がとったよ。それ以上でもそれ以下でもないのにどいつもこいつも」
 しかし、言い訳すればするほど曲解されてしまうのも否めない。
「で、イクシオンはここへ何をしに来たんですか?」
「あ……」ようやくサムはここに来た所期の目的を思い出した。「そうだ。ジングリッドのホントの目的を教えて欲しいんだ。やつは一体何を求めているのか?」
「天使長の目的……?」
 サムはレルシアの瞳を見詰めて無言のまま頷いた。
「帰りたい……」レルシアはポツンと独り言のように答えた。
「帰りたい?」サムは訝しげにレルシアに問い返していた。
「そうだよ。お父さんに聞かなかったの?」クスクスッと子供染みた笑いが返ってきた。
「親父はひとっことも教えてくんなかったぜ」
「おかしいね? もう何年も前から知っているはずなんだけどね」
「なんだそりゃ?」
「わざと黙っていたのかな? お父さんが言わなかったら他にそんなことを聞ける人なんてわたししかいないものね」
「はめたのか? あのクソ親父。つらっと何でもねぇような顔しやがって」
「まあ、落ち着いて」レルシアは口をつぐんだ。
「何だ?」
「――イクシオン。また、話が出来てよかった。ホントは心配でした。わたしがこっちに来て、すぐにあなたは王立学問所に行ってしまって、すれ違いばっかりで、もう会えないかと思っていた」
「レルシアさま」
「あ、えっと、天使長の目的でしたね。異界に帰ることです。その扉がリテールのエルフの森に」
「ドライアード・ジーゼの精霊核の辺りがゲートってことだな」
 レルシアは目を閉じて頷いた。
「そして、それを開ける鍵が久須那かイクシオンかのどちらかだと……天使長が」
「――鍵ねぇ」サムの瞳が天井を向いて、左手がポリポリとあごをかいていた。
「鍵の話はお父さん、まだ知らないはずだよ。この間、仕入れたばかりだから」
「はぁ……。じゃあ、俺たちがエルフの森に行かなきゃいいだけなの? ひょっとして?」
「事態はそう簡単じゃないでしょう?」たしなめるようにレルシアは言う。
「そりゃ、判ってるって、ちょっと言ってみたかっただけだよ」
「全く、イクシオンはいつまでたっても子供なのね……」ちょっぴり嬉しそうな声色でレルシアは言った。「ねぇ、今日はここに泊まっていきなさいよ。久須那もイクシオンも」
「で、でも、わたしは……」やっぱりオロオロしてしまう。
「敵陣のど真ん中ほど安全なところはないと思いますよ?」
「今のところはそうなんだろうな」
 それから、そのまま夜は更けた。石の城の奥底で、外の雨がやんだのかまだ降っているのかすらも判らない。そんな閉ざされた空間での十五年ぶりのレルシアとサムの語らい。久須那は二人から少し離れたところでその様子を眺めていた。これが家族なんだ。
 ドンドン。恐らく、深夜。激しく扉がノックされた。
「レルシアさま。お休みのところ申し訳ございません。緊急の……」
「イクシオン、久須那。クローゼットに隠れて」
 レルシアは囁き、二人を立たせてクローゼットへと導いた。
「狭いけど、少しの間我慢してください」
 そう言って、レルシアは普通に押しては閉まらなかった扉を無理矢理閉じた。それから、何事もなかったようにレルシアは戸口に歩いていった。
「何事……ですか?」すっかり落ち着いた口調。
「ジングリッドさまと天使兵団がリテールエルフの森へ出兵なされました……」
「どうして、わたしに?」
「さあ? あと、サムによろしく伝えておいてくれと……」
「判りました。下がりなさい」
「ハッ!」
 レルシアは伝令にきた者の足音が聞こえなくなるまで押し黙っていた。
「イクシオン、聞こえましたね?」
「レルシア、こんなせめぇところに二人も押し込めるな! 窒息するかと思っただろ」
「イ・ク・シ・オ・ン!」悪戯をしたあとの悪戯っ子を叱るような“メッ”と言う視線。
「ああ。あの野郎、俺がここに来ると踏んでいやがったな。しかも、わざわざ、知らせてよこすとはいけすかねぇ野郎だ。勝手に行けってんだ! それはともかく……レルシア、今何時だ?」
「夜半は回ったわ」レルシアは時計を見やった。「……もう、明け方も近い」
「やつらもいやな時間を選んできやがる。……徹夜と意気込んでも、大抵この時間になると睡魔に負けそうになるもんさ。奇襲にはいい時間」
「イクシオン――」
「レルシア、行くぞ。俺との関わりが知れてる以上、ここは安全じゃねぇ。……エルフの森やテレネンセスまでは連れてけねぇが、大聖堂の外までは……」
「でも、イクシオン。あの人たちは昔からみんな知っています……」
「そうか――だが、逃げる。てめぇが捕まると俺は手も足もでねぇ」にわかに真顔。
「では、どうして、わたしは今まで自由に……?」
「いつだって捕まえられると思ってるのさ。ジングリッドはそう言うやつだ……」
 終わりが始まる。久須那は思った。安息は終わって全部が戦いに巻き込まれていく。ジングリッドの夢を潰したとしても、テレネンセスはリテールはただでは済まない。天使兵団が動き出したと言うことはすなわち、破壊。きっと、元には戻らない。そんな秘やかな思いが久須那に芽生えていた。