12の精霊核

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22. metempsychosis's hourglass (輪廻の砂時計)

「それで何だって? この大雪を降らせたのはこの幼気なフェンリルの子ども?」
「他に思い当たる節もありませんからね」レルシアが言う。
「だよねぇ。ゼフィだったら、あんな真似しないよね?」
「それはどういう意味だよ? 迷夢?」
 シリアは迷夢に両脇を抱えられて、その目の前にその姿をさらしていた。迷夢はシリアの不服そうな瞳を見詰めるけど、全然気にしていないようだった。
「……くしゃみ、するぞ」目を細めて、憮然としてシリアは言った。
「どうぞ。お好きなように♪」
「まだ、完璧には治ってないんだもん……。――くしょんっ!」
 シリアは見事に大きなくしゃみをして、迷夢の顔に色んなものを吹きかけた。
「……。やってくれますね。シリアくんっ!」それでも、迷夢は微笑みながらシリアを睨んだ。
 と、そこへ全く普通に久須那が現れた。
「……? 何をやっているのだ。お前たちは?」
 迷夢とシリアを見比べて、さらにその奥で微笑んでいるレルシアとゼフィを見てキョトンとした。
「準備が整ったのですね?」
「そうです。レルシアさま。これより、最後の天使召喚が行われます。大聖堂の方へ……」
「最後の……?」ゼフィ。
「最後です。今回はあらゆる角度から召喚の情報を記録し、後世に伝えることが目的です。二度と使われることのないことを望みますが……。そうならない予感がします……」そして、レルシアはクスリと笑った。「名残惜しいのかもしれませんね。術を完全に破棄、封じてしまえばいいとも思いましたけど、同じことを考える人間は幾らでも現れるでしょう? ……残しておきます。全てを。わざとに。もちろん、トラップは仕掛けさせて頂きますよ」
「レルシアさま。少し、お喋りが過ぎます……」
 久須那の注意に、レルシアは不意に我に返った。
「……どうして、ゼフィにはこんなに話せたのでしょうね?」
「わたしは」ゼフィは涼やかな微笑みを浮かべていた。「信用されているようで、とても嬉しいですよ」それは恐らく本心から出た言葉なのだろう。ゼフィは真摯にレルシアを見詰めたままで居た。
「信頼していますよ、もちろん。そうでない方はこの家には入れません」
 瞬間、微笑みが消えて毅然とした態度に変わる。が、すぐにいつもの調子に戻った。
「レイヴンは先に行ったのですか? 久須那」
「あ、レイヴンのところには寄らずに直接こちらに来ましたから、ちょっと……」
 と、久須那が言うと代わりにに迷夢が答えた。
「多分、行ってると思うよ。彼、結構、生真面目なところがあるからさ。物珍しいものより、そっちの方が大事。あれでもうちょっとでも、愛嬌があればねぇ、面白いんだけど……」
「ねぇ、迷夢。物珍しいものってオレのこと?」
 眉間にしわを寄せて、シリアが呟く。
「別に悪い意味で言ってるんじゃないよ。北リテールの精霊王さまのご子息に会えるなんて思ってなかったから、そう言う意味で“珍しい”ってことね」
「何か、いいようにあしらわれてるだけのような気がする……」
「考えすぎだって」迷夢はしゃがむとシリアを抱いて立ち上がった。「今度はくしゃみしないでよ」
「ゼフィ。迷夢に何とか言ってやってよぉ?」
「コメントのしようがありません――」
「そんなぁ……」シリアは情けない声を上げた。
「そう、折角だから、みんなで見学に来ない? 秘術と言えば秘術だけど、シリアとゼフィなら全然問題ないと思うんだけど……? ダメ? レルシア?」
 迷夢はシリアをぷらんぷらんと振り回しながら、レルシアに尋ねる。
「あの、やめて、酔うから……」
 迷夢はシリアの心許ない叫びも全く気にも留めない。
「大丈夫だから、ね?」迷夢はシリアの顔を見て会心に笑みを浮かべた。
「大丈夫じゃないやいっ!」
「どうしますか? ゼフィ。遙々ここまで来たのですから、見ていくのも悪くないと思います」
「しかし、レルシアさま?」久須那は驚いて、レルシアをいさめようとした。
「いいじゃない、別に。久須那も心配性なんだから。ゼフィやシリアは秘密を漏らさないって」
「しかし――」当惑して久須那はレルシアに助けを求めたが、
「わたしも心配のしすぎだと思いますよ?」レルシアに軽くたしなめられてしまった。
「はぁ……」味方はいないらしい。久須那はため息をついてほとほと困り果てたようだった。
「ゼフィはどうしますか?」一際、晴れやかにレルシアは言った。
「では、お言葉に甘えましょうかしら?」ゼフィも負けじと朗らかに言う。
「……ねぇ、ゼフィ……。そんなのどうでもいいから、こっちを何とかして……」
 シリアの悲痛な叫びはあっけなく無視された。

「と言うのがオレと迷夢の出会いだったな。最悪な思い出だ」
 リボンはフッと口元をほころばせた。
「けど、リボンちゃんの話を聞いていたら、悪い人には思えないんですけど」
「ああ、悪いやつではないさ。……だからこそ、厄介なやつだよ」
「あのさぁ? 話の腰を折って悪いんだけど……、レイヴンが居て、マリスが居て。その迷夢とかいう天使はどこにいるのさ」
 テーブルに突っ伏したまま、あまりやる気なさそうにセレスが質問した。
「お前にしちゃあ、いいとこに気が付くじゃないか!」リボンは茶化した。「どこにいると思う?」
 リボンは一同を見渡し、特にデュレとセレスの上では一度視線を止めてじっと見詰めていた。
「わたしたちはまだ会っていませんよね?」
「多分、会っていないと思う。人間風に言えば、お空のお星さまになったんだからな」瞳が怪しく銀と煌めいた。「少なくとも最近まではそう思っていた」
 意味ありげな微笑みを浮かべてリボンは言った。が、話はそこにいかずにジャンプした。
「あいつは“特別”だ。マリスほど強い訳ではない。レイヴンほど魔術に長けている訳ではない……。あいつは策略家なのさ。だからこそ、三人の中でもっとも恐い相手だ」
「迷夢ってそんなに頭がいいの?」セレスは顔を上げた。
「覚えてる限りでは、とかく、回転が速いな。切れるって言うのかな。その瞬間、瞬間で最適の判断を迷いなく瞬時に下していく」突き刺さるよな煌めきをセレスに向ける。「が、オレたちにはデュレがいるから、戦術面でも前よりは優位に立てると思うが……」
 リボンはセレスから視線を外し、その横にデュレを上目遣いに見詰めた。
「わたしは戦術士官ではありません。知識面でのサポートは出来ると思うけど、実戦となってくると……」デュレは胡散臭そうにセレスを上から下まで眺め回す。「セレスの方が……」
「何だかさあ、凄い気に入らなさそう。と言うか、文句を言いたそうだね」
 セレスは目を細めて、頬杖をつきながら隣の不機嫌なデュレの顔を眺めた。
「当たり前です。こんなセレスに負けてるものが一つでもあるかと思うと納得できません」
「……こんなんて、どんなんよ?」憮然としてる。「これでも学園を卒業してからの三年間、トレジャーハンティングをしつつ各地を巡り、腕を研いたんよ? 失礼なっ!」
 セレスはぷいっとデュレに背を向けた。
「だから、その実力は認めない訳にはいかないんです」ぶつぶつ。「実戦経験だけはどうがんばってもセレスには敵わないんだから……。それは……頼りにしてますよ。一応――」
「一応?」細かいことを聞き咎める。
「判りました。全幅の信頼を置いてます。こう言えば満足なんでしょ? セレスはっ」
「その通りなのだよ」嬉々としてる。
「けど、十二の精霊核その後によると、天使たちのほとんどは約百年後に完成された逆召喚で帰途についたと。そうしたら、何故……封じられたマリスや久須那は別としてもレイヴンや迷夢は帰らなかったのですか――?」デュレは腕を組みつつ、左手であごの辺りをそっとなでた。
「帰れないワケがあるのだとしたら……?」ひどく真面目な視線をデュレに向けた。

 ミサなどは中央の大きな礼拝堂で行われるが、召喚などの魔術に関する儀式は一般人の人目に付かない奥で行われる。召喚術は秘術中の秘術。高次の魔法を使いこなすにはそれなりのスキルが必要だが、真似くらいは一般の魔法使いでも出来る。その真似は致命的な不幸を招くことが多い。過去、幾多の者が無謀な挑戦を繰り返し、悲劇を紡いだ。それを避ける意味と天使を使役する優位性を保持するために何人たりとも立ち入れぬように幾重にもシールドが張り、侵入者を防ぐ。
「レルシアさま、お待ちしておりました」金髪碧眼のエルフの男が言った。
「あら、わたしたちが最後?」
「いえ、シオーネさまとシェイラルさまがまだ――」
「そう言えば、シリアくんの姿が見えませんが」
「うん。酔っちゃったって。大広間に置いてきたよ」
「迷夢が振り回すからです。可哀想に」
「でも、可愛いからついね。けど、別に悪気があったワケじゃないのよ。気が付いたら、舌を出してデレ〜ンと気持ち悪そうにしてた」
 迷夢は両手を大きく広げて、大げさに振りを付けた。自分は何もしてないことを強くアピールしたいようだが、レルシアには全く届いていない。と、そこへ、重厚な木製の扉が軋みをあげながら開き、低く渋めの男声が部屋に響いた。
「待たせたな……」
 その言葉と共にシオーネとシェイラルが一緒に姿を現した。シオーネはジングリッド亡き後、憑き物が落ちたかのように平静さを取り戻していた。権力欲、その他、欲望など忘れてしまったかのように。幾分は宗教組織の「長」としての相応しさを増した。
「では、始めますか?」レルシアは身体の前で手を合わせてしめやかに言う。
「……頼む」シオーネは頷き、短く答えた。
 召喚魔法の実行時は教皇といえど、特別扱いはされない。全員、起立したまま。他の攻撃魔法などよりも不測の事態が起こりやすく、万一の時は座っていることが致命的になりかねない。協会きっての魔術師たちがその動向を見守るとは言え、何が起こるか判らないのが現状だった。
「……レルシアは何を始めるのですか?」
 ゼフィはたまたま隣にいたレイヴンに尋ねた。すると、レイヴンは目を細めてゼフィを訝った。いていいはずの人物ではないのだが、教皇の承諾を取っているのなら文句は言えない。
「見ていれば、判る」ぶっきらぼうに答えて、レイヴンは前を向いた。
「そうですか?」残念そうにゼフィは言う。
 部屋の床には一面に巨大な魔法陣が描かれていた。闇魔法にて描かれるものとほぼ同一の形態で、それはこの召喚魔法が闇魔法から発展したことを端的に示している。魔法陣は大きく分けて三つの要素から構成されている。古代エスメラルダ文字により呪文が描かれた外周円、それに内接する六芒星、さらに星の内側に形成される正六角形には通常、閉じられた右目が描かれる。
 レルシアは壁際から中央に向けて進み出て、目の下の三角形部分で足を止める。
「親愛なる光の瞳よ……。わたしの前にココロを示せ……」
 レルシアの声を合図に魔法陣の目の部分の下からそよ風が吹き上がる。レルシアの白いスカートをフワリと持ち上げ、栗色の髪をそっとなびかせる。何かがくる予兆を感じる情景だった。
「……目が開きそうですね?」半ば独り言のようにゼフィが呟く。
「いい? ゼフィ? あの目が全部開いたら、魔法が完成するの」
 迷夢は良いターゲットを見付けたとばかりに喜び勇んで説明を開始した。
「目が開いたら?」新たに興味がわき出したのか、ゼフィの瞳に光がともる。
「そうそう、見ると判ると思うの」
「光の司祭の名において、古に共に歩んだはらからなる世への扉を開けたもう……」
 ほわ〜っとした緩んだ空気が、瞬間で緊張感をはらむ。レルシアが呪文を発した時に、魔法陣のうちより立ち込めだした青白い霧のようなものは螺旋を描きながら上っていく。やがて、それは光の円柱に姿を変え、しかし、その一部分はまぶたに妨げられる形で真円にはまだ遠く、レルシアの呪文詠唱はさらに続く。
「星霜の彼方より語られし、あまたの世の架け橋を閉ざしたる者に告げる。わたしは解錠を望むものなり。描かれし眼の向こうに在りしもの、……サライよ。はらからなる世に通ずる架け橋を開放し、その証を示せ。かつての同胞、翼をもちし天のお使い天空に住まう異界の世。開放を望むは天使の血族……レルシア――、レルシア・ホルスト」
 その刹那、風が湧き上がり、部屋を澄んだ不思議な空気が満たした。光柱は明度と力強さを増し、部屋を照らす。異界への架け橋が通じたのだ。
「シェイラルさん。シリアくん、連れてきてよ」迷夢は小声で、しかし、朗らかに言う。
「……? シリアくん?」シェイラルは少しだけ不思議そうな面持ちで迷夢を見詰めた。
「うん。ホラ、北リテールから来たゼフィといたしょ? 犬みたいの。あれ? レルシアに聞かなかったの? ――協会中、この話題で持ちきりだと思ってたけど、そうでもないのかな?」
 ちょっと意外そうに眉をひそめて、目の玉を中央に寄せる。
「あぁ。フェンリルのお子さまですか? まだ、会ってはいませんが……北リテールに住まう氷の精霊王、狼王と呼ばれるサスケさんのご子息」
「うん。大広間のソファに休ませてきたんだ。だから、お願いっ」
 両手を目の前で合わせて上目遣い。
「……仕方がないですね。しかし、……何故、大広間?」
 シェイラルは小声で呟きながら、外に出た。大広間は召喚をする部屋から遠くはないところにある。部屋正面の廊下を中庭を右手に見ながら十数メートルで開けた空間にでる。そこが大広間。
「シリア……くんはいますか?」シェイラルは広間に入りつつ声をかける。
 広間を見やると休憩用にと壁際に幾つも並べられたソファの一つから白い尻尾がはみ出していた。時々、もぞもぞと動いて微笑ましい。シェイラルはそれを見付けると静かに歩み寄る。そして、ひょこひょこと動く尻尾の見える肘掛けのそばに膝をつき、シェイラルは再び声をかけた。
「あなたがシリアくんですか?」
 尻尾の動きがはたと止まった。尻尾はすいっと引っ込んで、代わりに狼の顔が覗く。
「……おじさんは……誰?」無邪気な子どもの声色。
「おじさんはシェイラルと言います。レルシアの父、と言ったら安心するのかな?」
「ふ〜ん? レルシアのお父さんなんだ」感心したようにシリアは言った。
「そうです。折角、来たのですから、召喚を見ていきましょう? 迷夢が心配してましたよ」
「迷夢が? それは信じられない。だって、やめてって言ってるのに振り回すんだもの」
 シリアはさっきまでのことを思い出してぷ〜っと膨らんだ。
「悪気はないのですから、わたしに免じて許してあげて下さいよ」
「え〜っ!」凄く嫌そうにシリアは言う。「ヤダよぉ。だって、すごく調子に乗りそうなんだもの。迷夢〜。絶対そうだ。そう言う顔をしてるもん」
 シェイラルはシリアの言わんとすることが判るだけにあまり強いことは言いたくない。
「そこを何とか……」
「う〜、そこまで言うなら」根負けする。「でも、迷夢におじさんからも言ってよ。振り回さないでってあんなに派手に振り回されたら、幾らオレだって……」止めどなく文句が溢れる。
「判りましたよ。では、行きましょうか? 天使召喚はステキな思い出になると思います」
 シリアはソファからひょいと飛び降りて、シェイラルのあとに従った。
「ねぇ、おじさん。天使の召喚ってどうやってやるの?」
「そうですね。最初からいてくれれば良かったのですが……」
「……迷夢ぅ〜、一生、恨んでやるぞ……」ぶつぶつと悪態を付く。
「まあ、そう言わずに……。その代わり、わたしと知り合えたと思えば……」
「だって、最後なんでしょう?」
 シリアはトタトタと歩きながら、ずっと上にあるシェイラルの顔を見上げた。
「……最後ですね……」とても申し訳なさそうな雰囲気だった。
「ホラ、だったら、もう見れないもん」
「……そう言うことになりますね」
「もお……」シリアはさらに頬を膨らませる。
 シェイラルはシリアの止まらない文句の相手をしつつも嬉しく思った。時分の子どもたちと他愛のない会話を楽しんだのは一体いつだっただろう。三十余年前、レルシア、イクシオンの少女少年時代を懐かしむ。その頃には玲於那がいて、テレネンセス教会の庭でよく日向ぼっこをしたものだ。
 キィイイィ。シェイラルは元来た部屋の扉をゆっくりと開けた。
「いいですか? シリアくん。静かに音を立てずにいてくださいよ」
 シェイラルは口元に人差し指をあてて、しーっと合図を送る。それもそのはずで、今、召喚は佳境にある。不用意に声を上げると場が乱れる可能性があり、召喚を失敗するかもしれない。さらに万が一にも場が崩れるととんでもないことになる。
「わぁ――」シリアは感嘆の声を漏らした。
「さあ、こちら側にいらしてください……」
 レルシアの前には瞳から天井に向けストレートに光柱が立ち上っていた。幅は人の肩幅二つ分くらい、高さは天井に遮られるまでの約四メートル。
「……心配には及びません。あなたに危害を加える者は誰もいません」
 誰に話しかけているのだろう。シリアは思う。その瞬間、光柱が微かに揺らいだ。
「あ……」シリアは息を呑んだ。
 光柱が揺らいだ瞬間には灰色のシミのようなものが見え、それは布に染み入る水のようにさ〜っと広がり、翼を持つ人の姿にまで成長した。まるで、それはバックライトに照らされたかのように人影が浮かび上がる。召喚は成功した。
「成功したようですね……」ほっとした声色。
 魔法陣の上から薄く青みがかかった白い煙のようなものが晴れ、次いで光柱がぱっと消え失せる。次第に召喚された者の姿形が明瞭さを増してくる。背中から生える翼は黒っぽい色に見える。顔立ちは精悍。瞳には厳しい煌めきがあり、その凛々しさをよりいっそう際だたせていた。
「あなたの名前は……?」レルシアが最初に問う。
 黒い翼の天使はゆっくりと瞳を開いた。
「……マリス。――黒炎のマリス」
「マリス、ですね?」レルシアはゆっくりと発言し、天使の名を確認した。
「ええ」マリスは虚空を見詰めていた瞳を新たなマスターとなるレルシアに向けた。
「ようこそ、マリス。わたしたちの住む場所に……」努めて明るくレルシアは言う。
「ああっ!」唐突に迷夢は素っ頓狂な声で叫んだ。「マリス! マリスが来たんだね!」
 シオーネやレルシアがいることも全く気にも留めずに迷夢はマリスに飛びついた。
「……誰?」状況が理解できないようだが、落ち着いている。
「わたしよ、わたし。忘れちゃった? マリス。迷夢よ」
「迷夢……」マリスは暫く考え込んだ。「――策略家の迷夢……?」
「そうっ! なんだけど、ろくな覚え方してないね……。けど、懐かしいなぁ」
「お二人はお知り合いなのですか?」
 レルシアは驚いたように問う。召喚される天使はランダムで選ばれ、知り合いと出会う確率はほぼゼロと言ってもいい。ならば、この巡り合わせは“運命”とも奇跡とも言えた。
「そうなのよ。最後の召喚でマリスに会えるなんて、ありがとう、レルシア! こんな時が来るのをずっと待っていたよ! マリス。わたしの言いたいこと、通じているよね?」
「もちろん、通じているよ……」そっと、マリスは答えた。
「くしゃんっ! うぅ……。めまいする。くしゃみでる。ぁあ、鼻水もちょっと……」
「風邪でもぶり返してきたのかしらね?」
 ゼフィは心配そうにシリアの鼻をかんでやる。マリスはその微笑ましい光景をただじっと見詰めていた。ひどく冷たそうに、感情を表さぬ凍てついた表情で。

「思えば、そこから始まったんだ……」
 リボンは言葉を切り、シェラの傍らから立ち上がると玄関を見定めた。
「……そうだろう? ――アルタ?」
 しばらくの間があって、観念したかのようにゆっくりと扉が開く。そこにはレイヴンよりも一足先にマリスの洞窟に向かったはずのアルタがいた。
「いつから気がついていた? シリア」
「最初から、ずっとだ」特に何でもない風にリボンは言った。
「では、何故、気付かない振りをしていた?」
 アルタは自分がそこいることさえはばかられるかのような居心地の悪さを感じていた。
「オレたちに害意はないんだろ? だったら、拒む理由もないし。お前に聞かれて困る話をしている訳でもない。としたら、追い返す理由などどこにもないだろ?」
「そう思うのか?」
「ああ。それに……」リボンはアルタの瞳を視線で突き刺した。「お前が見ていたのは――」
「それ以上は言うなよ。お前に……」
「言わないよ。お前がそう願うなら」リボンは静かに首を横に振る。
「じゃ、見つかったしな。やっつけられる前に、帰るよ」淋しげにアルタは言う。
「そう言わず、最後まで聞いていけよ。どうせまだ、時間はあるんだろ。約束の日まであと二日ある。……もう、用意することは何もないんだろう? 後は待つばかり」
「何もかもお見通しってワケか? シリア」
「いいや」リボンは瞳を閉じて静かに首を横に振った。「鎌をかけてみただけだ」
「だが、俺は帰るよ。そこで、凄い形相で睨んでいるのが二人もいるんだ」
 アルタはレイアとデュレを指した。バッシュはどうしたらいいのか判らないかのようにアルタから視線を逸らし、セレスはテーブルに伏したまま敢えて動こうとはしない。サムは何も気にしていない様子で部屋の隅っこで腕を組んだまま壁によりかかり沈黙を守り。……シェラが言った。
「迷夢によろしくと伝えてください。今もすぐそばにいるような気がするのですけど、あなたの口からの方がより確実でしょう?」
「迷夢ね――。もう、久しく会っていないな」アルタはフと遠い眼差しを天井に向けた。「最後に見たのは……、待てよ。あれはいつだ……? 今、思い出すからな?」
 アルタはその面々の中にすっかり溶け込んでいるように見えた。和気藹々としてる訳でもないが、火花を散らすにらみ合いにもならない。アルタはセレスの父親、そして、バッシュの夫(?)という点からも手を出しにくいのかもしれない。
 そして、アルタの顔色が不意に曇った。
「……迷夢は死んだんじゃなかったのか?」アルタはリボンに確認をとろうとした。
 すると、リボンは首を横に振って、アルタの発言を否定した。
「見付けたのさ……。迷夢の黒い羽根……。あいつの“色”は紫だったよな」
「いつ?」曇った顔色には険しさが宿り、アルタは突き刺さるような眼差しをリボンに向けた。
「一か月くらい前にマリスの洞窟で一枚……。最近は……五日前……」
「なのに、どうして、お前はそんなに落ち着いていられる? 迷夢は……誰よりも危険だ」
「誰よりも危険かもしれないが……。それは迷夢の進路上にいる時だけだ」
「だぁ〜れが危険だって? わたしほど、安全なやつはいないよ?」
 それもまた、全くの不意だった。半開きになったままの扉の影から、黒い翼が覗き、黒い装束の女が姿を現した。マリス? 否。リボンとアルタの焦りと愁いを含んだ視線が全てを語る。
「迷夢……」
「……今日は客人が多いな」リボンはあまり嬉しそうでもなく呟いた。
「し、死んだんじゃなかったのか?」今さら、狼狽したような口調だった。
「失敬な」迷夢は憤慨して、アルタを上から下まで睨め付けるようにジロジロと眺め回す。「わたしを誰だと思ってるの? 迷夢よ、迷夢。死んだって死なない。……と言うか、その前に死んでないから、勝手に殺さないでもらえるかな。シリアちゃん?」
「ちゃん付けで呼ぶな。せめてくんと呼べ」
「わたしとシリアちゃんの仲よ。それとも」迷夢は意地の悪い笑みを浮かべる。「サスケちゃんの逆鱗に触れるのが恐い? そーそーサスケちゃんは元気? それともくたばった?」
「嫌な言い方をするな、お前。……親父は死んだ。お前との戦いでの傷が元でな……」
「ほぉ〜ん♪ 秘技、百年殺しはフェンリルにも有効なんだ。メモっとかなくちゃね?」
「……その軽い口。昔から全然変わっていないんだな」呆れたようにリボンは言う。
「まあね」あっさりと返事。「だって、これがあたしのステータスだから。しょうもないじゃん?」
「ねぇねぇ、リボンちゃん」そこへ突っ伏していたセレスが起きあがって、二人の会話に割り込んだ。「バッシュの家は『オレの領域だから大丈夫だ』って言ったの誰だっけ? 不測の事態でも何となるとか言ってたけどさ、いいの? これ?」
 セレスは迷夢を思い切り指さした。
「……」迷夢はセレスの発言について、ひとしきり考えた。「リボンちゃん?」ちょっと訝ったが、すぐにピンと来たようだった。「じゃ、わたしもリボンちゃんって呼ぶ〜」
「お前はそう呼ぶな、断固として拒否する!」
「いいから、いいから、そんでさ。とりあえず、自己紹介するから、迷夢です。よろしくっ♪ これから」瞬間、瞳が鋭く煌めいた。「とってもお世話になると思うので、よろしくねっ♪」
 そして、初めて迷夢は居間にいた顔ぶれを一通り確認した。
「ふ〜ん。そうそうたる顔ぶれですね……。精霊王さま。かつての英雄の名を継ぐもの。レルシアの子孫。エルフの子猫ちゃん、その一、その二、おばさん一人。おまけ一……」
「お、おばさん?」
「おまけ?」
「あ〜、他意はないから細かいことを気にしないでもらえる?」
 迷夢はやる気なさそうに左手をひらひらさせてバッシュとレイアを軽くあしらう。と、リボンは目配せをして二人を黙らせた。
「お前はこんなところに何の用だ?」リボンは胡乱そうに迷夢を睨む。
「さぁてね? ふふ、そんなに睨まないでよ。照れるから」微笑みを絶やさない迷夢をよそに、リボンの表情はドンドン険しくなっていく。「はいはい、判ったから。怒らないでね」手をひらひら。「愛しのマリスちゃんがお目覚めだから、ついでに旧知の仲の人のところにも顔出そうかなって。だってさ、挨拶なしなんて失礼でしょおぉ? ねぇ? シリアちゃんは出世したしさ」
「……そんなことを言いにわざわざ来たのか?」
「ううん」迷夢は首を横に振る。「敵中視察。と言ったら、納得してくれるのかな?」
「すると思うか?」
「する訳ないだろうね わたしでも納得しないから」ケロッとして迷夢は言う。
「……あなたが来た理由を聞く前に、わたしが聞きたいですね。あれはあなたの仕業ですか?」
 シェラは臆するのでもなく、毅然とした態度で尋ねた。
「あれってあれ?」シェラは頷く。「なぁ〜んだ。よく判ってるんじゃない」
 迷夢は腰の後ろで手を組んで、ポンと空を一つ蹴った。それから、顔を上げ、瞳だけシェラに向けて、微笑んだ。全く、悪びれる様子もなく、それが当然だとでも言いたげに。
「けど、わたし一人を悪者にするのはやめて欲しいなぁ」迷夢はクスクスと笑う。
「何がおかしいのです?」
「おかしくはないよ。別に。ただ……滑稽だよね。こんな下らないものを必死に守ろうとする何てさ? ……もちろん、アルタは知ってるんだものね?」目を細めてアルタの顔を覗く。
「何も……知らない」お茶を濁したようにごにょごにょとアルタは言う。
「ふ〜ん? まあ、そゆことにしておいてもいいけど」ジロジロ。
「オレたちをおちょくるのもその辺にしておけよ」
「はは、あの時のベイビーちゃんも随分お大きくなって、貫禄もでたねぇ。もう、抱っこなんか出来ないね? けど、抱き枕にならなるかな」
「残念だが、抱き枕は先約があるんだ。諦めてもらわなくちゃな?」
「ちぇっ、残念」心底残念がっているようだった。「ま、いいけどさ。……聞いてもいいかしら?」
 突然、真顔になって迷夢は言った。
「何を聞く? 今さら?」胡乱そうにリボンは言う。
「判りきってるくせに。ずるいんだから。……千年前の答え。気が変わったんじゃないかと思って。あなた、わたしたちの仲間にならない? ――あなたたちでも構わなくてよ」
 迷夢の瞳に悪戯な煌めきが宿る。
「……なぁ?」サムが唐突に口を開いた。「仲間になったら特典でもあるのか?」
「特典? そんなの有り余るくらいあげるよ」
「迷夢さん?」デュレはおずおずと尋ねた。
「なぁによ。ダークエルフの子猫ちゃん、え〜と、その一」
「子猫ちゃんではありません。デュレです」毅然として睨む。相手が誰であろうと、それだけは譲れない。「きちんと名前を呼ばないなんて、失礼です」
「はいはい。そのデュレは異常にお堅いのね。面倒くさい。で、何?」
「面倒くさいなら、単刀直入に行きます」デュレはストレートな眼差しを迷夢に送る。「折角、会えたのだから、聞いてみたいとさっきから思っていました。あなたの真意はどこに……」
「どこにもないよ」即答。しかも、あっけらかんとしていた。「楽しければそれでいいのよ。レイヴンみたいに生真面目くんとか、マリスみたいに学者肌ってワケでもないのよ。ここに来たのだって」
 迷夢はニヤリと笑って、言葉を切り、デュレの顔をしげしげと見詰める。
「今回の相手は歯ごたえがあるかなぁって」
「歯ごたえ?」
「……? あ、間違った」左手を口元に押し当てる。「手応えね。揚げ足取りしなくていいから」
「……また、お前はそんなしょうもないことをしようと考えてたのか?」リボンはどうしようもなく呆れたようだった。「そのはた迷惑なところは昔から全然変わっていないな」
「ま、ね。それがわたしの取り柄だから。楽しければ、万事オーケー!
「そんなの、迷惑ですっ!」デュレはテーブルの天板を叩き、立ち上がった。
「そお……? ……なら」迷夢は口元を歪めた。「ここで終わりにしよっか?」
 迷夢の瞳が険しく、けれど、どこかに柔らかさを湛えながら煌めいた。同時にリボンが叫ぶ。
「まずい、逃げろっ!」
 リボンはテーブルに飛び乗ったつもりで、間違ってセレスの頭を思い切りよく踏んづけた。
「ぎゃんっ! 踏むなっ、このケモノめっ!」
 そして、セレスを踏み台に、リボンは迷夢に飛びかかる。迷夢の瞳が不敵に煌めき、腰に吊ったノックスの剣の切っ先をリボンに向けた。
「待て」
 サムが動いた。迷夢は瞳だけでサムを捕らえ、剣は一直線にリボンをなぎ払おうとする。サムは剣を引き抜いた。が、このまま、リボンと迷夢の間合いに割り込もうとしても間に合わない。だから、サムは迷夢が振り下ろす剣の軌跡を読んで投げつけた。剣は刀身に辺り、迷夢の剣は吹っ飛んだ。
「やるね、イクシオン」迷夢は笑んだ。「けど、そんなんじゃ終わらないよ」
 そして、迷夢はハイキックでリボンを蹴り飛ばした。そこへサムがタックルをかまそうとしたが、迷夢はあっさりと身を引いてサムをかわす。迷夢はよりずっと崩すことのなかった笑顔から、凍てつくようなクールな表情に変わる。
「目覚めよ、光の瞳。その美しき光玉の彼方よりあまたの次元を駆け抜ける真実の道しるべ我が前に現せ!」迷夢は大きく息を吸った。
「よせ、迷夢」リボンの声に迷夢は静かに首を横に振る。
「開け! クラッシュアイズ」
 突き出された右手に、白い線で描かれた小さな瞳が浮かび上がる。それに蓄積される光の度合いが高まると閃光が走る。そこから、幾重にも重なる白い光線がほとばしった。
「ミラーフレームっ」
 虚空を切り裂き、大きな鏡面加工の物体が姿を現す。ギィイン。激しく、甲高い金属音が響き、刹那だけ、鏡面に波紋が走ると迷夢の魔法を弾き返した。
「ちっ、ダメか」
 迷夢ははね返ってくる魔法を余裕でかわし、標的を失ったそれは戸口を突き破り飛んでいった。
「へぇ……。流石、レルシア直系の子孫だけあるよね? 咄嗟に魔法を繰り出すなんてフツーは出来ないよ。大抵の連中はそれで終わっちゃうんだけどなぁ……」迷夢は意味ありげにニヤリとした。
「そうですか?」シェラはポーカーフェイスを崩さない。
「あなたがここに生きていられる理由はそれよ。年寄りのくせに判断は早いし、動きが俊敏なのよ。そことこは誉めてあげるね」
「嬉しくありませんよ……」
「だろうね。でも、そんなの関係ないもん。あたしはやりたいようにしかやらない」
「迷夢っ!」
 事態の展開にようやく追いついて、デュレは闇護符を掲げ、セレスはリボンに踏んづけられた痛手から立ち直り、壁に立てかけておいた弓を手に取り構えた。
「おっそ〜い」迷夢は微笑む。「そんなんじゃあ、マリスやレイヴンに秒殺されちゃうよ。あの人たち、わたしよりもずっとずっと強いんだから。それにさ。わたしが来た時点で、臨戦態勢。違う? ……だって、リボンちゃんから、そんな話を聞いていたんでしょ……」
 迷夢の表情が一転して険しくなった。
「敵は一人でも少ない方がいいでしょ?」口元を歪めて、いやらしくニヤリ。
「なら、ここで破れるか……、もしくは全部諦めてください」デュレが言った。
「そうはいかないんだなぁ、これが。楽しければいいんだけど、楽しいだけでもダメなんだよ」
 迷夢は再び、そのとりとめのなさを取り戻して、左手の人差し指をちっちと振った。
「……一筋縄じゃ行かないみたいです」緊張に染まった声色だった。
「あ・た・り・ま・え。ヴァーチュズとあろうわたしが速攻やられてどうするって」迷夢は得意げにニンと笑った。「わたしに勝ちたかったら、かっちりと作戦を練ることね♪」
「ねぇ、キミさ。むかつく性格してるとか言われたことない?」セレスは遠慮なく問う。
「ははぁ。エルフの子猫ちゃん、その二。ストレートねぇ。そう言う判りやすい性格、大好き♪ けど、思慮が浅くていけないね。もっと考えなきゃ」
 迷夢はケタケタと声を上げて大笑い。
「そ〜んじゃ、帰ろうかな。このメンバーなら、二回戦はわたしの勝ちよ? リボンちゃん。……アルタ? 折角、千年ぶりに会ったんだからさ、どっか飲みに行かない? ここ、用事ないんでしょ?」
「あ? ああ、そうするか」困惑なんか通り越えて、どう対処していいか判らない。
 そんな様子のいまいち、煮え切らないアルタを引っ張って、迷夢はさっさと出て行った。
「ねぇ、あれって何なの?」迷夢のいた方を眺めながら、セレスは言う。
「……あれが迷夢だ。掴み所がなくて、飄々としてるというか。ふわふわしてるというか。説明できない、あんなの」リボンはさじを投げる。
「追わなくていいのか?」サムだ。
「追うだけ無駄だ」リボンは右まぶたを釣り上げた。「作戦も練らずに闇雲に追っても、痛い目を見るだけだ。レイヴンの時だって、彼が引いてくれたから、事なきを得たんだろう?」にやり。
「うぁ、どうしてそんなことが……?」
 レイアはうろたえた。レイヴン相手にいいところなしでは立つ瀬がない。
「判るよ。伊達に千年も精霊王をやってない」クスリとする。「恥じることはない……」
「そう言われると面目ないな。まだまだ、精進しなくちゃ」
「一人じゃ勝てない。……七人のチームで初めて、互角になる。天使はそう言う相手だ」
「だよなぁ……」リボンの言葉に反応して、サムがしみじみと言った。
「しかし、アルタは判るとして、何故、迷夢はわざわざここに来る必要があったのですか?」
「そんなの迷夢に聞けば良かっただろう?」と言いつつも、リボンはうっそりと答える。「――あいつは少なからずマリスやレイヴンと絡んでるんだ。ただ、目的が違うんだよ。あいつの場合」
「楽しけりゃいいって?」
「違う……」リボンは妙に自信なげに言った。「と思う」
「……敵とは一括りに出来ないか――」
「そうなんだろうかな……。レイヴンもマリスも良く理解できる奴らだが、迷夢だけはよく判らないやつだったよ。ま、ガキの時分の印象だから、何とも言えんが……。変わってなかったな」
 感慨深げにリボンは言った。