12の精霊核

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52. spirit of darkness(闇の精霊)

 生まれた場所は暗闇だった。それから、ずっとずっと一人で誰もいない。外に出ても、どこまでも瓦礫の山が連なっているだけ。二百二十四年前に生まれた時、そこは大きな街の民家の地下室だったと記憶している。スレンダーな男が住んでいて、よく構ってくれていた。口は悪いけれど、優しくて、色んなことを語りかけてくれた。街のこと、自分のこと、仲間たちのこと、天使のこと。――そんな他愛もない記憶の中に一際、鮮烈に残っているイメージがあった。黒い髪、聡明そうな黒い瞳。じっと、わたしを見詰めて、名前をくれたヒト。忘れない。覚えてる。早く、ここから連れ出して……。

 セレスとデュレは朽ち果てた瓦礫の山の前に立ち尽くした。サムの指摘が正しければ、この場所がかつてサムの家だった場所なのは間違いない。しかし、目印になりそうなものは何もなく、風化した瓦礫の山がどこまでも連なっているだけだった。
「……ここがあのサムの家……?」
「そう……みたいですね……」言葉少なにデュレは言った。
 万が一にでも精霊核が破壊されていたり、破壊されていなくても精霊が存在していなかったら。デュレは緊張の面持ちでつばをゴクリと飲んだ。さて、次なる問題はどうやって地下室に入り込むかだった。この様子では普通に地下室にはいることはほぼ不可能だ。デュレは腕を組んで、眉間に深いしわを刻みながらウロウロと歩き回りだした。
「で、デュレ。ここがそこなんだとして、どうやって、中に入るの?」
「それを今、考えているんですっ!」噛みついた。
「お〜怖!」セレスは自分自身をギュッと抱きしめた。「フォワードスペルで突っ込むしかないんじゃない。瓦礫を掘り起こして短時間で入口を掘り当てるのは非現実的。限られた時間を有効活用するにはそれしかないと思うんだけどな?」
 セレスにしては妙にまともなことを言うとデュレは思った。しかし、フォワードスペルを利用して地下室に入るにはリスクが大きすぎる。地下室がどんな状況になっているか全く判らない。万が一にでも、フォワードスペルでの出現場所に大きな石が転がっていたら一巻の終わりだ。けれど、今はそのリスクを冒すべき時かもしれない。
「セレスもたまにはいいことを言いますね」
 デュレは悲壮な笑みを浮かべた。一か八かの大勝負。デュレは闇護符を使うのではなく、正式な魔法を使うことにした。地下室がどうなっているか判らない以上、精度の低い闇護符は避けたい。と言って、精度が高めの本式の魔法を使ったからと言ってどうなる訳でもないのだが、ホンの少しだけでもいいから、不安を払拭したいのだ。
「我が名はデュム・レ・ドゥーア。闇の力を操るものなり。闇は邪にあらず。追憶の片鱗に住まう孤独の想い。善良なる闇の神、シルトよ。呼び声に応えよ。空間を歪め、飛翔する力を我に与え賜え。……シメオン、イクシオンの地下室に通ずる道を開け。……フォワードスペルっ」
 デュレが呪文を唱え始めると、虚空の一点から白い光がほとばしり、そこを始点としてぐるっと直径二メートル程の二重円が描かれた。次いで、円と円の間を埋めるように古代エスメラルダ文字が湧き上がるように現れる。さらに円の内側に上下に相対する正三角形が同時に現れ、六芒星を形成する。それから、最後に重く閉ざされたまぶたが描かれた。
「だ、大丈夫?」ビクビク。
「言い出しっぺが何を言ってるんですか。行きますよ? キャリーアウトっ!」
 実行の合図を出した途端、魔法陣の瞳がカッと見開かれた。

 

“善良なる闇の精霊”
 どうしても、その精霊の力が必要だった。けど、あの時は生まれたばかりの小さな精霊核で契約するには早すぎた。契約するためには精霊が生まれている必要があった。“記憶”が自分の意思を持った時始めて契約することが出来るのだ。
“そいつは立派な精霊になってる俺が保証してやるよ”
 二百二十四年前にシルトとの出会いがあった。ひょっとしたら、この旅はこのためだけにあったのかもしれない。たった一つの出会い。1516 Leo 25の出発直前のその日にリボンは知っていたのに違いない。次に巡ってくるその日までデュレはにシルトと知り合っていなければならいと。
(でも、互いに名前を知ってるだけじゃ何にもならない……)
 精霊は……特に精霊核を持つ精霊は警戒心が強く、見も知らぬものとは易々と契約などしてくれない。二百二十四年後滅んだシメオンで、偶然に彼女(彼?)を見つけることがあったとしても、仲良くするためにはさらに長い時間が必要だろう。
「シルトと契約ができたら、きっと、封印を破れる」
 そして、デュレの手にはシェラからもらったリボンの思い出、ゼフィのアミュレット。

 

 気がついた時、デュレとセレスは真っ暗闇にいた。少しだけワインの香りがする。セレスの愚痴や文句が聞こえないところをみると一応まともに空間転移は出来たらしい。しかし、光の全く射さない完全な暗闇では夜目の利くデュレといえど何も見えない。
「シルト! シルト、どこにいるの?」
「く……、暗くて狭いところは大っ嫌いなのよ」セレスはデュレの背中にくっついた。
「うあっ! 暑苦しいからくっつかないでください」デュレはセレスに肘鉄を喰らわせる。
「だってぇ……」セレスは泣き声を出した。
 デュレは無下もなくセレスを突き放した。今はじゃれている場合ではない。デュレは微かに唇を動かして何事かの呪文を唱えた。ライトニングスペル。デュレの右手の平から光の球がほわっと浮かび上がる。その球の灯りが辺りを仄かに照らし出した。
 キラリ。
 闇の中に煌めくものが見えた。漆黒の深い闇色のそれは精霊核のようだった。縦に長さのないこの空間にデュレの身の丈の三倍はありそうな精霊核が斜めになって無理矢理に収まっている。あの手のひらに乗るくらい小さな精霊核がこれだけ大きくなっているなんて。
「闇の精霊・シェイドの精霊核。この前、見た時はホンの赤ちゃんだったのに……ね?」
「精霊核が成長していても、精霊がいないとダメなんです。精霊核だけがあっても、それだけではただの記憶の塊……。意思を持たなければ記憶の魔力は絵に描いたお餅です」
 デュレの中に焦燥が募った。自分の名付けたシルトが精霊として存在していなければ、どうしたらいいのだろう。ジーゼに協力を仰ぐにしてもエルフの森に行くような余裕はない。
「――デュレ……」
 セレスは考え込むデュレの肩をポンと叩いてその方向を示した。
 闇の中に赤い瞳が二つ見える。デュレはライトニングスペルを瞳の見えた方にふわふわと移動させた。すると、シルバーブロンドの髪、真っ白い肌、真紅の瞳した人の姿をしたものが目に入った。
「……女の子……? シルト……ですか?」
 シルトと呼ばれた女の子は眼に涙を浮かべて、堪えきれない衝動を必死に抑えるかのように頷いた。そして、赤い瞳からぶわっと涙が溢れ出す。袖で涙をぬぐい、シルトはデュレに飛びついた。
「待ってた、ずっと待ってたよ」
「感動の再会ってやつですか?」感動の欠けらもなさそうにセレスは言う。
「精霊核にデュレの姿が映ってからずっと、待ってたよ。いつか、きっと迎えに来てくれると信じていた。だって、キミはワタシに名前をくれた大事な人だから……。キミならただ暗いだけのここから広い世界を見せてくれるって信じてたから……」
 シルトはデュレにしがみついて頬をすり寄せた。思わぬ伏兵の出現にセレスは何だかよく判らないがいい気分がしない。セレスは苛々としてデュレとシルトを引き離した。
「べったりとくっつくのは後にしなさいよ」
「焼き餅を焼いてるでしょ? 恥ずかしい」シルトは冷めた眼差しをセレスに向ける。
「にゃいっ!」セレスはギュウッと握り拳を作って、怒りの眼差しをシルトに向けた。
「セレスは黙ってなさい」
 ゴチン。デュレは容赦なくセレスの頭にげんこつをくれた。
「うぐぐ……。――だから、それはやめてって……これ以上、おバカになったら困るから」
「それ以上、おバカになるはずがありません」デュレはセレスに一瞥をくれると、シルトに向き直った。「シルト、力を貸してください。わたしと契約してください」
 シルトは契約の意味を知っているだろうか。デュレの脳裏を一抹の不安がよぎった。シェイドがドライアードのように横のネットワークを持っていたらきっと知ってる。けれど、こんな廃墟となったこの場所と他のシェイド、がいたとしたら、と繋がっているのだろうか。
「ワタシがデュレに力を……貸すの……? 契約って何?」
 案の定と言うべきか、シルトは何も知らないようだった。デュレはアミュレットをシルトの目の前にかざしてよく見せようとした。シルトは珍しいものを見るかのようにマジマジと見詰めていた。
「キレイ……」
「銀色の六芒星の真ん中の六角形に精霊核の欠けらを埋め込むの。そうしたら、シルトとわたしは魔力的につながりを持てるようになります。それが契約すると言うことです」
 デュレは熱心に説明しようとしたけれど、シルトはちんぷんかんぷんそうにアミュレットを眺めているだけだった。そして、シルトはキョトンと首を傾げた。
「欠けら……って、どう作るの?」
 ジーゼに訊けばすぐに判るだろうけど、そう簡単に物事は運ばない。デュレは思わず、うなり声を上げた。シルトが知らないだろうコトを全く考えていなかった自分の浅はかさが腹立たしい。
「じゃあさ、あたしの鏃で削り取ってみない? それ、硬くないんでしょ、柔らかいんでしょ?」
「ダメっ!」シルトは自分の精霊核の前に立ちはだかった。「痛かったら、やだもん」
「……。……痛くは……ないんじゃない?」セレスは精霊核を右手の人差し指でつ〜っと触れてみて、ニコッと微笑んだ。「……それとも、くすぐったい?」
「き、気安く触らないでよ。キミに触れられたら汚れちゃうじゃない」
「汚れるって、あの〜。それはちょっと言い過ぎ何じゃない?」
 デュレは考えあぐねた。精霊核をアミュレットの六芒星にはまる綺麗な正六角形に成型するにはどうしたらいいのだろう。触ると柔らかい印象を受けるが、ノミや金槌でどうにかなるようなものでもないだろう。デュレは腕を組んで、険しい表情で漆黒の精霊核を見詰めた。
「シルト……」デュレは優しく撫でるように言った。
 デュレはシルトの右手をとってアミュレットをギュッと握らせた。シルトは不安そうにデュレの顔を見上げる。デュレはニコリと微笑んで、シルトの背中を押して精霊核に促した。
「アミュレットの六芒星のある方を精霊核にかざして、ゆっくりと近づけて……」
 とデュレが言うと、シルトはますます不安げで今にも泣きそうな顔をしてデュレを見上げた。デュレはその視線をしっかりと受け止め、力強く“大丈夫だよ”と頷いた。シルトはまだまだ不安が残っている様子だったけど、意を決し、アミュレットをかざして精霊核に近寄った。
「……」黙っていると手が震えて止められない。
 シルトは手を引っ込めてアミュレットに視線を落として、ひとしきり考えた。まだ、カタカタと手が震えている。けれど、契約したらデュレとどこへでも行けるに違いない。死に絶えたシメオンで永遠か、それとも一時の恐怖に耐えて“フツー”の精霊のままでは得られない広い世界を手に入れるか。シルトはギュッと唇を噛んで、再び、精霊核に向けてかざした。すると、アミュレットは仄かな光をその身に宿した。光はまるで心臓の鼓動のようにゆっくりと、力強く脈動し始めた。それを見るにつけ、とうとう、シルトは立ち止まった。足が小刻みに震えて歩けないようだ。
 シルトはそのまま固まって、チラチラと助けを乞うかのようにデュレを見ていた。
「――判りました。一緒にやりましょう」
 シルトはホッとアンドの表情を漏らす。デュレはシルトの手を取ってアミュレットを近づけた。シルトはおっかなびっくりに、デュレは確かな足取りで精霊核の前に立ち、アミュレットを精霊核にくっつけた。シルト自身で精霊核の欠けらを作れないなら、選択肢はこれしかない。
 精霊核の表面はゼリーのような不思議な感触がした。
 そして、デュレとシルトの手にあったアミュレットは精霊核に吸い込まれた。
「あ……。ね、デュレ。これ、ワタシ、どうなっちゃうのぉ?」
「大丈夫です。何もどうなったりはしませんよ」
 デュレも契約の中でアミュレットがどのような役割を果たすのかいまいちよく理解していなかった。書物によれば、アミュレットを介して精霊と主従関係を結ぶこと。その見返りとして精霊は精霊核の制約から完全ではないものの少しは解放される。どういう現象が伴うかまでは言及されていなかった。アミュレットは精霊核の中をしばし遊泳すると、乾いた音を立てて落下した。
 デュレは腰をかがめてアミュレットを拾うと、シルトの首からそっとかけた。
「これはあなたのものです」
「ワタシの……?」シルトはキュッとアミュレットを握ってデュレを見上げる。「ワタシはここから自由になれるの? デュレと一緒にどこへでも好きなところへ行ける?」
「どこへでも、シルトの好きなところに行けますよ」
「ホント?」シルトは華やいだ嬉しそうな声を出した。
「本当です。でも、その前にすることがあるんです……。わたしと一緒に来てください」
 まるで交換条件のよう。シルトはその意味が判らなくてデュレの眼差しを受け止めていた。誰かと共に、孤独ではなくなって、ここではないどこかに行ってみたい。でも、“その前にすること”って何だろう。シルトの泳ぐ視線がそのことを物語っているかのようだった。
「シルトってさぁあ、外に出たことはあるの?」セレス。
「……あるよ。――でも、とても淋しいだけだったから……」シルトは床に視線を落とした。「だから、ワタシはずっとここに居た。デュレが来てくれたら一人じゃなくなると信じてた――」
 外に出るのは初めてではなかった。誰かの姿を求めて夕闇の迫る頃、明け方早朝の薄暗がりの時間帯に外へ出てみた。けれど、生き物、植物さえ見ることもなく孤独が深まるだけだった。それから、地下室の暗がりに身をやつす。広い空間にただ一人よりも、狭い暗がりに膝を抱えてうずくまっている方がホンの少しだけ気が紛れるような気がした。
「もう、淋しくなんかありません。あなたにはわたしたちがついています」
「うん。そだね。ありがとう、デュレ」
「では、みんなのところに戻りますよ、セレス?」
 と言えば、セレスはデュレの視界から消えていて、地下室の奥の方で何かを物色しているようだ。
「何をしてるんですかっ!」デュレは何故かカチンときて、大声を張り上げた。
「う〜ん?」面倒くさそうな間延びした声。「ワインか何かが転がってないかなぁって」
「……二百年もののワインなんて酢になってるに決まってますっ!」
 デュレはセレスを見つけ出してツカツカと歩み寄るとゲンコツを一発お見舞いした。毎度毎度パターン化されたこととはいえ、今度のゲンコツは本気だったらしい。セレスは悲鳴も、呻き声も、呪いの言葉さえも吐けずに頭をさすった。

「で、キミたちは一体全体何をどうしようと考えて作戦を立てたワケ?」
 迷夢はリボンとウィズを前にして、詰問口調で問い質していた。
「正直なところ、……恥ずかしながら、何も……」頭を垂れて申し訳なさそうにリボンは言った。
「はぁ?」迷夢の眉間にしわが寄った。「この期に及んで、何も考えてなぃい? そりゃさ、マリスには策を弄するだけ無駄だろうけど、行き当たりばったり無策ってのもねぇ……」
 迷夢は腕を組んで考え出した。初めの時は自分の心構えの甘さに、二回目の時は詰めの甘さに泣いた形だ。三回目はそのどれもあってはならない。
「頭数だけは揃ってるんだけどなぁ。魔力総量は全然だものねぇ……」
「そんなにぼやくこともねぇんじゃないか? あれを見ろよ……」
 サムは顎をしゃくってその方向を示した。ウィズ、リボン、迷夢は一斉にそっちを向いた。デュレとセレス。それだけではない。デュレの後ろから小さな影がひょこひょことついてきていた。
「闇の精霊か……。上手くいったみたいね……。けど、精霊として生を受けてからは十年強ってくらいかな。精霊核年齢は……せいぜい二百五十くらい。理想を言えばジーゼくらい……千五百年以上は記憶と魔力の蓄積をして手くれたらねぇ……」
「しかし、相性を考えると闇の属性同士が一番いいからな、やむを得ないだろ?」
「ま、ね。ただ魔力が大きいだけじゃダメだし、精霊の魔力と同期してることが大事なのよね」
 と言ってる間にシルトを含めた三人は迷夢たちの前に辿りついた。
「マリスは?」開口一番デュレは言った。
「まだ、来ていない。諦めてくれてるんだったら、嬉しいんだけどね」
「あらぁ、リボンちゃん、マリスに限ってそんなことある訳ないじゃん。執念深いのよ、あの女。あたしらが引導を渡してあげないといつまでも逆恨みして、追撃をやめないよ」
 逆恨みって必ずしもそうじゃないんじゃないと言いたくなるのをサムはぐっとこらえた。
「執念深いのはてめぇもたいして変わらねぇだろ」
「まぁ、ねぇ。で、エルフの子猫ちゃん、その一……、じゃ失礼だからデュレ。闇の精霊と契約が出来たなら、もちろん、始めるんでしょ? 封印の破壊を」迷夢はニヤリとした。
「ええ、もちろんです……。実行しましょう」
 デュレの表情からは明らかな緊張が読み取れた。
「それより先に……そっちのシルバーブロンド、レッドアイのお嬢ちゃんの紹介はしてくれねぇのか? てめぇにはすでにお仲間かもしれねぇが、俺やウィズには敵かもしれねぇだろ?」
 サムはわざとらしくいかにも悪そうに言ってのけた。本当は知ってる。ずっと地下室にあった小さな黒い精霊核。シルバーブロンド、赤色の瞳、真っ白い肌。間違いなく闇の精霊だ。シルトはデュレのウエストの当たりにしがみついてそんなサムをジィッと見詰めていた。
「ワタシは――あなたのことを知っている……」精霊核の記憶の中にサムの顔がはっきりと残っていた。「あなたはあの家に住んでいた……おじさん?」
「おじさん……? おじさん?」サムは凄みをきかせた。
「お、お兄さん?」
「そう、俺は永遠のお兄さん」サムは大きくうんうんと頷いた。
「精霊の子供をいじめてどうするんだよ」
 呆れ果てたようにリボンは言った。悠長に遊んでいる場合ではない。こうして無駄に時を過ごしている間にマリスが来てしまうかもしれない。ご丁寧に宣戦の布告まで受けているのだ。勿体ぶる必要もない。むしろ、奇襲攻撃を仕掛けられてもおかしくないくらいなのだ。
「いじめてねぇよ。な? え〜と?」
「シルトです」シルト本人の代わりにデュレが答えた。
「な、シルト」サムは不自然なにこやかさでシルトに迫った。
 すると、シルトはデュレの背後に身体を隠して、ひょこっと目だけを覗かせて、サムを見ていた。嫌いでもなく好きでもなくて、何となく気になる存在。それがシルトにとってのサムだった。
「嫌われたみたいだな、サム」
「ガキなんか嫌いだ」サムは久須那のシルエットスキルから視線を逸らして、ふて腐れた。
「ふふ……。まぁ、いいさ」久須那はサムを軽くいなすと、デュレに歩み寄った。「デュレ……」
 久須那が意図したことはデュレには判った。静かなワンフレーズに全てが込められている。“ドローイングを破壊しろ”と。しかし、その反面に“呪詛”進行を食い止めたり、解呪する方法には全く目処がついていない。そう言う意味では見切り発車のようなものだ。だが、久須那に覚悟できているというのなら、止める理由もやめる理由もありはしない。
 デュレは久須那の眼差しを受け止めて、決意を新たに頷いた。
「……シルト……、準備はいいですね? わたしに魔力を貸してください」
「あたしはあんまり良くないんだけど」ぼそぼそ。
「セレスにはきいていません。そもそも、あなたはわたしに従っていればいいんです」
「そんな、ご無体なぁ」
 と哀れそうにしていても、デュレは全く聞く耳を持たなかった。封印の破壊はセレスには恐怖に他ならない。邪なる闇魔法の封印破壊。その発動の際に邪悪な闇に引き込まれそうになったり、何かが飛び出してくるのだという。デュレが封印を壊し、その魔法を詠唱、実行している間のデュレを守るのだ。正直、セレスはそれが怖い。やらなければならないことは判ってる。けれど、デュレを守りきる自信がない。スクリーミングハリケーンで邪なる闇魔法の片鱗を見てしまっていたから。
「てめぇもいい加減に覚悟を決めろ。今更、嘆いたところで始まらねぇし、今、直面していることを一つずつ、建設的に片付けていくのが筋ってもんだろ?」
「そうなんだけどさぁ」元気なさそうにセレスは呟いた。
「それで、俺たちは何をしたらいいんだ?」
「……」リボンはちらりとサムを見澄ました。「オレたちにできることはない。それどころか、迂闊に手を出すと魔法自体を崩壊させてしまうかもしれない」
「なるほど。意外にデリケートなんだな。その何とかっつー魔法は」
「デリケートというのとは違う。傍に寄ると餌が増えるだけなんだよ」
「餌?」一瞬、聞き間違いかと思うほどに鮮烈なイメージがある。
「そう、餌だ。俺たちが闇を覗く時、闇も俺たちを覗いている。ただ覗かれ合うのが普通の闇魔法としたなら、向こうからちょっかいを出してくるのが邪なる闇魔法。それは術者を巻き込む可能性が絶大で、危険等級マックスで邪なる闇魔法を収めた書物は図書館の奥底に封じらた。……が、幾つかはこうして現に残っている」
「そうか。つまんねぇが邪魔者はすっこんでろってことだ。ウィズ、てめぇも変に巻き込まれたくねぇなら、離れてた方がいい。迷夢……は何てことなさそうだなあいつは……」
「あ〜あ、何でこんなに湿っぽくなるのかしらね、始まってもいないのに。辛気くさいところに幸運は舞い込んで来ないのよ。笑う門には福来たるって言うじゃない? だから、笑え!」
「威圧してどうするんだよ、お前は」
「あたしは威圧なんてしてないよ。楽しく朗らか笑って笑ってって言ったの」
「どうして、こんなにまとまりのない連中が集まったんだ……」リボンはがっくりとして肩を落とした。「もういいっ! こんな奴ら放って置いて、さっさとやったほうがいい。それが身のためだ」
「はい。――シルト、頼みましたよ……」
「うん」シルトはデュレを見上げて快い返事をした。
 デュレはシルトを絵に向かせると、自分はシルトの後ろに立って肩に手を乗せた。
「精霊の魔力をわたしの手の中に……」
 首からさげられたシルトのアミュレットがポウッと仄かな光を宿した。精霊核本体からアミュレットに収められた精霊核の欠けらに大きな魔力が送られてきているのだ。精霊核から距離を開けてしまったら、本来の力を発揮できないと言う弱点をアミュレットがカバーする。
「きっと、成功するよ」
「もちろんです」
 柔和な声色で言うと、デュレは瞳を閉じて深く息を吸った。久須那の封印を解く鍵を巡った自分たちの旅もここで一応の終わりを見られる。最初の予定ではここでお終いのはずだったのに、終わりは遙か遠くに遠退いた。あろう事かマリスとの最終対決が待ち受けている。
 全てをきちんと終わらせて、日常に戻ろう。
「闇の魔術師・デュレの名に於いて漆黒の闇の深淵のさらなる深みにアルものよ」
 デュレが闇に対して呼びかけたその瞬間、ハッとするばかりに周囲の雰囲気がガラリと変わった。禍々しいのだ。魔都と呼ばれて久しいこのシメオンでさえもそんな禍々しさは持っていなかった。それが今、背筋に激しい寒気を感じるくらいに高まっている。
 前回のあれとは明らかに違う。魔力が魔法を実行に移せるだけの閾値に達したに違いない。と言うことは再三再四に渡って説明されたあれが始まる。セレスは弓のグリップをギュッと握った。否応なしに緊張が高まっていく。
「我が呼び声に応え、闇の奥底よりうつしよへの道筋を開け」
 その時点で、プイと一対の瞳が姿を現した。
 瞳はキョロキョロとして、デュレの上でぴたりと止まった。闇がこちら側を覗いている。その次の瞬間、ホンの僅かの間だけ瞳が不気味に微笑んで見えた。デュレはそれが醸し出す酷く怪しげな雰囲気に悪寒を感じた。それは明らかに“邪”なのだ。それもより悪意に満ちた。途中で詠唱をやめることは出来ない。けれど、やめてしまった方がいいのかと思うほどにデュレの心臓は早鐘のように鳴っていた。
「よりて、我と束の間の盟約を結び、我の言霊をうつつへ導く」
『ああ……、お前と盟約を結んでやろう――』淀んだ低い声がデュレの脳裏にこだました。
 踏み込んではいけない部分に踏み込んでいくような気がする。“練習は出来ない”その意味がようやく判ってきた。デュレにとってはついさっき、久須那が大反対した訳も。
『――そやつが生贄か……。よかろう……』
 一対の瞳は満足げな様相を示すと融合を始めた。やがて、目は完全になり、目玉ではないものに変貌しつつあった。奈落への通路が開く。その奥でネットリとした闇が蠢き、何かが飛び出して来そうだ。生温い風が穴の奥から吹き出してくる……。
 危ない。デュレは背中に冷や汗を感じながら、呪文の詠唱を続けた。
「漆黒の闇の深淵のさらなる深みにアルものよ。封印の絵に宿りし光を滅し、闇に沈む孤独な光点へ。キャンバスに封じられし魂をうつしよへと解放するものなり!」
『うつしよへと解放する……代償を支払え……』
「じゅ、呪文の詠唱は終わったんでしょ? 封印破壊は終わったんでしょ?」
 周囲を巻き込み禍々しくなっていく空気に耐えきれない。助けが必要となる前に終わって欲しいと切に願わずにはいられないくらいに。
「いえ、まだ、終わっていません。むしろ、これからかもしれません」
 デュレはシルトの両肩を抱きしめて、まだ静かに蠢く奈落への入口を見詰めていた。その“穴”が突如、ドラスティックな変貌を遂げた。“穴”は獲物を狙うかのように大きく広がり、久須那の絵を呑み込んだかと思うとついでにデュレとシルトを呑み込んだ。
「マジ……ですか?」幾分、間の抜けたようにセレスは呟いた。
 何度も何度もデュレを守れと聞かされた。けれど、これでどうやってデュレを守るのだ。
「あの、その、さあ。あたし、どしたらいいワケ? 闇に半身を突っ込んで感じって聞いてたけど、これって全身の間違い何じゃないのっ! これ。キ、キミたちへ、平気そうな顔をしてるけど、これって、とってもまずい状態なんだよねぇ……?」
「ま、そうだわよね。でも、キミ以外の誰かが焦ったところで全然意味がないのよね。だってさ、デュレたちを救えるのはキミだけなんだから」
「あ。あたしだけ?」セレスは自分の胸を押さえてマジマジと迷夢を見詰めた。「何で?」
「この面々でキミがデュレと最も親しいから。“闇”とは全属性のうちで一番厄介な属性なのよ。魔法の上手下手、魔力の大きさだけで必ずしも何とか出来るものじゃない。最後の切り札になるのは……。そりゃ、言うだけ野暮ってもんよね。ま、今すぐ、取り殺されるなんてことはないから、どうにかしてみてちょうだい。エルフの子猫ちゃん、その二」
「でも、蛤みたいに固く閉じたあれを開くのは手伝ってくれるんでしょう?」
 セレスの指差した場所には、縦一文字に亀裂が入っていた。