12の精霊核

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17. spatiotemporal prison(時の牢獄)

 デュレはレイアと一緒に教会の裏庭に出向いていた。ここで魔法の練習をする。封印破壊はともかくとして、その他の闇魔法のスキルアップを図るには広い空間が必要なのだ。
「レイアさん。わたし、さっきの話の中で大切なことを一つ聞くのを忘れていました」
「……何?」
「どうして、マリスを絵に封印しなかったのですか? 久須那さんじゃなく? マリスをこれで封じていたら……」デュレは心許なげに尋ねた。
「細かい事情はよく知らない。だが、これだけはわたしにも言えるよ。氷の封印は完璧じゃない。封じてもその中で時は静かに流れていく。光のように完全に時を止めることは出来ない」
「――久須那さんにかけられた呪いは時限性のものでしたよね? でも、別個に二人とも……」
「二人は無理だった」レイアはポツリと零すように言った。「少なくともわたしはシリアにそう聞いた。久須那を封じるのでさえ魔力が足りないくらいだったんだ。久須那を生かすのと、マリスを永遠に封じるのと……。デュレならどっちをとる?」
「それは――」デュレは答えに窮した。
 即答出来るような問いじゃない。まさに、こちら立てればあちらたたずの状態だった。どちらが正論ともデュレには言えない。どちらも正しく、そして、間違っているのに違いない。
「わたしなら……わたしなら」デュレはうつむいた。「……マリスを封じます……」
 けど、それは声にならない声だった。

 セレスとリボンはアルケミスタの方々を回り回った。セレスがアルタを最初に見たのは人影もまばらな繁華街。かつて見慣れた後ろ姿と黒い翼の男? を見つけた。セレスの中で黒い翼の天使と言えばマリスしか頭になくて、何が何だかよく判らなかった。
「ねぇ、リボンちゃん……」セレスは腰の後ろで手を組んでポンと空を蹴った。
「……? どうした……?」
「もし、父さん……うぅん」首を横に振る。「アルタが悪いことを企んでいたらどうしようって」
「判ったからといって、何も出来ないだろ? 多分」
「何も出来なくても、行動しないのは嫌だから」
 セレスは素直に言った。しないで作った後悔は要らない。ずっと、そう思って生きてきた。同じ後悔をするならしてしまって後悔したらいいんだと考えた。
「そうか、アクティブなセレスらしいな」
 リボンは嬉しそうに吠えた。
「なら、教えてやる。俺の知る限りのこと。とりあえず、一休みだ。そこに座れよ」
 リボンが指したのは閑散としたオープンカフェだった。テーブルが幾つも並んでいるけれど、客は数えるほどしかいない。テーブルに着くと店の奥からウェイターが足音もなく現れて注文をとる。
「珈琲、ブラックで。リボンちゃんは?」
「ミルクがいい」真顔で渋く低い声色。
「ミルクぅ〜? 赤ちゃんじゃあるまいし」呆れたようにセレスは言った。
「そんなの俺の勝手だろ。文句言うな」ふて腐れて、不機嫌になった。
「ははっ! それはそうとさ――何で急に教えてくれる気になったの?」
「……判らん。ただお前はバッシュに似ている。……お前といると子どものころのバッシュを見てるみたいで楽しいんだ。セレスになら何でも話していいと思える。そんなことを久須那も言っていたよなっ!」リボンは半分照れ隠しのような大笑いをした。
「言ってたけど、何でかな。あたしのコトあまり知りもしない癖に」
「そうか? オレはそうでもないと思うぜ?」ニヤリ。
「何で?」セレスは目を細めてリボンにずずいっと詰め寄った。
「何でだろうな? だが、オレはお前の母親をよく知っている。それ以上は言えん」
 十分すぎるくらい喋ってるじゃん。と思いつつ、セレスはおくびにも出さないように努力した。
「……で、アルタのこと……、お前の親父殿だったな?」
 リボンは素知らぬふりをした。
「うん、そう。でも、よく判らない……」
「お前に話すつもりはかったんだがな。だが、無知は時として罪になる」
 リボンは光り輝く真摯な瞳をセレスに向けた。何も知らない方がいい。きっと、その方が大筋で楽だろう。けど、リボンは思った。父親が絡んでるこの件はセレスも当事者の一人。そうであるなら、知らないことはすなわち罪。
「ど、したの? リボンちゃん。怖い顔して」困ったようにセレスは言った。
「あ? 何? 今、そんなに怖い顔をしていたか? オレ?」
 焦ってワタワタしたようにリボンは言う。しかめっ面は不本意だったらしい。
「あははっ、けど、ま、いいんじゃない? どうせ、他人にゃ、キミの表情なんて判らないって。その長い毛並みの白髪の奥底に隠れちゃってさ」
「白髪じゃないっ。薄い銀色、シルバー!」
「どっちだって同じようなもんじゃん」ケロッとしてセレスは言った。「用は気の持ちよう」
「……」リボンは微かに哀しそうにセレスを見た。
「? 気にしてる? 悪意はないよ。別に」
「そんなの当たり前だ! 悪意なんてあろうものなら、とっくの前に噛みついてる」
「あはっ♪ やっぱり」嬉々としていった。
 リボンはセレスに軽くあしらわれてしまって、ストレスがたまる一方だ。セレスと言えば、将来的にリボンに軽くあしらわれれるのだから、憂さ晴らしをするには今がチャンス。
「で?」
「で?」リボンは訝しげにセレスの顔を覗いた。「あ、ああ。忘れてた。アルタ……」
 リボンはにわかに真顔になって、セレスをじっと見詰めた。すぐには喋れない。
「……耳を貸せ」長めの沈黙の末、リボンは重たい口をようやく開いた。その時までにセレスはテーブルに肘をついてダレダレだった。珈琲カップを手に持ってプラプラさせていた。
「……噛みついたりしない?」流し目でリボンを悩殺したつもり。
「誰が噛みつくか」リボンは呆れた眼差しを向けた。「いいから、耳、貸せ!」
「はい、はい♪」
 セレスはいわれたままにリボンの口元に耳を寄せた。そして、聞く。聞いてよかったのか悪かったのか。セレスには判らなかった。ただ、よりいっそうはっきりしたのは今ではなくてもいずれ自分とアルタが決着をつけなければならない日が来るコト。
「はぁ〜ん……」セレスはテーブルに突っ伏して啼いた。
「さぁて、このまま二人で探しても埒があかないな。夕方までには帰らなくちゃならないしなぁ。一端、二手に分かれるか……。そんなに広くもない街だし、大丈夫だろう。あ、そう。見付けたら、尾行! 一人でちょっかい出すなよ」リボンはセレスの性格を読んで釘を刺す。
「う……知り合って間もないのに、よく判ってるじゃん……」がっかり。
「そりゃ、判るさ。お前はバッシュによく似ている……」
「あははぁ、そう? そんじゃさ、またあとで、このオープンカフェで落ち合おうね」
 セレスは椅子をひっくり返して立ち上がると手を振り振り、リボンの前から走り去った。
「……どうして、あいつはああなんだ?」
 リボンはデュレが頭を抱えるわけが理解出来たような気がした。考えるよりも先に行動して、あとで面倒を起こすタイプの人柄。けど、あっけらかんとしていて憎めないタイプ。結局、誰かが彼女の尻ぬぐいをする羽目になるのだ。リボンは嫌な予感を抱えつつ、自分もアルタを捜しに歩き出した。ずっと昔、最後の最後に別れた時に聞き損ねたコトをどうしても問いたかったのだ。その答えを知ったからと言って、アルタへの態度を今更変えるつもりもない。ただ、たった一言問いたかった。輪はどこでつながったのか。
 一方のセレスはリボンがいなくなって、気ままに辺りを見回しながらの人捜し。いつものように弓をカチャカチャと鳴らしながら、手を後ろで組んでフラリフラリ。この間、ウィズを見付けた時もこんな調子だったような気さえしてきた。こんな気持ちの時は、たいてい予感が当たるのだ。
 そして、セレスは見付けた。街角に。さっきと同じ服装の男。ズボンのポケットに手を突っ込んで黒っぽいジャケットとベージュのスラックスをはいている。そして、つと右に曲がった。
「……父さん」
 セレスはアルタにくっついて右に折れようとた。民家の影に隠れ、アルタに気付かれないようにそっと顔を覗かせる。
「あれ……? いない――?」
 セレスは見失ったかと思って、道の真ん中に飛び出した。そして、キョロキョロ。おかしい。姿を眩ませるほどの時間はなかったはずだ。横道も身を隠せそうな場所もない。セレスはもう少し先に進んでみたが、やはり、状況は同じだった。
「……約束した日まで、まだ三日と半もあるぞ。――せっかちなのはバッシュに似たのか?」
 突然、セレスの背後から声が聞こえた。焦って振り返ると、どこから出てきたのかアルタが壁により掛かり、腕を組んでほくそ笑みながらセレスを見ていた。
「……え?」
 セレスは呆然と立ち尽くした。その言葉は相手が誰なのか判っているから吐けたのに違いない。
「お前には九年ぶりになるのかな? ジャンルークは元気にしているか?」
「学園長を知ってるの? ちょ、待って。どうして、あたしと学園長が知り合ってるって」
「時の流れは俺の味方だ」アルタはフッと顔をほころばせた。「セレスの成長を見守っていたよ。お前が魔法学園に入学した時は鼻が高かったなぁ。ははっ、はげ頭の学園長があまりに印象に残ってね。忘れられないんだ、あのぴかぴか頭」
「え……?」セレスは訳も判らずキョトンとしてしまった。
「どうした? 俺が見守っていたら困ることでもあったか?」
 何でこんなに優しいんだろう。セレスは当惑した。九年前、自分を捨てた父親がどうしてこんなに愛しいんだろう。セレスは自分の感情に混乱していた。父親は帰らない。生きてることを信じつつも、心のどこかで死んだと思っていたのかもしれない。アルタの残した謎を追い求めここに辿り着いた。けど、昨日、アルタがホントに生きてると知った時、何かが変わった。セレスがこの時代にいることを知るはずのない父親が自分を知ってる? このアルタが何者なのかセレスは知りたかった。アルタに会いたかった。
「父さん? 父さんは誰?」震えたか細い声だった。
「その質問はおかしいと思うが……」アルタはセレスの心をギュッと掴むかのような笑みを浮かべた。「俺は俺だ。お前の父親」
「ち……違う。父さんはそんな人じゃなかった」
「俺は差ほど変わっていないと思うが……」
 セレスはふるふると力無く首を横に振った。違う。十二歳、シメオン遺跡を並んで見てた時のアルタとは違う。手を握って、その意味も判らずに瓦礫の山を見詰め、遺跡を吹き荒ぶ冷たく乾いた風を感じていた。
「あたしの父さんは優しくなかった。笑顔だってあまり見たことないよ」
「そうか? あの頃は、目先のことでいっぱいで笑顔を忘れていたか」
 アルタは瞬間、遠い眼差しで空を見上げた。
「まあ、そんなことはどうでもいい。十三世紀末、歴史的に価値ある時へようこそ。渦中の人として、歴史の内側からこの世界を見られるなんて途方もない幸運だぞ。……学者として言えば、の話だけどな。一般人、その他大勢には迷惑な話だ」
「……」セレスに言葉はなかった。構わずにアルタは続ける。
「お前も苦労したんだろ? お堅い協会の連中のことだ、お前もトゥエルブクリスタルの謎を解く許可はもらええず、愚にも付かないくだらん遺跡の発掘を命じられ、――ようやく、お前は最後にシメオン遺跡にたどり着いた」と言って、アルタはくるっと振り返った。
「父さん?」瞳に涙をためてセレスは言った。
「……お前が俺を追い掛けてくるのを待っていた」
「追い掛けなかったら?」
「お前は追い掛けてくるさ。判っていた」アルタは左手で前髪を描き上げた。「……歴史が証明している。セレスとデュレがここに来る。1509年、シメオン遺跡を発掘した時に面白いものを見付けたんだ」アルタはすっと瞳を閉じた。「……バッシュの家に行けた。そこで何を見たと思う」
 好奇心に燃えた子どものような瞳をしていた。
「判らない……。そんなの」
「学園の制服とお前の服だ。魔法学園の設立は1398年、十四世紀末だ。シメオンが滅んだのは今年。十三世紀末だな。その因果関係はどこにあるか……」
「言いたいことがよく判らない」セレスは半ば虚ろな瞳でアルタを見詰めていた。
「判らない。か? そんなはずはない。答えはもうお前の手の内にある」
 アルタはフッと笑みを漏らした。
「あたしの手の内に?」目線は手のひらの上に。セレスは虚ろに立ち尽くした。「ウソだ――。そんなの絶対ウソだ! あたしは何も持ってない」
「……」
 アルタは娘に対する慈愛の欠けらも含まぬような冷めた視線を向けていた。けど、すぐに口元がほころんだ。まだ、子どもだなとも思い。やがて、自分が持っていることに気がつくだろう。
 と、そこに黒い影が近づいてきた。真っ黒い装束こそ身につけていないが、黒い翼と黒い髪、黒い瞳がとても印象的だった。
「アルタ。そろそろ刻限だぞ。下準備をきちんとしておかないと。目覚めの悪いお姫様がか癇癪を起こすぞ」楽しげに笑いながらそいつは言った。
「癇癪はおこさないだろ? 何だかんだ言いつつも淑女だぜ」
「まあ、そうだが、そんな小娘なんか放っておいて行くぞ」苛立たしげな尖った声だった。
「――そんなに慌てるな。時間はたっぷりあるんだろう?」
 タッと、石畳を踏み鳴らす音がしてリボンが街角から現れた。
「セレスはアルタに話しかけるなと言ったはずだ……が?」睨む。
「あ、でも――」
 セレスは元気なく、どう取り繕っていいのか判らないような覇気のない返事をした。それに対してリボンはどうこう言うでもなく、アルタに向き直った。
「――三百五十九年ぶりだな、アルタ」
「シリアか……」アルタは声のした方に振り向いた。「……年、とったな。随分と白くなったじゃないか。以前はもっと毛足の長い銀色の毛並みじゃなかったかな?」
「……昔も今も変わらない。俺の毛並みは元から白っぽいんだ」
「フッ、相変わらず連れないやつだ。真面目すぎると損をするぞ」
「かもな。だが、ようやくお前を問いただすチャンスが来た。真面目なのも悪くないぞ?」
「……」アルタは突き刺すようなリボンの視線を負けず劣らない鋭い眼差しで受け止めていた。
「どうした? 顔色が悪い」
「リボンちゃん?」セレスが言った。
「何だ?」リボンはアルタから目を離さずに答えた。
「父さんと知り合い? 友達?」
「……ただの通りすがりだ……、と言いたいところだが」リボンは目だけをセレスに向けた。
「ちょっとした知り合いだ。なあ、シリア?」
 アルタは馴れ馴れしくリボンに手を触れようとする。が、リボンはその手をすいっとかわした。
「お前とは知り合いになりたくなかったな。オレの人生の中で最大の汚点だ」
「『最大の汚点』ね。それはひどく嫌われたものだ」けど、アルタは余裕の表情だった。「では、俺に言わせれば『人生最大の失敗』だな。お前のせいで予定がこんなに狂ったんだ」
「――時の流れは一定不変。お前が勝手に手を加えていいものではない」
「では、こいつは?」アルタはリボンの横で訳が判らなくなって困り果てているセレスを指した。「未来のお前が送り込んだんだぜ?」
「……原因を作ったのはお前だろ、アルタ?」
「――。はっ。判ってるのか?」
「判ってるのはそれだけだ。この一連の出来事はマリスから始まっている。――もう、諦めろ。お前がどんなにがんばってもあいつは帰ってこない」
 そう、リボンが発言した瞬間にアルタの顔がこわばった。
「――お前、この時代のシリアじゃないな? 知るはずもないことをお前は知りすぎている」
 リボンは静かに首を横に振った。
「オレはここのシリアさ。だが、少しは知っている。時がねじれ、その隙間から色んなものがこぼれ落ちてる。例えば……セレスやデュレだってそうだろ」
「まあ、そんなものかも知れないな。だが、お前たちは一つだけ勘違いしてることがある。マリス召喚と俺は全く関係ない。協会史にどう残っていようと。俺は研究のためにあの場にいただけさ」
「では、誰がマリスを召喚した。その場にいたなら知ってるだろう」
「……言ってもいいのか? 信じてたものに裏切られるのは辛いぞ」
「おい、アルタ。いい加減にしろよ」
 アルタの背中から、苛立たしげな声が届く。それを制するとアルタは言った。
「俺たちは時というの名の牢獄に捕らえられた永遠の囚人なのさ。どうあがいても脱獄は不可能。幸い看守はおねむのようだ。ならば、居心地のいいように改造するさ」
「そのことのどこが悪い? とお前は言いたいのか?」リボンは攻撃的な眼差しを向けた。
「ああ。善悪の判断基準など、相対的なものにすぎない。納得出来ない……か」
 アルタは前髪をかき上げた。
「全ては神の御心になどと言うつもりはない。お前がどの時代を見て歩き、どんな感想を抱こうと正直に言えば知ったこっちゃない。だが、運命は受け入れろ。そうでなければ、お前こそ辛い思いをするだけだ。時の復元力はお前の想像を超えている」
 リボンは至極淋しそうだった。セレスは知ってる。そう言った時、リボンの瞳が微かに涙に潤んでいたことを。そして、遙か時の彼方で、精霊王の大切な相棒を亡くしたことを。でも、セレスは知らなかった。リボンがアルタに何を届けたかったのか。
「試してみなければ、判らない」アルタは冷たく研ぎ澄まされた視線でリボンを見た。
 リボンは首を横に振る。
「あいつの……」リボンはセレスをちらりと見、ためらった言葉を切った。「それが起きなければ……違うか……それは形は違っても百パーセントの確率で起きる」リボンはアルタを睨んだ。「何故なら、その出来事なしにこの未来は成立しないからだ――」
「……お前はやはり、ここのシリアじゃないな。どの時代から、紛れ込んだ」
「さあ、な」
 セレスは途方に暮れてしまったかのようにトボトボと夕闇の迫りつつある街並みを歩いていた。アルタは黒い翼の天使と共にどこかに消えた。リボンも不意に用事を思い出したと言って、こちらも一人でどこかに行ってしまったのだ。
「……一人で行動するなってさんざん言った癖に、これってひどいんじゃないかなぁ」
 へこたれてしまいそうだった。ここに来て丸二日、自分の感知出来ないところで、コトが大きく動き始めていることはそれとなく判る。けど、はっきりとした実感がわかない。そうこう取り留めもなく考え事をしているうちに、シェラの教会にたどり着いた。
「お帰り、セレス。……アルタには会えたましたか」
「会えたのは会えたけど、そのデュレの姿はどういうワケさ?」
 セレスはデュレの姿を上から下まで眺め回して言った。その姿はどう見てもいつものデュレには見えない。服装はビシッといつも通りに決まっているけど、その中身はとても疲れ切った表情を浮かべている。今だったら、セレスが悪さをしても何でも許してくれそうな案配だ。
「どういうワケさ。って言われても……見たままですから……」
「どんなときもクールに決めるキミが初日でその有様ってコトは相当ハードね。レイアの特訓って」
「セレスも試してみる?」
 レイアは悪戯っぽい笑みをたたえて、セレスによってきた。
「い?」瞬間、焦る。「いえ、今回は遠慮させて頂きます」
 セレスは小さくなって借りてきた猫のように大人しくなった。
「レイア。セレスは余程あなたのことが怖いようですね」
「シェラさん。こんな優しいお姉さんを掴まえてそれはないでしょう」微笑む。
 ドンドンドン! 玄関口のノッカーが激しく打ち鳴らされる音が奥の部屋まで届いた。
「こんな時間に誰が来たのかしら」シェラが言った。
「あたしだ。開けてくれ」
 聞き覚えのある声が礼拝堂を越えた奥の部屋まで届いた。
「あの大声はバッシュしかいないですね」
「ううっ――。恥ずかしい」セレスはうなじまで真っ赤になる。
「セレスが恥ずかしがったからってバッシュの性格は直らないでしょ?」
「そんなこと言ったってぇ……」訴えかける眼差し。
「じゃ、わたしが日頃セレスに対してどう思ってるか判るいい機会と言うことで我慢しなさい」「うぐぐぅ」そうまで言われてしまっては、セレスは形無しだった。
 レイアが礼拝堂の玄関に行き、閂を外すと堰を切ったようにバッシュがなだれ込んできた。
「ア、アルタがいるって聞いたけど、会ったのか? どこにいる?」
「うわっ! バッシュ。落ち着いて」
「落ち着いてる!」息巻いて凄い形相で、レイアを睨む。
「アルタはもういない」
 開け放たれた扉の外からリボンの声がした。どこをほっつき歩いてきたのか、セレスが教会に帰ってくるよりもさらに一時間くらいあとだった。
「いない?」上擦った声。「サムはアルタがここに来てから二、三か月になると――」
 バッシュは言った後で、しまったというようなハッとした表情をした。
「また、サムのやつか。余計なことを……」
 リボンは唇をかんでぶつぶつ。せっかく、うるさいのをシメオンに置いてこれたと思ったのに、振り出しに戻るとはまさにこのこととばかり、リボンはげんなりしてしまう。そしてまた、このことは新たな杞憂の種をもたらしたのも事実だった。
「……あ〜、もう、面倒くさい! お前ら、さっさと寝ちまえっ!」
「いや、アルタの居所を聞くまでは寝てやらん! 教えろ」
 えらいやつに絡まれたもんだとリボンは思った。バッシュはかなりしつこい性格だから、こう言ったことを納得させるのには非常に骨が折れる。大抵はうやむやに誤魔化すのだが……。
「教えろと言われても困るんだが――」リボンは眉をひそめた。
「ねぇ、あたしらは寝てもいいんでしょ?」この場から逃げ出そうとセレスが言った。
「そっちは勝手にしろ、あたしはシリアに用があるんだ」
「だってさ。デュレは疲れてるんでしょう。折角のチャンスを逃さずに。ねっ!」
 と言って、逃げ出したいのはセレスに他ならない。普段だったら、セレスから率先して混乱に拍車をかけるのだが、今日はとってもそんな気分になれない。
「そうですね……」変なセレスの熱意に気圧されてでゅれは肯定した。
 そして、セレスは我が意を得たりとデュレの背中を押して自分たちにあてがわれた部屋へ向かう。シェラやレイアの居室とは礼拝堂を挟んだちょうど反対側だった。
「はぁ〜あ……。我が母親ながら疲れるわ……」
「そう? ご愁傷さま」デュレはクスクス笑いをした。
「はいはい。もぉ、どうでもいいです。ゆっくり、お休み、デュレ」
 けど、セレスには眠れない夜になった。ベッド脇の水差しで乾きを潤し、頭を抱える。ため息しか出ない。隣で疲れ切ってスースーと寝息を立てるデュレを見てはセレスは悩む。やっと寝入ったと思えば、すぐに朝が来てしまう。「運命のその日に寝不足だったら格好が付かないよ」なんて言ったけれど、こんなんではセレスが先に参ってしまいそうだった。
 と、不意にデュレは目を覚ました。後ろでごそごそと音がする。感じる。
「眠れないの……?」デュレはセレスに背を向けたままそっと言った。
「うん……」セレスは涙に濡れそうになる目をごしごしとこすって、平静さを装った。
「……バッシュのこと?」セレスは首を横に振った。「お父さんのこと……?」
「うん……」力無くセレスは答えた。
「――時の牢獄……。抜け出せない堂々巡りの……メビウスの輪」
「遠いところまで来ちゃったなって。どうしたらいいんだろって」セレスはすっと顔を上げてデュレの背中を見詰めた。「あたしが……バッシュを殺す」セレスは頭を抱えて膝に顔を埋めた。
 そして、長い沈黙。さわさわと夜風に二話の草木が揺られる音だけが二人の沈黙を埋めた。
「どこから手をつけていいのか判らない……」
「セレスがバッシュを殺すっ?」声が裏返った。
「わっ、し〜し〜。みんなに聞こえたら大変っ」セレスはびっくりして飛び上がりそうだった。
「礼拝堂を挟んで、反対まで声は届きませんよ。バッシュの大声じゃあるまいし……」
「そうだけど……」元気のない返事をした。「でも、アルタの言ったことがホントになるんだったら、あたしはどうすべきなんだろう。どうしたら、バッシュを……」
 色々と悩んでいるセレスを見ていると、デュレは心が締め付けられて居たたまれなくなった。でも、慰めようがない。慰めても無意味なことなのはデュレが一番よく判っていた。
「絡まった糸を断ち切ればいい――」デュレは抽象的な言葉を選んだ。
「だからさ、小難しく言わないでよ」
 でも、デュレは素直には言えなかった。マリスの召喚を阻止したらいい。三百年前にアルタがセレスを連れた旅に出ないようにしたらいいとか。でも、それは自分とセレスの出会いがなくなってしまうことを直接意味していた。と、淋しさに放心したかのような瞳から一滴の涙が頬を伝った。
「もうすぐ、約束の日が来ます。それまで待ちましょう。そうしたら、きっと全てが判るはず」

「どうした、アルタ。ずっと、炎を見詰めてる」
「……始めようかと思ってな。ちょっと手荒だが、あいつらにはシメオンにお帰り願おう」
「終わりを……始めるのか?」
「終わりを始めるか。キザに言えばそうなるが……。終わればいいな。呪縛から解き放たれるにはそれしか方法がない。だがな、俺の本当の気持ちも判って欲しい」
「母と娘……か?」
「ああ」フッと、天井に視線を向けた。「――届かないと思う。ただ、家族だったからな。あいつが帰ってこないと判った時から、俺はずっと輪のなかさ。だが、今日のシリアの言ったとおりだ。辛い思い出が重なっていくばかり――。終わらなくても終わりにするさ」
「アルタもやけに感傷的になったもんだ。年取ったってコトか?」
「かもな」否定するわけでもなくそのまま燭台の揺らめく炎を見詰めてアルタは言った。「……いや、ただ、この終わりのない輪から抜け出したいだけなのかもな。終わりにしよう、何もかも」
「ああ、だが、シェラは逃がすなよ。マリスには悪いが久須那と会わせるわけにはいかない」
「――優しいからな、マリスは――。よし、予定より少し早いが……。イレギュラーの方が面白いだろ? ラスト未定のショウタイムの始まりだっ!」