12の精霊核

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30. composition of treachery(裏切りの構図)

「それでお仕舞いさ……。それからセレスと出会うまで、そうだな……かれこれ、千五百七年くらいになるのか?」リボンは思い出を噛み締めるかのように呟いた。
「……? 千五百七年ですか?」デュレが訝しげに眉をひそめた。
「あ、千二百八十七年だな」
 リボンはデュレの視線を避けるかのように何喰わぬ顔をして眼差しを天井に向けた。デュレはそれでも納得しない様子でリボンを凝視し続けた。ずっと、ずっとどこかおかしいと思い続けていた。デュレの目の前にいるリボンは知らないはずのことを知りすぎている。デュレがじぃっと見詰めれば、リボンは無邪気な一見、何でもなさそうな表情をして誤魔化そうとしてるかのようにさえ感じられる。
「どこか、変です……」デュレは半ば独り言のように呟いた。
「ねぇ、リボンちゃん。マリスが再び、異界への入り口をこじ開けようとする前に久須那の封印を解いて、助けてもらったらだめなのかな?」
「ここで封印を解いてはいけない」リボンは言った。
「どうしてさ! マリスが目覚めたってのに、そんな――」
 セレスが更に先を続けようとすると、リボンが遮った。
「いいのか? 久須那をここで呼び覚ますと因果律が崩壊するぞ」
「小難しく言わないでよ。判らないから」
「お前らをここに来させた原因がなくなるんだよ」ここまで言って、リボンは急にもどかしくなってきた。「久須那がここで蘇れば、オレはもう久須那を絵の中に封印できない。あの禁術を使えるのはこの面子の中にいないんだ」
「シェラさんは? レイアさんは?」
 セレスは食い下がる。そして、シェラとレイアの顔を交互に覗き込んだ。
「申し訳ないけど、シリアの言うことは本当なのですよ……」申し訳なさそうにシェラが言った。
「何でなのよ。肝心な時に! じゃあ、何かい? あたしらはこの街が蹂躙されて滅んでいくのをただ黙って見てるしかないっての?」
「セレスっ!」デュレがセレスを止めた時にはすでに遅かった。
「何だって?」バッシュが聞きとがめてセレスに詰め寄った。「もう一度言ってみろ」
「イヤ、だから、あの、その」しどろもどろ。「デュレ、た、助けて……」
「……失言は放ちたる矢のごとく、取り返しはつきません。この責任、どう取ってくれるんでしょうね? この後先考えない突っ走り娘は」悪態のつき放題。
「そ、それはあとでゆっくり聞いてあげるからさ。ね?」セレスは両手を合わせてデュレを拝む。
「この街は滅ぶのか」リボンは立ち上がると感慨深げに発言した。「それはいつだ?」
 デュレは今更黙っていても意味のないことを悟るとリボンに告げた。
「未来のあなたが言っていました。Gemini 24〜27の間だろうと」
「また、随分とアバウトなことを言ったものだな、オレも……。この時代を生き抜いて、デュレたちのところにいるんだろう? それなのに何故」
 そのリボンの言葉の中にデュレは微かな違和感を感じていた。わざとらしい。意図してデュレや、この場に居合わせる面々に知られては困ることを隠しているかのようだ。デュレは何とか鎌をかけられないものかと策略を巡らせた。
「……思い出したくないようなことがあったと言ってましたよ……」
「まあ、あれは思い出したくないことの一つだな……」
 聞いた瞬間、デュレはピクリと反応した。たった一言の中に今までの言葉を覆すだけの威力が秘められていた。恐らく、リボンは何の気なしにポロリと漏らしただけだろう。けれど、デュレにはこの数日の矛盾点を解く糸口になりそうな言葉だった。
「……リボンちゃん。あなたは今までわたしたちにウソを付いてきましたね?」
「何だ? 藪から棒に」まるで気にもとめないかのようにさらりと言った。
「ずっと気になっていたんです。本来のあなたなら絶対に知っているはずのないことを知ってるんだから。今さっきも、初めて会った時も。どこか、違和感を感じていました。もう、単刀直入に聞きます。……わたしたちはあなたとあなたの過去で会っていますよね?」
 デュレは気を付けながら言葉を一つ一つ繋いでいった。
「……セレスはどっちだと思う?」リボンは唐突にセレスに話を振った。
「はい?」セレスは訳も判らない様子でおかしな声の調子で返事をした。「え、何?」
 キョトキョトと誰か助け船を出してくれないかと周囲を探るセレスを横目で捉え、デュレは言葉を繋いだ。もし、自分の立てた仮説が正しかったら、ここに来て釈然としなかった幾つかの事柄に答えが得られるはずだった。
「ホントのあなたは今、ここじゃないどこかにいるんじゃないんですか?」
「どういうことだ?」バッシュが我慢できなくなって、割り込んでくる。「ここにいるシリアはあたしの知ってるシリアじゃないのか?」
「もちろん、バッシュの知ってるシリアだよ。それだけは間違いない」
 リボンは落ち着いた真摯な眼差しをバッシュに向けた。
「それは間違いないですけど」デュレが横取りする。「バッシュのリボンちゃんでないこともほぼ間違いないと思いますけどね? 違いますか、リボンちゃん。いい加減、白状なさい」
 瞬間、デュレとリボンの睨み合いになった。初めに視線を逸らしたのはリボン。口元をふっと綻ばせて軽く、ホンの微かに微笑んだ。
「ちぇ、ばれないと思ったんだけどな」リボンはクルリとデュレの足下を一回りした。「そう、お前の思うようにオレはここのオレじゃない」
「でも、言ったじゃない。あたしたちはこれから出会う。二百二十四年捜し続けたんだって。けど、それならあたしたちはもうすでに出会ってるんじゃないの?」
 セレスはデュレの言う“真実”を受け入れられないかのように、リボンに食い下がる。
「いいや」リボンは首を横に振った。「これから会うのはホントさ。そんなのはいずれ判るからいいな? ……しかし、それじゃ、オレがここにいる説明になってないな」リボンは瞳を閉じてちょっと考えて、ちらっとデュレを見た。「お前の見た夢のメッセージはこれからオレたちが――送り出すはずのものだ。その中にオレがオレに宛てたメッセージがあったのさ。セレスにはデュレからのメッセージしか知らないだろうけどね」
 リボンは諦めたかのようにとうとうと語り出した。
「セレスが夢を見るようになったのはオレと行動するようになってからだろ?」
「う? うん?」セレスは遠い記憶に狼狽えたように返事をした。
「それも夜、オレが一緒にいる時だけだ。ま、オレもそうだったけどな」
 リボンはタンとジャンプしテーブルに飛び乗ると、セレスの顔の前にうずくまった。
「最初は判らなかったよ。……細かいことは省くが、これだけはやっと判ったよ。……ウィズが遺跡に来る前の最後の晩に。オレがここに来るんだとね。しかし、迷夢もアルタも……誰も……バッシュでさえも気付かなかったのによく判ったな」
 リボンはセレスの隣に座るデュレの方を向いた。
「なんか、この前、分かれた時とあまり雰囲気が違わないんです。二百二十四年ですよ? リボンちゃんくらいになったら見てくれは変わらないような短い時間でしょうけど、二百二十四年前のリボンちゃんとこの間別れてきたばかりのリボンちゃんがこんなに似てるはずが……」
「ないってかい?」リボンは横取りして、ニヤリと微笑んだ。
「そう言うことです」デュレはリボンの瞳を真摯な表情で見澄ました。
「ってことはキミはいつのリボンちゃん?」セレスが聞いた。
「十日後だ」また、向き直る。「あぁ、だが、その間のことは今度こそ教えてやらん」
 ときつい口調で言うリボンの瞳は密やかに微笑んでいた。
「ちょっと待て、あたしたちをおいて、そっちで勝手に盛り上がらないでくれ」
 バッシュはいよいよ業を煮やして割り込んだ。
「じゃあ、あたしのシリアくんはどこだ?」
「エルフの森の……ここからずっと南に行った小さな森だよ。そこのジーゼと言うドライアードのところにいる。ま、案ずるな。あいつは適当に元気だぞ」
「じゃ、これはあたしのリボンちゃんなんだ」
 セレスはリボンの首筋に力一杯しがみついた。
「だから、お前はよせ、首が絞まる」かなり本気でリボンは言った。
 バッシュはぎゅっと左手を握って考えた。リボンの言うことが真実なのだとしたら、自分はこの場にいるべきか、それとも、自分のシリアに会いにエルフの森まで出向くべきか。どちらも、同じリボンであることは間違いない。けど、バッシュにとってのリボンはこの時代に住まう方に他ならない。そして、バッシュの出した結論は――。
「サム、ティアスを貸してくれ」神妙な面持ちでバッシュは言った。
「――」サムは親指で背後の戸口を指した。「外に出て口笛を吹けばすぐに来るさ。あいつは特にバッシュみたいなアクティブで魅惑的な女にはめっぽう弱いんだ。地の果てだろうと、星の裏側にいようともてめぇの為ならすっ飛んでくるぜ」
「ありがとう」バッシュは壊れた戸口に走りかけ、立ち止まってサムに礼を言った。
「礼なら俺じゃなくティアスに言えよ」
「ああ、そうするよ」バッシュは優しげに言うと今度こそ、飛び出ていった。
 そして、口笛が聞こえると、まもなく、何か巨大なものが飛翔するような羽音が聞こえた。
「――せっかちな奴だ」リボンは瞳を閉じて感慨深げに呟いた。
「……愛されていたんだね、キミは」
「ああ、これ程までのはないくらいにね」少々自慢げにリボンはお澄ましした。
「ってことは何? あたしじゃあ、キミは満ち足りないというのかっ」
 セレスは目と鼻の先の距離で、瞬間、目を合わせるとそのふかふかの首筋にしがみついた。
「だから、やめ! 誰もそんなことは一言も言っていないだろ」
「……どうして、本当のことを言ってくれなかったんですか?」
 戯れるセレスを引きはがして、デュレはリボンにそっと問いかけた。今、問わなければ聞くチャンスはないと思ったのだ。その真相を喋ってくれたからと言って、何かが変わると言うことはなかっただろう。それでもデュレは仲間として包み隠さず全てを語って欲しかった。
「語ったとしたら、デュレやセレスに何か出来たのか……?」
「……そ、それは」デュレは困ってしまって期せずにしどろもどろになった。
「ふ……、ふははっ!」リボンは突然、何もかもがおかしくなって笑い出した。
「な? 何がおかしいんですか、リボンちゃん? わたしは何かおかしな事をいいました……?」
「いいや」リボンは目を閉じて首を左右に振った。「正直だなと思って。そんなお前を見てると何だか、ゼフィを見てるみたいでね」そして、ふざけた笑顔は急に真顔に変わった。「聞くな。根掘り葉掘り聞かれるのが嫌だからそう言ったんだ」
「けど、気になります」
「ねぇ、そんなのどうだっていいんだけどさ?」セレスはデュレの頭を押し退けて、しゃしゃり出てきた。「シェラやレイアやサムはキミのこと知ってるの?」
 セレスは瞳をキラキラさせながら対象の人物を眺め回す。サムは腕を組んだままキッチンへの戸口の柱に寄りかかり首を横に振る。レイアはそんなことはあり得ないと考えていることが感じ取れた。落ち着きなく、リボンの後頭部を見たり、天井を見たりと忙しい。
「……詐欺師、ペテン師っ!」セレスはリボンを指さし、ケラケラと声を上げて笑った。
「……うるさいぞ、お前。ここ二日くらいでちょっとはお利口になったかと思ったが」
「なるわけないでしょう? これがっ!」
 デュレはいきり立ってセレスの頭を掴まえて、テーブルの天板にごちんとやった。
「ぎゃんっ! ちょっと、酷い、デュレ! これ以上頭が悪くなったら困る!」
「それ以上悪くなることなんか、絶っ対にないから、安心しなさいっ!」
「オレが噛みつかないうちに大人しくしておけよ?」
 そんな中で、シェラだけは明らかに態度は違っていた。デュレとセレスとのやりとりをずっと優しげな表情をたたえて聞き入っていた。
「そう言うシリアも二百年経っても変わらないですよね? 気持ちよさそうな場所を見つけたら、すぐに丸くなるところ。人の頭を遠慮なく踏ん付けるところとか。……二百年経ってもシリアくんはシリアくんなんですね」
「……ぬぐっ」白い毛皮で見えないけれど、その下は恥ずかしさで真っ赤になっているに違いない。
「シェラさん、騙されていたんですよ?」レイアが半ば憮然としたように言った。
「今でも先でもどっちもシリアくんはシリアくんでしょう?」
 正論をぶちあげられればレイアもそれ以上は何も言えない。不承不承黙り込んで、引っ込んだ。
 背中の後ろの騒動が収まるとリボンは再び続ける。
「鶏が先か卵が先かってのは知ってるだろ?」
 セレスはうんうん頷いた。
「ちょうどそんなようなもんだ。呼ばれたのが先なのか、知っていたのが先なのか判らないのさ。ただおぼろげな記憶の向こうに何かにエルフの森に連れて行かれた覚えがあるんだ」
「その誰かはリボンちゃん自身だったんですね?」デュレだ。
「そうらしい。と言うか、オレが心許ない記憶を頼りにそうしたからそうなんだろうな? だが、これだけははっきりと覚えているし、言うことが出来る。……なぁ、レイア?」
 リボンは右眉らしき場所をつり上げて、シェラの傍らに佇むレイアを見やった。瞬間、麗あの顔色が微かに青ざめた。デュレも、セレスも、バッシュも気づかない。サムは壁により掛かったままぴくっと眉を動かしたきり、シェラはただ黙っていた。
「オレがここにいて一番驚いたのはお前だろ?」悪辣に口元を歪める。
 瞬間、多少の波風はあったもののずっと平静さを保っていたレイアの表情が微かに曇った。
「――どういう意味ですか? わたしにはさっぱり……」平坦な口調。
「とぼけるなよ。このオレをステージアウトさせたのはお前だろ。それだけじゃあない。シェラだってそうだ。知っていたはずなのにどうしてレイアをそばに置いてきた?」
「あ、あの〜、あたし、訳判んないんだけど、どうしたらいい?」
 セレスは手を挙げて、さっきまでの元気なんてどこへやらで問いかけてきた。
「セレスは黙ってなさい」デュレはキッとセレスを睨んだ。「まさか、シェイラル一族の殲滅を目論んだのはあなたなんですか?」デュレは思考に上ったことをすぐさま言葉に出した。
「シリアの言うことを真に受けないで。あたしは何もしてないよ」
「いいや」リボンは目を閉じて静かに首を横に振った。「オレは知ってる。お前はシェイラル一族の全てを手に入れようとしていた。一族の血筋を受け継ぐものを消すように、あれこれ策略を巡らせていたのはずだ。何故なら、お前には手に……」
「それ以上、侮辱すると許しませんよ」
「侮辱? はっ! 敬意を表してるのさ。フツーはできねぇよな」珍しく口が悪い。「オレの口から説明していいのかな? それとも、自分で説明するか?」
 リボンは鋭い眼差しでレイアを突き刺し、選択を迫った。
「しかし、ま、シェラを筆頭にそろいもそろってみんな、お人好しだよな」
「もちろん、“リボンちゃんも含む”なんでしょう」
 セレスはリボンに近づくと頭をポンポンと叩いた。
「……説明なんかいらないでしょう? あなたには。判ってるくせに」きつい目つきでリボンを睨みつつレイアは重い口を開く。「わたしを殺す気?」
「何で?」リボンはキョトとして言った。「はっ! そもそも死んだくらいじゃその罪は償えない。それに……今となっちゃ、お前に死なれちゃ困るんだ」
「――偽善者め」レイアは呻くようにその言葉を絞り出した。
「偽善者、結構」リボンの瞳が怪しく煌めき、レイアを捉えた。「何者にもなりきれない、中途半端な存在よりはずっとましだと思うけどね?」
「ちっ」
 ガシャァアン。レイアは分が悪いと感じたのか、窓ガラスをぶち破って外に転がり出た。
「待ってっ!」セレスは窓を開けてレイアの背中を追い掛けようとした。すると、セレスの肩にポンと軽いショックがあって、後ろに引っ張られるのを感じた。
「待て、お前は行くな。俺が行く」
 サムだった。サムはジャリジャリと粉々になったガラスの破片を踏みつけにして、窓から外に出て行く。レイアを追う必要はない。そんな気がしないでもない。でも、このまま、セレスに追わせるか、放っておけば後々に禍根を残す予感がしたのだ。
「わたしたちをレイヴンから守ってくれたはずなのに、何故?」
「――まずはそこから疑ってかかるのがいいのかもしれない」リボンは言う。
「……レイアが敵でも味方でも、そんなのどうだっていいよ」セレスが言った。「あたしが知りたいのはそんなことより、この先どうなるの? キミはやっぱり、全部知ってるんでしょ。あたしたちがジーゼのところからここに来た、その後のことも。今この後のことも」
 珍しくムキになって、セレスはリボンを問いただした。
「知ってはいるよ。――歴史は変わらない。それだけははっきり判るんだ。予定調和に向けて、全てが紡がれている。多少の誤差があろうとも、大きなイレギュラーは起きえない。そうしたら、判るだろう? この時はお前のいたシメオンにまでつながるんだ」
「……何故、そんな根拠のないことを自信満々に言えるんですか?」
 デュレは酷く険しい眼差しで、遠慮なしに詰問口調でリボンに迫った。
「ここは“わたしたちにとって未来”そう言ったのはあなたですよ?」
「未来は未来さ。疑う余地はない。お前たちの行動次第で幾つもの道筋はできあがるが、行き着く先は同じなのさ。時の流れというものはその改竄を決して許さない。そう言うものだ」
「しかし、それではあまりに未来が……哀しすぎます……」
「哀しいか? オレにはそうは思えない」リボンはニヤリとしてデュレを見た。「希望に満ちあふれてるとまでは言わんさ。けどな、決して暗いものではない」
「しかし、わたしに薄明かりか、闇の中です……」
 デュレはひどく覇気のないやるせないような口調で囁いた。

 迷夢とアルタは迷夢の行きつけのバーにしけ込んでいた。行け付けと言ってもまだ数週間ばかりしか通っていないのだが、すっかり迷夢は常連気取り。迷夢のキャラクターの印象が強いためか、二日目にして顔と名前を覚えられ、一週間目には客の中に迷夢を知らないのがいたらモグリだと言われるくらいの有名人にあっという間に昇格していた。
 そんなバーのカウンター席に迷夢とアルタは陣取って、酒を酌み交わしていた。
「ねぇ、アルタ。何だってキミはあんなのつるんでるの?」
 迷夢は酒瓶をひっ掴んで豪快に酒を飲み干した。
「利害の一致だなんて詰まらないこと、言うんじゃないのよ?」言われる前に先に言う。「――レイヴンがキミに何を与えられるってのさ? ――ねぇ、あたしと組まない? あたしならキミの望みを叶えられるかも知れないよ? キミ……バッシュを殺されたくない。アルタの目的はそれなんでしょ?」
 迷夢の瞳が悪辣に閃いた。
「どうして、そんなことが判る?」アルタはカウンターに置いたコップの水面を見詰めていた。
「あははっ! そんなこと気に病んでるの? いいこと?」迷夢は右手の人差し指を立て、ちっちと横に振った。「あたしに判らない事なんて何もないのよ。判る? 判らないだろうなぁ。あたし、サスケの能力を持ってるんよ?」
 迷夢はパチパチと瞬きをして、クルリと瞳を閃かせた。
「サスケ……? あの狼王か。シリアの親父の?」
「そーそー。リボンちゃんのお父上のサスケくん。彼ったら、ダンディで格好いいのよ」迷夢はうっとりしたように力説して見せた。「って何を言わせるのよ。キミはっ」
「……迷夢が勝手に言ってるんだろう。人のせいにするな」
「あれ? そうだっけ? あはっ♪ 細かいことは気にしないものよ」
 と言いながら、迷夢はアルタの背中をばしばしと叩いた。
「そいじゃ、みんなのところに戻ろうか?」
「戻る? どうして?」アルタには迷夢の挙動は理解の範疇を超えていた。
「どうしてって……、どうしてだろ? ま、いいや。みんなのところに戻ろ? お酒にも飽きたし、そろそろ、お話も終わったんじゃないかなと思うのよね」
「いや、オレは遠慮しておくよ。居づらくてね、あそこは」
「そぉお? じゃあ、あたし一人で戻るとするか。あっ、その代わり、支払いはよろしくね」
 迷夢は立ち上がるとヒラヒラと軽く右手を振って、アルタにさよならの挨拶をするとさっさっと行きつけのバーを後にした。決断は早く、行動も早い。決めたら迷わず動くのが迷夢だった。無論、いつもその行動パターンが上手くいくとは限らないのだが。
「星が綺麗……」迷夢は夜空を見上げた。
 時刻はまだ深夜。澄んだ空気の向こうにはくっきりと星が見えていた。千五百年前、かつての仲間たちと決別した時もこんな星の降り出しそうな夜だったことを覚えている。深夜にレルシアの家をそっと抜け出して、帰途についた。
 迷夢は再びその道を歩く。あの日、やり残したことをどうしても完遂しなければならない。マリスやレイヴンと仲良くできない以上はリボンたちに頼る他ない。一人では出来ない。かつて、そうだったように一人では叶えることさえ出来ない夢物語なのだ。
 悪戯はやめよう。微笑みながら行った方がいいのかな。それともぶすっと仏頂面で。デュレみたいにひたすらクールに決めようか。真摯にお願いしてみる? 人気のない街並みを何気なく眺めながら、迷夢は考え事をしていた。
 そして、アルタを引きずって飛び出したバッシュの家の前に立った。家を見上げる。懐かしさに胸が詰まる。さっき訪れた時はそんなことは少しも思わなかったのに。
 迷夢は壊れたドアの向こうからひょこっと顔を覗かせた。
「やっほ〜。みんな、元気してたぁ?」
「……? 迷夢か。どうした?」驚きも取り乱しもせずに落ち着いてリボンは言った。
「あれ? ひぃ、ふぅ、みぃ……三人足らないね?」
 早速、気が付く。しかし、答えよりも先にセレスがひっくり返った声を出した。
「うわっ! また、来たっ」
「嫌ねぇ、あたしのこと、悪魔か魔物だと思ってるでしょ? エルフの子猫ちゃん、その二」
「何しに来たんですか?」デュレは厳しい視線で迷夢に問う。
「うん? 何しに来たんだっけ?」迷夢は左頬に人差し指をあてて、瞳を上に向けた。
「……本気で忘れてるみたいだよ」
「あはっ♪ けど、敵になりに来たんじゃないし、さっきみたいな悪さはしないから」
「ホント? 何か、いまいち信用できないのよね、キミは」
 セレスはテーブルにデレーンと突っ伏して、どうでもういいかのように呟いた。
「別に信用して欲しい訳じゃないからいいよ。そんなの。ただ……」迷夢は不敵にニヤリとする。「あたしに味方をしておけば良かったって、後悔することになるよ」
「しない」セレスはさらりと言ってのけた。それに対して迷夢はちょっぴりムッとした。
「あらぁ。おねぇさまの言うことがきけないなんてダメな娘ね?」
「ねぇ、リボンちゃん。こいつ、どうにかなんないの?」
 セレスはリボンの方を向いて、思い切りよく迷夢を指さした。
「昔から、そう言う奴だ。どうにもならんし、どうにかなるならとっくにどうにかしてる」
 リボンはため息をつきながらも、楽しげな表情を浮かべていた。
「しかし、あれでよく死なずに戻って来れたな」
「いやぁね」待ってましたとばかりに迷夢は喋りだした。「レイヴンに斬られた時はもうダメだと思ったんだけど、案外、あたしってしぶといらしくて死ねなかったのよね。まぁ、死ぬ気なんかさらさら無いんだけどさぁあ? 聞きたい? 聞きたい? どうやって、あたしが奇跡の生還を遂げたのか、知りたくなぁい?」
 いつもの迷夢節が出てきたら、流石にリボンもどっと疲れが溢れ出てきた。
「あとでいいよ。まだ、あとにでも聞いてる時間はあるだろうさ」
「ちぇっ、つまんないなぁ〜。時間はたっぷり……、なんて言うつもりはないんだけどさぁあ? 時間までちょっとばかりお暇さんなのよ、あたし。アルタと話すのも飽きちゃったしぃ。ま、折角だからと思って、みんなのところに文字通り舞い戻ってきたのに、こんなに冷たくあしらわれちゃってさぁあ? 深く傷ついちゃうわ。あたし」
 迷夢はオーバーアクションで自分で自分を抱きしめた。
「なぁ、その間延びしたような口癖は何とかならないのか」
「う〜ん、ならないねぇ。これがあたしのステータスだって言ったじゃん? けど、これで、マリス姫には負けないよ。あたしがいれば百人力!」
「……マイナス百人力の間違いだろ?」
「ほぉ〜♪ そこまで言っちゃいますか? キミはぁ。この迷夢の恐ろしさを忘れちゃったのかなぁ〜あ。……」迷夢は頭の後ろで手を組んで、ニマッとした。「くすぐっちゃうぞっ!」
 迷夢は手をもにゅもにゅとさせるとリボンに飛びついた。
「やめ、やめろって! どうしてお前は昔からそうなんだ。あんな死にそうな目に遭っておいてどうして変わらない? お前には学習機能は付いていないのか?」
「う〜ん。そんなの付いててもどうでも、関係ないじゃん。この際?」
「敵にはならないんですか?」
 今まで、存在感のあまりなかったシェラが久しぶりに口を開いた。迷夢はリボンをいじくってふざけるのをやめて、真面目な顔をしてシェラに向き直った。
「シェラ・ホルスト。シェイラル一族の末裔、最後の生き残り」
「ええ、そうです。迷夢さん」
 おちゃらけた態度でいた迷夢がシェラの強烈なほどの真摯な波動を受け取ったのか、不意に真顔になった。リボンをくすぐるのをやめて、シェラのロッキングチェアの前に立った。
「大丈夫。仲間に入れてくれたら、あたしは絶対に裏切らない。その代わり、あたしの目的に手を貸して。それが何なのかは今のキミたちならきっと判るはず……」
「ウソつき」セレスは頬杖をついて、視線はテーブルを見詰めていた。
「ウソつきぃ〜い? 茶々入れるのは誰よ。あたしは大真面目なんだから。目的が重なってる限りは敵にはならないのよ」
「二回戦はあたしの勝ちよ。とか何とか言ってたくせに。手のひら返したみたい」
 セレスは腕を組んで、あからさまに憮然とした態度でいた。
「その二のくせに態度でかいね」セレスをジロジロ。
「その二のくせにって、キミこそ一体何だか、訳が判らないくせに」
「シャットアップ! このあたしとリボンちゃんの麗しの関係を知らない知った風な口をきかないでもらえるかしら。って、リボンちゃん?」
「迷夢はリボンと呼ぶなって言っただろ。背筋に悪寒が走る。……誰か、こいつを止めてくれ」
「無理だと思うんだけどなぁ。だって、迷夢ってば、ここにいる誰よりも濃い性格をしてると思うし、そんなのあたしたちにどうにかどうにか出来るわけがないじゃん?」
 セレスはすっかりさじを投げてしまったかのように言う。
 ゴーンゴーン、ゴーン……。三点鐘。と、そこに時計塔の鐘の音が街に響く。
「もうすぐ夜が明けるか……。しかし、少しでも仮眠を取っておこう。バッシュは……いないしな。あいてるベッドでも寝具でも好きなものを引っ張り出してきて寝ろ。堅いのが好きなら床でもいいぞ。ともかく、休め。――これからの数日はきっとどんな一日よりも長く感じる」
 リボンは立ち上がるとテーブルから飛び降りた。
「……迷夢。お前も休んでいけ……。敵じゃあ、ないんだろ?」
 リボンは優しく微笑んだ。そして、自ら先に立って奥の部屋へとみんなを案内した。