12の精霊核

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29. how to draw a picture(絵の描き方)

「……それから、どうなったの? サスケは? 迷夢は? 久須那は?」
 セレスはごくりとつばを呑んだ。テーブルの上に身を乗り出してすっかり聞き入っている。リボンが話を一休みしたら、それだけでも続きが気になって仕方がない。飽きっぽい、移り気なセレスには珍しいことで、デュレが感心した顔でセレスをじっと見詰めていた。
「……セレスが人の話にそんなに興味を持つなんて珍しいですよね。明日の天気は荒れ模様かしら? 大雨、大雪、大嵐。槍が降ってきたって信じちゃいそう」
「あんたね、口が悪すぎなのよ。黙っとき! でないと、リボンちゃんに噛みつかれるよ?」
「噛みつかれるのはセレスちゃんの専売特許でしょ?」デュレは軽く受け流す。
「あのね……」セレスは目を細めてデュレを生暖かくじとっと睨み付けた。「あたし、いくら何でもそんなに悪さしないもんっ。ねっ! リボンちゃん」
「そうか?」リボンは悪戯っ子のようにキラリと瞳を輝かせる。
「なっ! ひっど〜い。リボンちゃんもそんな態度を取るのぉ?」
「事実無根って言ってあげたい気もするけど。事実“有”根、自業自得です」
「うぐ……。誰もあたしの弁護をしてくれないのね」
 セレスはがっくりと肩を落として、そのままテーブルに突っ伏した。どいつもこいつも自分の味方をしてくれないと悪態を付きたくなる反面、デュレの指摘もホントのことだけに反論できない。けど、リボンかデュレをとっちめてやらないと気が済まないと考えていると、ポカリと仕返しとは何の脈絡のないことが思い浮かんだ。
 セレスは勢いよく起きあがり、リボンに質問を投げつけた。
「そ、言えばさ。さっき、迷夢が言っていったことも気になるんだけど……?」
「何だ?」リボンはピクリとまぶたをつり上げた。
「サスケのこと。だって、迷夢のやつ、百年殺しがどうとかって言ってなかった? なのに、リボンちゃんの話だったらサスケは……何だっけ、その封魔結界だかに自分も封じちゃったんでしょ?」
「それに」デュレがハタと気が付いたように割り込んだ。「マリスの封印が解けたとも言ってましたよね。としたら、一緒に封印されたサスケは……」
「お前たち、なかなか細かいところに気が付くな。デュレは気付くかと思ってたが、ずぼら、適当の代名詞のようなセレスがそんなところを突っ込んでくるなんて思ってなかったぞ」
 リボンはちょっぴり嬉しそうに口元をほころばせた。
「親父の身体は封間結界から切り出した。実際、それからかなり時が経ってからのことだよ。当時はそれどころじゃなくて、あとになって色々なことに余裕が出来てからね。それには迷夢が一枚噛んでるんだが、また、別の話さ。今はまだ、明かされなかった残りの伝説を聞いてくれよ」
「別の話?」デュレが言う。
「ああ、別の話だ。今度のこととは全然関係ないからな」
「……いきなり、クラッシュ・アイズをぶっ放していったのに?」
「あいつなりの愛嬌だよ。必要以上に気にするな。あいつが本気になったら、こんなボロ屋ごとオレたちはやられてるよ。だから、迷夢は敵にはならない。ただ……」
「ただ?」セレスが聞きとがめて、訝しげに問い返した。
「何でもない。そうだな、強いて言えば賑やか担当が戻ってきて楽しくなってきたなと」
 リボンは遠い目をして昔を思い出しているようだった。
「でも、あたしは聞きたいんだけど。だって、迷夢はまた戻ってくるつもりでいるんでしょ? 共同戦線を張ることになるのか、無視を決め込むのか、どうなるんだか判らないけどさ。出来るだけ、迷夢のことを知っておきたいと思って……」
「お前と迷夢はどこか似ているよな。そんなに気になるのか?」
「う? うん……」セレスは手遊びしながら、モゴモゴと俯いた。
「判った。話してやるよ。そのことも。ただし、全部を話し終わってからだ。セレスと違って中途半端なのは好きじゃないんだ」リボンはそこで一度言葉を切った。それから、過去の色々なことを噛みしめるかのようにゆっくりと口を開く「……そして、ゼフィは死んだ。……だから、迷夢を恨んでた。ゼフィと迷夢は仲良しだったから。あいつがしゃんとしてれば、ゼフィは死なずに済んだはずなのにと思っていたのさ……」
 リボンはデュレとセレスを見て儚く微笑んだ。
「ガキだったオレは逆恨みしてたのさ。だから、言ったろ? 迷夢のことはもういいんだって……。まあ、そこら辺も含めて話してやるさ……。さあ、あと幾らもしないでおしまいだ。黙って聞け!」
 リボンは最後にセレスをきっと睨んだ。

「……迷夢……?」シリアは呆然として迷夢を見やった。「ゼフィ、ゼフィは? どうしたんだよ。何があったんだよ! 父上は……。父上は……」
 シリアの視界に大きな氷が目に入り、とたとたと力無く歩いた。中は透けて見えている。だから、その氷の塊が何を意味するのか、シリアには理解できていた。
「……父上――」シリアは氷の封印の前に立ち、それを見上げた。
 サスケを必死に振り払おうとするマリスの姿。そのマリスの肩には氷よりも澄んだ、そして、どこか慈しみの情念を含んだ眼差しをマリスに送る傷ついたサスケの姿があった。
「ごめんね、シリアくん」迷夢は自分の肩越しにシリアを見た。「何も出来なかった……」
 シリアは突然の迷夢の声に驚いて、身を縮こまらせ目をぎゅっと閉じた。
「! ……」シリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
 シリアの迷夢を見る目にはもう、いつもの温かさはなかった。代わりに哀しさと憎悪に囚われた研ぎ澄んだ強い、しかし、どうにもならない後悔を含んだ複雑な色を湛えていた。
「……いいよ、もう、いいっ!」
 シリアは捨て台詞を残して、屋根から飛び降りていった。自分に何が出来たわけでもない。でも、迷夢を目の前にしていると心苦しくなって居たたまれない。この場所から、永遠に逃げ出してしまいたい。何事もなかった昨日の夜までに戻りたい。
「……シリアくん」迷夢は屋根から屋根を飛び移って下に降りていくシリアを見送ることしかできなかった。呼び止められない。呼び止めてもきっと振り向いてすらくれないのだろうけど。そう思うと、迷夢は大切な友達を二人同時になくした気がして、急に切なくなった。
「レルシア、これ、シリアくんに渡しておいて」
 迷夢は右の手のひらにペンダントを乗せて、レルシアにすっと差し出した。
「え……。迷夢は戻らないんですか?」
「迷夢……。シリアと仲直りしなくてもいいのか? 折角、ゼフィがチャンスをくれたのに」
「うん。いいんだ。……今はきっとダメだよ。あのコのあたしを見る目、見たでしょ? あの目……、久須那でもない、マリスでもない……、あたしを恨んでる。ま、判るんだけどな」
 迷夢は目を閉じてやるせなさそうに、頭を掻いた。
「でも、それじゃ、迷夢が……」久須那が言う。
「ううん」迷夢は静かに首を横に振った。「いいんだよ。それでシリアくんの気が済むなら。……そりゃね、いつまでも誤解されたままじゃたまらないから、この落とし前はきっちり付けさせてもらうけどね。ふふ〜ん♪ そんときゃ、覚悟してもらわなくちゃね」
 努めて明るく迷夢は言う。けど、そのショックは隠せない。
「迷夢。お前はそれでいいのか?」久須那の毅然とした口調が響いた。
「いいわけないじゃん」迷夢はケロッとして言った。「けど、ま、このままでいたんじゃ、迷夢の名が廃るってもんよ? あの様子じゃ誤解が解けるまで時間がかかりそうだし、それを黙って待っててもしょうがないし。ちょぉっと、悪さしてよかなって♪」
「……?」レルシアと久須那は酷く訝しげな顔をして迷夢の顔を覗きこんだ。
「あのね」手をひらひら。「ゼフィはもうダメだろうけど、サスケは必ず助けてみせる」
「迷夢……」
「あはっ! そんな切なそうな苦悩に満ちた顔して見ないでよ。二人とも。それじゃ、まるであたしが負け戦に出向こうって感じじゃん? 言っておくけど、あたしは勝算のない戦いには赴かないのよ。何かをするには絶対に勝つ! ……少なくとも、そのつもり……」
「どうして急にそんなこと、思ったんだ」久須那が問う。
「さぁあ? ただ、何か、このままじゃいけない気がしてさ」
 迷夢はちょっと下を向いて、すぐに顔を上げて、久須那とレルシアの顔を見比べた。
「けど、あたしはそんな真面目ちゃんじゃないよ。ま、いいしょ? しんみりしちゃうの嫌いだから、……バイバイっ!」迷夢はさっと手を挙げて振り振りした。
「バイバイってあの……」
 迷夢は屋根からピョンと飛び降りて自由落下し、それから翼を大きく開き飛翔する。結果、迷夢は久須那とレルシアの思考が迷夢の考えに追いつく前に姿を消していた。
 一方、屋根を飛び越えて消えていったシリアは石畳の道を闇雲に駆けていた。理由なんかない。ただ、何か他のことに集中していないと気が狂ってしまいそうだった。
「ちくしょう、ちくしょうっ! どうして、父上、ゼフィなんだよぉ」
 涙の雫が飛沫になって幾つもシリアの後方に飛んでいった。
「あうっ?」シリアはドンと何かにぶつかって、尻餅をついた。「痛い。誰だよ、こんな道の真ん中に突っ立てるのは?」
 と言って、シリアはずっと上を見上げた。すると、そこには見慣れた柔和な表情の壮年の紳士の姿があった。銀縁眼鏡の向こうに見える細い目がシリアをじっと見詰めていた。
「……おじさん? どうしてこんなところにいるの?」
「シリアくんを追い掛けてきました。……魔法を使ってね」
 シェイラルはすっと腰を下ろし、しゃがみ込むと、シリアと視線の高さを出来るだけあわせようと試みた。高いところから見下ろしていたのでは威圧感が先に立ち、シリアの閉ざされそうな心を解きほぐすことは出来ない。シェイラルとしてはシリアにおかしな復讐の怨念に囚われて生きて欲しくなかった。負の感情を生きる糧にしていてはその本人が決して報われることはない。
「……パーミネイトトランスファー。光魔法の一つです」
 シェイラルが目を合わせようとすると、シリアは顔を背け視線をそらした。それは心に人には語れない邪なことや、後ろめたいことを隠してる兆しにシェイラルは受け取った。今更、恥ずかしさにそっぽを向くなんてあり得ないことだったからだ。
「恨んでるんですか?」何でもないことを尋ねるかのようにシェイラルは言った。
「……」シリアは答える代わりに俯いた。
「そうですか。……それでどうなります?」
 と言いつつ、シェイラルは立ち上がると歩き出した。シリアと距離をあけて、先を行く。シリアはシェイラルが行ってしまい、一人きりにされるのを恐れるかのように駆けだしていた。
「待ってよ。おじさん……」
 シェイラルは足下によってくるシリアに注意を払いつつも、発言は控えていた。そうっとしておいて自ら答えを導かせるのが狙いなのだ。その目的がシリアに有効なのかは判らないが、押しつけられた答えに納得されてしまうより十分すぎるくらいましだろう。
「……オレ、どうしたらいいんだろう……?」
 誰に宛てるのでもなく、シリアはぽつんと呟いた。
 シリアの中で取り留めようのないいくつのもの思いが錯綜していた。あの時、あの場にいたからと言ってゼフィを止められたはずもないのに。迷夢に言われて、自分ではないものの指示に従ってその場にいなかったことだけが悔やまれるのだ。
「どうして、オレ……、あそこにいなかったんだろう……?」
 それはもう、シェイラルに答えられる問いかけではなかった。
「……さて、わたしたちにもやることがあります。……シリアくん。辛いでしょうけど、今はダメです。――あとでゆっくりと……涙を流しましょう……」
 度の過ぎた哀しみを一時的にでも和らげ、忘れさせるためにシェイラルはシリアに仕事を与えようと思った。シェイラルはシリアを連れて歩いていく。半ば廃墟と化した街にもう用事はない。いずれ、レルシアも、久須那も、迷夢も来るだろう。屋根の上に乗っかったままの氷の封印も何とか片づけなければならない。することはまだまだ山積みだった。
「……やはり、一回、封印のところへ戻らないとダメでしょうかね……」呟く。
「おじさん。オレ、迷夢を許せない……かもしれない」シリアは呟いた。
「……恨み言を言ってはいけません」シェイラルはシリアに視線を向けることなく、遠く行く先を見詰めたまま静かに答えた。「いいですか、シリアくん」
 シェイラルは不意に立ち止まると、シリアの目の前にしゃがみ込んで目を合わせた。
「だって、迷夢が、迷夢が。うわぁぁぁ〜〜ん」
「……はぁ。……困りましたね……」
 シェイラルはとうとう泣き出した、シリアを見てため息を漏らした。この状態では何を言ってもシリアには届かない。シェイラルは泣きじゃくるシリアを抱き上げると静かに歩き出す。ただ、じっとしているよりも、心を落ち着かせるには効果がある。
「シリアくんは……迷夢に何を期待していたんですか?」
 シェイラルは優しく、けれど、厳しく問いかけた。
「……オレは……」嗚咽が漏れて、まともな答えにならない。
「シリアくんはゼフィのナイトとしての使命をお父上から受けていたんじゃないのですか?」
 もはや、シリアは何も言えなかった。シェイラルはそっとシリアに告げたのだ。ゼフィを守る役目を果たせなかったシリアに誰かを責める権利はないのだと。
「復習の女神、ヴェンデッタに魂を売ってはその身を憎悪に焦がすだけで、何も生み出しません。仮に……迷夢が悪かったのだとして、それでも悪かったのは迷夢だけだったのですか?」
「……」シリアはシェイラルと目を合わせず、俯いて唇をぐっと噛んだ。
 迷夢は関係ない。自分とサスケとの間のこと。そして、ゼフィとのことだった。そんなことは判ってる。けど、誰かのせいにしなければ、シリア自身がどうにかなってしまいそうだったのだ。
「ひぐっ。えっ、えっ……。だって、オレ、どうしていいか判らなかったんだもん。ゼフィ……。だって、一番近くにいたの……迷夢だったんだよ。おじさんたちを捜しに行けって言ったのも迷夢だったんだよ? ……近くにいても何も出来なかったかもしれないけど……」
 シェイラルはそんなシリアをきつく抱きしめた。
「……おじさんの胸じゃ嫌かもしれないですけど、わたしにはこれくらいしかできませんよ……」
 シリアは下を向いたまま、ふるふると力無く首を横に振った。
 と、シリアとシェイラルが淋しいやりとりをしているところにレルシアが下りてきた。
「お父さん」不安げな声色、顔色でレルシアが屋根の上から久須那を伴って下りてきた。
「……? どうかしましたか、レルシア? あれ……? 迷夢は……?」
「子供みたいにいっぺんに聞かないで」レルシアは落ち着きをなくしたかのように少し早口になっていた。「迷夢は……わたしにこれを渡して、どこかに行っちゃいましたよ」
 レルシアはペンダントを持ち上げると、シェイラルに渡した。丸いペンダントトップには六芒星が彫り込まれその内側に形成される正六角形部分には半透明に透ける白い石が嵌め込まれたいた。
「ペンダント型のアミュレットでしょうか?」しげしげと見詰める。
「それ、ゼフィの……」シリアは呟く。
「ゼフィの?」シェイラルは左腕で抱えたままのシリアに視線を移す。
「うん……。おじさんは知ってるよね。アミュレットの意味……」
「ええ……」
 シェイラルはシリアというのとは違う意味で理解していた。ゼフィが迷夢に自分の身体の一部とも言える精霊核の欠けらを嵌め込んだアミュレットを託したのはそれだけ迷夢を信頼してることの裏返しとも言えた。
「シリアくん、あなたはそれのもう一つの意味が判りましたか?」真摯にシェイラルが問えば、シリアはキョトンとしてシェイラルを見澄ました。「そうですか……」少し、残念そうにシェイラルは言う。「……ゼフィは迷夢を信頼していたと言うことですよ……。だから、それを迷夢に渡し、きっと、迷夢からシリアくんに渡してもらいたいと思ってたんじゃないでしょうか?」
「でもっ! 迷夢は来なかったよ。レルシアに渡して、オレのところに来なかったよ! ……迷夢なんか、迷夢なんか大嫌いだよっ」そして、再び、シリアは大泣きをした。
 けど、それは違うんだよとは久須那もレルシアも敢えて取り沙汰さなかった。
「……お父さん。シリアくんも大変だけど、久須那も大変なんです」
 二人のやりとりをいつまでも見守っていても埒があかないとレルシアは割り込んだ。
 久須那はレルシアの肩を借りて、ようやく立っている状態だった。久須那はレルシアに完全に身を委ね、左手で額を押さえていた。髪は激しく乱れ、イグニスの弓はレルシアが携えていた。
「久須那はどうしたのですか?」ハタと気が付いて、シェイラルは問う。
「……呪詛にやられてしまったようです」レルシアの表情が曇った。
「また、厄介なものを……」
 呪詛は一過性ですむ多くの攻撃魔法とは異なり、経時的に影響を与え続ける。無論、直接的に死を与える呪いもあるが、呪いの目的は単純に攻撃目的ではなく、相手に苦痛を与えることを主眼としていることが大半を占めている。強すぎる呪いは被術者を瞬殺することも可能だった。
「しかし、何故、こんなことを……?」
「呪いをネタにわたしと話す機会を作りたかったみたいだ……」
「……今となってはそれも叶わぬ夢ですか……」と、不意にシェイラルはレルシアに問う。「あれは……、氷の封印はどうしました?」
「ご心配なく。手抜かりはないよ」レルシアは手短に答えようとした。「魔法でアルケミスタの近くにある洞窟に移動させておきました。あそこなら、簡単には見つけられないと思うし、万一のことがあっても人的な被害は最小限にとどめられると思うの」
 それを聞いて、シェイラルはほっと一安心した。
「なら、長居は無用です。一度、我が家に帰りましょう」
「歩いて?」歩き出そうとするシェイラルに向けて、一言突っ込みを入れた。
「歩いて帰るのには遠すぎますか。今の状況では……。この辺りは物理的に崩壊しかけてますし、魔力的にも不安定になってきています。これ以上、魔法を使うのははばかられるのですが……」
 シェイラルは少し困ったかのように辺りをキョロキョロと見回した。
「背に腹は代えられないよ。それにお父さんなら、大丈夫」
「はぁ……」呆れたようにシェイラルはレルシアを見詰めた。「その辺の根拠のない自信とはったりをかますところは玲於那に似たんでしょうね……」
 そして、シェイラルは久須那、レルシア、シリアの二人と一頭を呼び集め、空間移動魔法のパーミネイトトランスファーを実行した。出口は今朝方、かつての仲間同士が最後に集った家、ゼフィとシリアという居候のいたシェイラルとレルシアの家だった。
 レイヴンの描いた絵がそのまま置いてあった。そこはまるで時の流れから切り離されていたかのようだった。ここで、大声でみんなの名を呼んだら昨日の風景が戻ってきそうだった。
「この絵は……?」シェイラルが感心した不可思議そうな声色で言った。
「……迷夢がレイヴンに頼んで描いてもらったんだ」答えたのは久須那だった。
 久須那はつとその絵の具が生乾きの、額縁にも収められていない絵の前に歩み寄った。そして、そこに描かれた一人一人の表情を確かめるかのように眺めた。相変わらず険しく精悍な表情のマリス、おちゃらけてにんまりと笑ってる迷夢、マリスに寄り添うように立っているレイヴン、悪戯を仕掛けてくる迷夢に辟易としているシリア、そして、いつになく真顔に描かれた自分自身。
「こんな時、申がいてくれたらな……」久須那は不意に呟く。
「申くんですか。東洋の退魔師。そうですね。彼なら、呪いを解くのも簡単に出来るでしょうね。わたしにマリスの呪いを解くことは出来ません。……しかし、久須那、わたしたちはあなたに流れる時を止めることは出来ます。――そこにある油絵のように……ね……」
 シェイラルは儚く微笑みながら言った。
「誰か、呪いを解ける人が見つかるまで眠っているのが一番安全だと思います」
「呪いの進行だけを遅らせる方法はないのですか……」
 久須那に問われ、シェイラルはしばらく考えた。もしかしたら、記憶の中にヒントになりそうな何かが眠っているかもしれないと思ったからだ。
「ないですね。そんな便利なものがあったらとっくに試していますよ。――やはり“あれ”をやるしかありませんね……。レルシアはどう思いますか?」
「……ドローイングですか?」レルシアは眉をひそめた。
「ええ。それしかないと思うのですが。幸いに大きなキャンバスもありますし、魔力的なことに折り合いが付けば条件はほぼ完全にそろっていますし」
「でも、お父さん。それは禁術。知ってるでしょう。懲戒処分くらいでは済まないかも」
「しかし、一週間以内に呪詛を解ける呪術師、退魔師を見つけるのは難しいでしょうし……他によい方策でもありますか」シェイラルは畳みかけるように言った。
「……ないですね」
「ドローイングを実行しましょう。懲戒処分くらいなんですか。職より久須那が生きてることの方が大事ですよ」毅然とした態度でシェイラルは言い放つ。「――シリアくんも手伝ってください」
「え? あ、はい。うん。――でも、何をしたらいいの?」
「ただ、久須那のことを思っていてくれたら十分です。あとはわたしとレルシアがやりますから」
「……司祭さま。確か、あの時もそうでしたよね。そこまでしなくても……、わたしは……」
 久須那は“精霊核封印”のことを思い出して、そっと囁いた。
「静かにしていなさい。身体に障ります。マリスが一週間と言ったのはあなたが天使だからです。この呪詛を喰らったら、人間なんか一溜まりもありません。……それに、久須那は協会の将来にとって必要な人です。ここでむざむざと命を落としてもらっては困ります」
 シェイラルは久須那の目を真摯にきつく見詰めていた。
「……そうですね。――しかし、どうしてもと言うなら、わたしはシルエットスキルを残したい。将来、誰かがわたしの封印を解く時、それに相応しい人をこのシルエットスキルを使って探したい」
「……そんなことになる前にわたしがそれだけの実力を持った退魔師を見つけられたらいいのですが、それが出来なかったとして、未来に信用に足る人物が生き残ってるとは限りませんしね……」
 シェイラルは久須那から視線をそらし、改めて大きなキャンバスの方を向いた。
「そんなことは考えたくないけど……。わたしが目覚める時はきっと、マリスも戻ってきてるはず。その時、共に戦える仲間がいるよ。わたしだけじゃ、とてもマリスを止められない」
 久須那は感じていた。自分の封印が解かれる時はただ呪いを解くためだけになるはずがないと。
「しかし、それはまだずっと先のことですよ。ゼフィとサスケの氷の封印がそう簡単に破られるはずがありません。……百年、二百年も無事であってもらわないと」
「でも、いつか必ず、解けてしまう」
「そうですね。――殺さない限り、マリスはまた同じことを望むでしょう、哀しいことです」
「その時にそうならないために、わたしはマリスを阻止する相棒が欲しいんだ」
 久須那は真摯な眼差しをシェイラルに送った。同意が得られなくても実行するつもりでいたが、やはり、色々と世話になっているシェイラルの同意が欲しかった。我が儘だと思う。でも、この我が儘だけは譲れない。いつか来る決戦の日に備え、しかるべき相棒にいてもらう必要があるのだ。
 命を賭けた戦いの末に悲劇はいらない。一度ならずも、二度までもそんな経験をしてしまった久須那は考えた。自分だけでは足りないのなら、組めば自分たちの力を二乗にも、三乗にもすることの出来る人を見つけておかなければならない。
「……久須那の気持ち、判りましたよ。将来、剣を交えるのはわたしではなく、あなたでしょうから、久須那のやり方で準備を整えるのが良いと思います」
「ありがとう……」
 久須那はシェイラルの瞳を見詰めたまま、力強くコクンと頷いた。
「光と炎の狭間に生まれし天の使い久須那の名において命ずる。我が思考を影として召喚せり。純粋なる光の思考、ファリス。我が意思に生命の息吹を与え具現化し、実体なき精神の営みを化身と為せ。深紅の刃を翻す業火を司る異彩のストス。その限りない赤き活力にてイグニスの青き魔力に火をともせ。我が思いの全てを実体と為し、我が前に示せっ!」
 そして、久須那は改めて大きく息を吸った。
「シルエットスキルっ!」
 最後にキャリーアウトの言葉を放つと、虚空に白い靄のようなものが現れた。それは次第に人の形を成し始め、翼が形作られ天使の輪郭を備えるに至った。
「……」それはまだ、瞳を閉じたまま久須那の方を向いて動かなかった。
「久須那……、眼を開いて、わたしを見て」久須那は言った。
「はい……」フェイクの久須那はそっと瞳を開きオリジナルの久須那を見詰めた。
 久須那はその瞳の奥をじっと見詰めた。同じ髪の色、同じ目の色。同じ翼と同じ声色。
「……わたしが帰ってくるまで頼んだぞ」久須那はシルエットスキルの肩を掴む。「……わたしがここに戻ってくるまで、お前がわたしだ。わたしの代わりに全てを見聞きし、覚えておいてくれ」
「判っている」口調も同じにシルエットスキルは答えた。
「そうか、忘れていたよ。お前はわたしだったな。知らないことは何もない……」
「大丈夫、安心して。わたしがきちんとあなたの代わりを果たすから」
 二人の久須那は肩を寄せ合い、抱きしめあった。遠くで見ると二人とも全く同じ容姿に見え、まるで双子の姉妹を見ているかのようだった。
「オリジナルと寸分も違いませんね……。ここまで高レベルなものを創り上げるとは久須那もわたしの知らない間に随分と腕を上げたんですね……。玲於那も喜んでますよ、きっと」
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないでしょう、お父さん?」
 嬉しそうに目尻に少しだけ涙を光らせるシェイラルにレルシアは耳打ちをした。
「そ、そうでしたね。少しでも呪詛の進行がいっていない方が後々有利でしょうからね。では、覚悟はいいですか?」シェイラルはしめやかに言った。
 封印されれば、ここに居合わせる皆の顔を見ることは二度とない。次に目覚める頃には最低でも数百年の時が流れているはずだった。絵に封ずるこの魔法は“絵”と言う媒体を利用して経年で逓減していく魔力を最小限に抑え、可能な限り長期間封印を持続させるものなのだ。
「……どうして、これをマリスに使わなかったの……?」
 すると、シェイラルはそっと静かに首を横に振った。
「マリスを封じるには魔力が足りなすぎます。わたしはこの封印魔法を使えますが、シリアくんの助けを借りてやっと完璧に出来るくらいです。しかも、マリスではなくて久須那をようやくですよ。サスケとゼフィは強大な力を持っていますが、この魔法を知らない。こうなる他、なかったんです。残念ですが……」
「そうなんだ……」シリアはとても淋しそうに囁いた。
「では、久須那。絵の前に立って、そっと絵に触れて……。あぁ、生乾きみたいですから、キャンバスの裏側でも構いませんよ。――シリアくんはわたしのところへ」
 と言いながら、シェイラルは腰を落とし、シリアに向けて手を伸ばした。シリアはしばらくの間、躊躇うかのように久須那の近くを行ったり来たりすると心を決めてシェイラルの腕に飛び込んだ。
「いいですか、これからわたしの言う言葉を心の中で繰り返してください」
「うん……」シリアは俯いて一際淋しそうだった。「ねぇ、久須那。また、会えるよね。きっと、いつか、また、会えるんだよね?」
「きっと会えるよ。だから、そんなに淋しそうな顔をしないで」
「だって、ゼフィも父上もいなくなって、オレ、……オレ、一人でどうしたらいいのか判らないよ。この先、何をしていけばいいのか、判らないよ」
 シリアの閉じられた眼から涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「……久須那の封印を守りなさい」レルシアが言った。「封印を解くその日が来るまで」
「オレが……久須那を守る……?」解せない様子でシリアは呟いた。「オレ、何も出来ないよ……」シリアはシュンとしおれたように俯いてしまう。
「シリアくんが守らなければ守れる人はいないんです」
「オレしかいない……?」呆然としたようなぽわっとした声色だった。
「ええ、そうです」シェイラルはしめやかに言う。「このメンバーの中で数百年を生き抜けるのはシリアくんしかいませんし。何よりも、潜在的な魔力はあなたが最高なんです」
 突然、そんなことを言われても心を決めかねるシリアの姿があった。昨日から、物事が急展開を見せ、身の回りのシリアにとって重要な一部を除いては、まだ呑み込めていないのだ。でも、誰かがその封印の絵を守っていかなければならないことだけは理解できた。サスケとゼフィが命を賭けて作ったマリスの氷の封印と共に。
「……判ったよ、おじさん。……それが……今のオレに出来るたった一つのことだと思うから」
「ありがとう」
「さて、始めますよ……」
 シェイラルは久須那を見定めた。久須那はその視線を受け止め、コクンと頷き、キャンバスの淵をぎゅっと力一杯握りしめた。これでこの部屋を見ることもないだろう。ここに来て、たった三年。玲於那に比べれば十分の一の時間もここにはいなかった。でも、辛かったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと。フツーに他愛なく珍しくもないこと。そんな日常、過ぎゆくだけのことがたくさんの思い出として久須那の中に残っていた。
「ふふ……」久須那は瞳を閉じた。「この世界も悪くないな……」
「古の約束の地より、古の盟約に従い、我、シェイラルの名の下に汚れなく気高き魂の主、久須那を画布に封ぜよ! ……これでお別れです、久須那。思えば、あなたとはあまり長くはないつきあいでしたね。しかし、そんな気はしませんでしたよ。玲於那の妹。そのことがわたしにそう思わせたんでしょうか……」シェイラルはゆっくりとした口調で静かに言った。
「ふふ……。まさか、わたしがこうなるとは思ってなかったな……」
「久須那……」レルシアが前に歩み出た。「また、会えたらいいですね」
「そうだな」久須那はフッと儚い笑みを浮かべて瞳を閉じた。「シリア……? お前はわたしが戻ってくるまで迷夢と仲直りしておくんだぞ」
「う……? うん……」シリアは少し困ったようにしどろもどろしながら、返事をした。
「では、いつか、時の輪の接する奇跡が起きて、出会えることを願って。――封印っ!」
 シェイラルが最後の一言を心の内から解き放つと、瞬間、狭い部屋の中が白く淡い靄のような光に包まれた。そして、その中で久須那の身体が靄に溶け込んでいった。やがて、部屋を満たした淡い光は凝集を始め、シリアの頭くらいの球になった。
「さよなら、久須那。歴史の向こうで待っています」
 次の瞬間、光の球はキャンバスに飛び込んみ、弾け飛んだ。
 レイヴンの描いた絵は新たに描かれた久須那の絵の下に隠された。久須那の絵……。イグニスの弓をもち、鳶色の瞳が切なそうにキャンバスの外の世界を見詰めているように見えた。白い服、白い靴、白い翼。それらと対比するかのような黒髪と鳶色の瞳が心を惹き付ける。
「……綺麗……」シリアはキャンバスに見とれて、感嘆の声を漏らした。
「それは綺麗ですよ……。この絵は言葉通りに“生きて”いますから。だから、この絵を不純な動機で狙ってくるものも現れるでしょう。まあ、そんな輩に久須那のシルエットスキルが破れるとも思えませんけど。真の意味で……やがて目覚めるマリスを討とうとするものを選び出すのも、シリアくんの役目かもしれないですね」
 そして、ここから長い伝説が始まったのだ。