12の精霊核

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55. duel in simeon ruins(遺跡の決闘)

 パーミネイトトランスファーで体良く舞台を追い出されたリボンは心の全てが暗雲に埋め尽くされてしまったかのように最低の気分だった。自分だけ蚊帳の外だ。リボンはマリスの放つ魔力を頼りに戻ろうと考えたが、シメオンを漂う邪悪な波動に支配されそれすらも困難そうだ。
 リボンは取りあえず太陽の位置を道しるべにして、トタトタと頼りなげな足取りで進んでいく。
「……?」と、リボンは何かを感じた。
 周囲に満ちている邪悪な波動とは異なる研ぎ澄まされながらも温もりを感じさせる何か。温かさの中にキリリとした適度な緊張感を孕んだ何かを感じた。どこかで感じたことのあるような柔らかな温もり。リボンはそんなものがここにある不思議さを噛みしめながら歩いていく。
 そして、リボンはピタリと立ち止まった。
「……。ふ……? 不死鳥の卵……?」リボンはひどく驚いた表情をした。
 まさに、奇跡、運命と呼ぶに相応しい。どうしてもマリスより先に見付けたかったそれを手に入れられる。マリスとの戦いに不確定要素はどんな些末なものも排除したい。特に強力な魔力をもちそうな不死鳥(の卵)を決してマリスに触れさせたくない。その不死鳥の卵が間近にある。リボンは卵は見えないものの、それから発せられる微かな息遣いを感じていた。
「……まさか、こんなところに……」
 リボンは瓦礫の空洞に不死鳥の卵の存在を確認した。
 その頃、迷夢はマリスの視界に入らぬように低空飛行をしていた。と言っても、視界を遮るような建築物はあるはずもなく余程の遠くへでも行かなければ視界外はあり得ない。だから、迷夢は出来るだけ気配を消したつもりで方々をリボンを捜し回っていた。
「どこまで飛ばされちゃったのかしらねぇ。……マリスちゃんの言い方からしたら、そんなに遠くへは行ってないと思うんだけどなぁ。シメオン圏内にいるはずなんだけど、さっぱりだわ」
 迷夢は独り言を言いながら、キョロキョロ。魔都と呼ばれたこの街ではフェンリルの魔力でさえ発見するのは容易ではない。それはマリスの魔力でさえこちら側から易々とは見付けられないことを意味しているのだが、魔力を頼りに探し物をする方としてはあまり嬉しくない。
 それでも、迷夢はめげずにリボンを捜していた。見付けなければ久須那に絞められそうだったし、何よりも半ばセレスの所有物と化したリボンを独り占めできる大チャンスなのだから。誰にも気兼ねしないで、リボンを突っつけるチャンスを棒に振る訳にはいかないのだ。
「お! いたいた」
 迷夢は瓦礫の隙間を覗き込んでいる白い塊を見付けて、大喜びをした。
「リボンちゃぁん」迷夢は着陸態勢に入りつつ、リボンに呼びかける。
 呼びかけられたリボンは予想さえしていなかったことにビクゥとして毛を逆立てて驚いていた。
「――? 迷夢か。――どうやってここまで……と言うか――。マリスは……、ぎゃぁっ!」
 迷夢はリボンの首を絞めんばかりの勢いで抱きついた。
「あ〜この肌触り、最高よねぇ。これは役得だと思うんだけど、結局、あたしが一番損な役回りなのよねぇ……。こんなとこまでわざわざ来てさ……。で、リボンちゃん。どうしたって?」
 ストと降り立ったものの迷夢はリボンの発言なんか聞ちゃいない。リボンは唖然としたが、迷夢がぶつぶつ言っているところを鑑みれば、自分を探してこいと久須那にでも命を受けたことは明白だ。ならば、苦戦を強いられているにせよ、まだどうにか持ちこたえていると言うことだ。
 相手は悪いが、心配するだけ野暮だろう。ならば、戦いにおいて切り札となりうる不死鳥の卵を見付けたことを迷夢に伝えなくては。リボンは抱きつく迷夢の耳元で囁いた。
「――お前のロミィが見付かった。……そこの瓦礫の下にある」
「ロミィが瓦礫の下ぁあ? あたしだって散々探して見付けられなかったのに、何でこんなところに? それにさぁあ? ここは地下墓地大回廊からはかなり遠いよ」
「……」リボンは意味ありげな鋭い眼差しで迷夢を見上げた。「お前はあそこからどうやって脱出したんだ? パーミネイトトランスファーか? それとも目覚めた時、お空の下か?」
「う〜ん。それがよく覚えていないのよねぇ」迷夢は腕を組んで首を捻った。
「まぁ、何でもいいが。……迷夢をそこから運び出したやつがそいつも運び出した……と思う」
「そうしたら、そいつがキミが封じ込めたマリスを解放しちゃったのね? 間違って」
 リボンは迷夢の瞳を見詰めたままぐうの音も出せなくなった。リボンもそこまでは考えていなかったのだ。もし、マリスが自力で脱出をしたのではなければ、一体誰が脱出させたのかが問題だ。自分たちに敵意を持つものなのか、無関係なのか。それとも、ただの偶然だったのだろうか。
「そんなしけた面はしないのよ。僅かに握った幸運も逃げていっちゃうぞぉ。今更、誰がどうでも関係ないじゃん? あたしはここに居るし、不死鳥の卵も見付かった。マリスが還ってきたのは大きなミステイクだったとしてもね。でも、リボンちゃんがど〜しても気になるんだって言うなら、きっと……サスケ……だと思うよ? 彼くらいしか、心当たりはないから。孤独、じゃあなかったけれど、あたしを救ってくれるような物好きなのは彼しかいない」
「親父どのか……」呟くようにリボンは言う。
「正確には親父どのじゃないけどね。ま、それも今となっちゃぁ、細かいこと。過去をぐだぐだ言うより目の前の問題を片付けないと」
「そうだけどな」いつもは自分から話題がそれていく迷夢に正しいことを言われて、リボンは面食らった。「――まぁ、あれだ、迷夢、お前は不死鳥の卵をこっちに移送できるか?」
「う〜ん? まぁ、そんなこと、あたしにかかれば楽勝よ」
 迷夢が楽勝と言うからといって、本当に楽勝とは限らない。迷夢は自分の手に負えないようなことでもでハッタリをかます。どんな難解な事項にぶち当たろうとも、ケラケラと笑いながら軽く出来ると言うだろう。リボンはマジな顔つきをして、迷夢をじっと見詰めた。
「……何よ。ジィッと見詰めたって何も出ないわよ……」
「出してもらわなきゃ困るだろ、卵を。あれがもしマリスの手の上で孵ったらどうする。マリスがあの存在に気付く前に手中に収めてしまわないと……」
「案外、気が付いてるのかもね」抑揚のない声で、迷夢は言う。それは核心を突いているのかもしれなかった。「だから、リボンちゃんをここに送り込んだ。……持ってきて欲しいんじゃない?」
「――考えたくはないが、その可能性はあるな……。迷夢ならこの卵、どうする?」
「あたしなら、持ってく。あれは不確定要素だから、持って行けば何かが起きるよ」
「じゃ、早くしろ」
「もう、持ってる」迷夢は後ろに回していた手を前に出して、ニンと笑った。
 迷夢の右手には卵が乗っていた。瓦礫の底から卵を移動させるなんて、雑作もないことだ。心の中でリボンに気取られることなく呪文を唱え、実行したのだ。
「……人が悪い。ま、いいさ。みんなところまで、こっそり連れ戻してくれ」
「もちろん、その為に来たのよ」迷夢は我が意を得たりとニッコリと微笑んだ。

 久須那とマリスは対峙していた。迷夢がいなくなってから二人とも見合ったままだ。マリスは漆黒のノックスの剣を垂らし、久須那はイグニスの弓を構えることなく持っていた。或いは今なら、地上に残る誰かがマリスの隙をつけるかもしれない。けれど、一人としてマリスに手を挙げるものはなかった。
 立てた作戦を実行に移さなければならない。
 デュレを筆頭にして、六芒星布陣を完成に持っていく。逆召喚を経てマリスを異界に追い返すのが最も現実的な対処法なのだと結論に達していた。真っ向からぶつかっていてはこちらに勝ち目はない。ずるをしてもきっと勝てないだろうから、変則的に勝利ではない勝利を求めねばならない。
(久須那さん――)
 デュレはクッと唇を結んで、遙か上空で対峙する二人を見上げ、行動に移った。
 一方、久須那とマリスはピクリとも動いていなかった。互いに隙を見いだせない。マリスは歴然とした魔力差から力業で久須那を押し切ってしまうことも出来たが、敢えてそうしようとはしなかった。力業では美しくない。それは戦いの中に求めるマリス流の美学なのかもしれない。
 ならば、強者の余裕を見せつければいい。マリスはフッと悪辣に笑みを漏らし、力を抜いた。
 例え、それが罠だとしても久須那には乗る他ないだろうとマリスは考えた。この好機を逃してはいつ次の好機が来るか判らない。久須那は手のひらに吹き出る汗を気にしつつも、イグニスの弓を引き上げた。狙いはこれなんだろう? と意志を視線に乗せてマリスを睨み付けた。
(――やはり、乗るしかないか……)
 どうにかして、マリスの裏をかきたい。しかし、容易ではない。久須那が裏をかいたつもりになっても、マリスの方が絶えず一枚上手を行く。それはかつてリテール協会で仲間だった頃から判っていることだ。最も敵にしたくない相手と二度までの戦いは最悪の極みだ。
(裏の裏は表……)
 久須那は変に策略を巡らせるのはよした。下手に考えるより、ストレートに行動した方がいいだろう。考えすぎることで行動速度が落ちるなら、それこそ無意味だ。マリスとの戦いを生きて乗り切るためには反射並みの反応速度が要求されることも多々ある。
 久須那は矢をつがえた。イグニスの矢はいつもより数段洗練され、青白く光り輝いている。
 久須那は警戒しながら矢を放ち、らに矢を連射した。これならば、隙にはならないだろうし、マリスも動きにくいはずだ。マリスに攻撃させないためには自分自身が攻撃し続けるしかない。が、どこまで持続できるかは判らない。
「バカの一つ覚えのようだ」嘲りと蔑みの声色。
 マリスは剣を振り、矢をなぎ払う。それこそが久須那の欲しい瞬間だった。恐らく、わざと作った隙の中にも本当の隙が生まれる。久須那は尚も矢を射続けた。マリスも惑うことなく矢を叩き斬る。常人には不可能なこともマリスの動体視力と動作速度を持ってすれば可能となる。
 久須那は矢を射つつ間を詰めた。マリスの意識が防御に向いているうちに次に移る。
 久須那はマリスの目前に迫り、弓を剣へと変化させるとマリスに切っ先を向けた。その頃には二人の位置は弓の間合いではなく、剣の間合いになっていた。久須那は最後の矢がマリスに弾かれる前に斬りかかった。マリスを倒せるチャンスはそう何度もない。
 ギャリィ。耳障りな音が激しく響いた。
「――甘いな……」
 キン。マリスは軽く久須那の剣をあしらった。けれど、久須那は諦めるどころか、さらに果敢に挑み掛かった。マリスがそう言っているうちはまだチャンスだ。本気になりつつも、心のどこかでは本気にはなりきっていない。
“つけ込め”久須那の心の声は絶えず言い続ける。
“間合いをあけられたらほぼ確実に遠距離魔法攻撃が来る”さらに繋がる。
“そうなれば、防御をできこそすれ、攻勢に転じるのは非常に難しい”
 だからこそ、久須那はマリスが及び腰のうちに攻撃を減じられるような痛手を与えたかった。
 青白く輝くイグニスの剣と漆黒の炎をまとったノックスの剣が互いの存在の全てを賭けて幾度も鬩ぎ合った。魔力差は埋めようがないが、剣の技は多少どうにかなる。剣は不得意の部類にはいるとはいえ、久須那もそれなりの修練は積んでいるからだ。
「意外にしぶといな、貴様」
 マリスがフと悪辣な笑みを浮かべた。危険だ。直感的に久須那は理解した。自分への影響を度外視して、何かを仕掛けてくるのに違いない。この至近距離ではシールドを使うのも難しく、多少の自己犠牲を厭わずにやられたらアウトだ。
(目覚めよ、光の瞳。その美しき光玉の彼方よりあまたの次元を駆け抜ける……)
 久須那は自身の立てた作戦を破棄し、一気に後退した。マリスが使う魔法の魔力を逆に利用する方策に出る。久須那の魔力が小さくてどうにもならないなら、他人の魔力を奪い利用するイレギュラーな手段も有効だ。マリスはそうとも知らずに攻勢に出た。
「真実の道しるべを我が前に現せっ! 開け! クラッシュアイズ」
 マリスの突き出された右手に、白く描かれた小さな瞳が浮かび上がる。それに蓄積される光の度合いが高まると閃光が走り、幾重にも重なる白い光線がほとばしった。
「――スプールシールドっ」
 白く不透明なシールドが二人の関係を引き裂くかのように立ち上がった。
 上手くやれば、ためた魔力をマリスへのお返しに使えるかもしれない。唯一の問題点は久須那が転換魔法実行に十分なスキルを持ち合わせているかどうかだ。エルフくらいの魔法使いならどうと言うこともないのだが、マリスのような天使の膨大な魔力を魔法に変えた時どうなるか予想も付かない。迷夢は切り抜けたことがあるが、やはり、久須那と比べると格が違う。迷夢が成功したからと言って、自分が成功できる保証はない。しかも、スプールシールドに長時間魔力を保持することはシールド自体の崩壊を招き、魔力の放出共に自滅することとも直結していた。
(……これ以上は……無理だ……)
 マリスの魔力に耐えきれず、シールドが崩壊する前に久須那は魔法を放とうとした。スプールシールドが崩壊しては自分自身がその魔力の餌食になることは避けられない。久須那は歯を食いしばった。まだ止まらないマリスの“クラッシュアイズ”を避け、短い呪文を唱える。
「転換、――光の雫よ、弾け飛べ!」
 久須那は左腕を攻撃対象に向け、手のひらを開いた。その瞬間はまるで周囲から“光”が集まってくるように見えていた。光を充填し、発射準備しているかのように。
「スプラッシュフォトン!」語気に力を込め、最後の一言を放った。
 次の瞬間、光の雫……マーブルのように見える光の塊が溢れ出た。そのマーブルのエッジはとても鋭利になっていて触れるものの全てを切り裂ける。いわば、光の刃なのだ。そのスプラッシュフォトンに久須那自身の魔力だけでなくマリスのそれも相乗されているから大きな破壊力が期待できる。だが、その魔法もマリスの持っている全魔力を越えられないならブロックされる公算もまた大きい。
「シールドアップッ!」
 スプラッシュフォトンがマリスに到達するゼロコンマ数秒の間に透明なシールドを立ち上げた。
 魔力が鬩ぎ合う。スプラッシュフォトンの多くがマリスのシールドに呑まれる中、久須那はシールドが守る領域から外れたフォトンの軌道をマリスの後ろをとるように修正した。フォトンは急旋回し、完全にマリスの背後に回ろうとしていた。
 しかし、マリスは視界の隅でシールドにかからなかったフォトンの行方を追っていた。
「甘いぞ、久須那」
 マリスは半身を翻し、前面にのみ集中していたシールドを二分割し、後方にも回した。回り込ませたフォトンもマリスの魔力に裏打ちされたシールドの前では為す術もない。どんなものでも切り裂けるはずのエッジもシールドに当たれば、小さな波紋を幾重にも残し吸い込まれていく。マリスの魔力が久須那の放ったスプラッシュフォトンより上回っているのだ。
 だが、久須那にとってのチャンスはまだ終わらない。一つのシールドを二分割したと言うことは一枚に割かれる魔力が半減したともとれる。久須那はそこにつけ込む判断を下した。
「スパークショット」
 指先から魔力の弾丸を射出する。でも、それだけでは限界がある。久須那は剣に変じた弓を元の形態に戻し、二段階目の攻撃に移った。マリスに攻撃に移る暇を与えずに連続攻撃をする。自分自身がやられないためにはそれしかない。出来るだけ時間を稼ぎ、マリスの戦意を少しでも削ぎ、できるならばこの不毛な争いを終わらせたい。
「わたしに――攻撃をさせないつもりかぁっ!」
“だが、そんなことは無理だろう”とマリスの自信ありげな表情は物語っている。
 マリスはシールドを維持しつつ、剣を斜に構えた。このまま、久須那を叩き潰す。マリスはシールドを維持しつつ、スパークショットを蹴散らして久須那に迫った。
「小賢しい、小娘め!」
 マリスは久須那に斬りかかった。一気に片を付ける。剣技の実力差はほとんどない。ほぼ互角と言っても過言はない。そうなれば、一瞬の剣さばき、判断、魔力差が勝敗を分ける。
 ギィイイィィィィィン!
 久須那は弓を一組の刃に変幻させた。二本の短剣をクロスさせ、一撃を受け止める。
「な……?」
 マリスは久須那の弓が二本の短剣に変化するとは思いも寄らなかったのか、期せずに引いた。
「知らなかったのか?」
「いいや、貴様がそんな高度な技を使えるとは思っていなかったのでなっ」
 マリスは一瞬、ぐっと剣を押しつけ、その反動を使い飛び退いて、距離を開いた。再び、睨み合いが始まりそうな雰囲気だったが、久須那は待たなかった。マリスが体勢を完全に整える前に攻勢に転じる。地上で行動する別働隊のために時間稼ぎは必要不可欠だったが、ここで睨み合っては膠着状態が長引くだけだ。そもそもマリスを倒せたら、時間稼ぎの必要がなくなる。
 二本の剣を逆手に構え、久須那は仕掛けた。マリスの虚を突くことが最も効果的だろう。
 青白い輝きをその身に宿したイグニスの短剣はマリスの喉元を狙っていた。再び、明らかな敵対意志を持った二組の瞳が激しく火花を散らしている。久須那は下手から右手を振り上げる。マリスは一瞥をくれただけでその意図をとり、身を捻りかわそうとした。次の瞬間、久須那は左方向から払うように顔面を斬りつけた。
「!」
 避けきれない。短剣の切っ先がマリスの頬を掠め、血飛沫が飛んだ。
 マリスは震える手でその場所に触れた。指先が滑る。何かの液体が流れた場所は熱かった。マリスは恐る恐る指先を見た。間違いない。それは迷夢との戦いでも許さなかった……。
「――血。……貴様――。迷夢にさえ許さなかったのだが……」
「眠りすぎて、衰えたんじゃないのか?」
「かもしれない。だが、今ので完全に目が覚めた。――失敗したな、久須那」
 最後の一言が久須那の耳に張り付いてしばらく離れなかった。

 迷夢はリボンを抱っこして超低空でシメオン遺跡を飛行していた。
「……キミさ。少し、ダイエットした方がいいんじゃない? マジで重い……」
「これでも、フェンリルとしては軽い方だぜ」
「ウッソ〜、これでぇ? ワイン樽二つ分はありそうな重さなのにぃ」
「それは失礼だろ? お前。いくら迷夢でも言いすぎは許さないぞ」
「あははっ。悪気はないんだから、細かいことは気にしないのよ……と、戻って来れたわね」
 リボンと迷夢の見る限り、地上メンバーの作戦はあまり進行していないようだ。どこに誰を配置するかを決定しきる前にマリスが現れてしまったせいもあって、要領よく事が運べないらしい。
「あ〜あ〜、もう。手際が悪いんだから」苛立ちを募らせて迷夢は言った。
「ひぃっ!」突然の声にデュレは飛び上がって驚いた。恐る恐る振り向いてい見ると、迷夢が立っていた。「迷夢さん……。どこに行っていたんですか?」
「あぁ、細かいことは気にしなくていいから。セレスはどこ?」
「なぁに?」デュレの後ろのあたりでセレスの間の抜けた声がした。
「まだ、こんなところにいた? そりゃいいけど、キミに預かって欲しいものがあるの」迷夢はポケットに無理に押し込んでいた“不死鳥の卵”取り出した。「これよ……。初めはデュレに渡そうと思ってたんだけど、予定変更。セレス、不死鳥の卵はキミが抱いていなさい」
 迷夢は不死鳥の卵をデュレの目前でかざした後、セレスの手に乗せ握らせた。
「……あの、……不死鳥の卵って何ですか……?」非常に言いにくそうにセレスは言う。
「マジ?」迷夢は眉間にしわを寄せ、呆れた眼差しをセレスに向けた。
「あはは……」頭をポリポリ。「マジ……」
「キミ、話を聞いてなかったの?」迷夢はセレスの胸ぐらを掴まえてわなわなと震えだした。この一大事に信じられない。「キミに色々と説教をたれるだけ無駄なんだろうけどねぇ」
「あの、迷夢さん。セレスにそんな大事なものを預けても大丈夫なんですか?」
「その点については大して心配はしてない。問題はキミがこの子になんて名前を付けるかなのよ。ロミィ。絶対にロミィ以外の名前は許さないんだからね!」
「いぇ、そんな、名前のことは特にその、ロミィで構いませんけど」
 セレスは渡された不死鳥の卵をまだ弄んでいた。短パンにシャツの姿をしていては手以外に卵を持っていられる場所がない。短パンのポケットに入れたらよいのだが、潰してしまっては困る。
「ウェストポーチにでもしまっておきなさい。鬱陶しい」
「でも、ウェストポーチはパンパンで、入らないから……」
「何、子供みたいなことを言ってるんですか! ポーチの中身なんか捨てちゃいなさい。どうせ、大したものは入ってないんでしょ。もし、あったとしても不死鳥の卵、ロミィを入れるくらいのスペースは作れるでしょう? 孵ったら大変だけど……」
「ま、ともかく、ロミィは頼んだわよ、セレス。割ったり、マリスに奪われないようにね」
 迷夢はセレスの肩をポンと叩いてニヤリとした。
「さて、魔法陣制作を始めるわよ。久須那が頑張ってくれているうちに完成させる。これを逃したら次のチャンスなんてない。一人でも欠けたらもう、お終いよ。じゃ、早速。真北を真上に魔法陣を作るわよ。真北がデュレ。真南にセレス……とウィズかな? 北西にリボンちゃん。南東にサム。そして、あたしが南西に入る。北東には久須那は無理だからシルトに入ってもらうしかないわね。それで一応、魔力的な均衡を形作れると思う」
「は〜い」セレスは挙手をした。「何であたしだけウィズと一緒なの?」
「それはキミが魔力はあるのにまともに魔法を使えないからよ。ウィズは魔力なさ過ぎ。あたしたちに比べての話だけどね。それでも、セレスに比べたら魔法の扱いは上手そうじゃない? だから、セレスの魔力とウィズの技術を足してようやく一人前よ」
「そうですか……」
 セレスはがっくりしたかのように呟いた。体力勝負、弓の技術では誰にも負けない自信があるけど、魔法となると、魔力の大きさだけは保証つきだが、哀しいかな技術となるとお話にもならない。
「何でもいいから、早く散って。正確な位置はあたしが指示するから」
 迷夢は右足を振り上げてみんなを蹴飛ばす振りをして、それぞれの場所に散らした。

(……これは……もしかして、時間稼ぎか……?)
 どこか煮え切らないような久須那の雰囲気が気になった。確かに互いに本気ではある。だが、久須那は時折、何かを心配しているような微かな気配をマリスに感じさせる。
 マリスは目玉だけで他のメンバーを追い掛けた。全員が束になってもマリスに敵わないだろう。だが、逃亡を選択しない以上は何か大きなことをしかけてくるのに違いない。最もあり得そうなのは多人数を使った集団魔法になるだろうが、未経験者には限りなく不可能な技術だ。
「何をそんなに気にしている? 私を消すのだろう。他のことはそれからでも十分だ」
 視界のど真ん中に久須那が立ち現れた。
「……邪魔だ……。消えろ」
 マリスの目がギンと怪しく輝いた。無論、消えろと言われたからと久須那は消える訳にはいかない。久須那とマリスは対峙し、どちらも譲らない。しかし、マリスの方が精神面でも力の面でも圧倒的な優位になっていた。その為に久須那は焦りを僅かに感じていた。
(せめて、魔力を半減させられたら……)
 挑発して魔法を連発させて、消耗させてみようかとも思うが、挑発は迷夢の十八番で久須那自身は大の不得意ときてる。方策は限られているが何とかするしかない。
「……いつまでも、邪魔をするなら、……望み通りにこの傷の代償を支払ってもらおう」
「もう、マリスの思い通りにはならないんだ。お前こそ諦めて、ここから立ち去れ」
「――そうか、残念だ」マリスは一旦、引き下がりそうな素振りを見せたが、実際の行動は正反対のものだった。一気に片を付けに来たのだ。「スパークルスピア!」
 光子で構成された槍がマリスの目前に現れた。その槍は術者が直接手を触れなくても意のままに動かせる。マリスは躊躇うことなく久須那に向け槍を投げつけた。
「! シールド」
 久須那が叫ぶと、透明なガラス板のようなシールドが立ち上がった。ギィィイン。槍がシールドにぶち当たり弾けた瞬間、マリスは待ち受けていたかの如く次のアクションに移った。連続魔法。
「天空に住まう光の意志よ。我が左腕に宿り、全てを滅する破壊のパワーを体現せよ」
 マリスは不敵にニヤリとした。これで終わりにするつもりなのだ。
「――光弾!」
 青白い光弾がマリスからほとばしった。これを通常のシールドで防ぎきるのは不可能に近い。上手に光の弾丸を逸らせない限り、消耗するのは防御側が格段に早い。逃げてみたところで、マリスは執拗に攻撃を仕掛けてくるのは間違いない。マリスは久須那を見逃すつもりはないのだから。
「くっ!」久須那は唇を結んだ。そして。「ミラーシールド」
 虚空に一筋の光が走り、翼を広げるかのように鏡状のシールドが展開した。入射角を三十度ほどに設定し、マリスの攻撃を受け流した。しかし、それだけでは終わらない。
「……なかなかだ。だが、これはどうかな?」
 マリスはフッと鼻で笑って、光弾の出力を上げた。光の筋は太くなり、圧力も増す。徐々にミラーシールドで反射させ続けることも難しくなっていた。ミラーシールドも光の圧力にひしゃげだし、百パーセントの反射率も怪しくなってきた。
「しぶといな。だが、お終いだ。光の雫よ、弾け飛べ。スプラッシュフォトン!」
 ダブルマジック。天使ほどの魔力とスキルがあれば二つの魔法を同時に使いこなすことも可能となる。スプラッシュフォトンのマーブル状の刃が乱れ飛びミラーシールドに次々突き刺さった。その為にシールドの強度が低下し、鏡面としたの機能も失っていく。その状況に追い打ちをかけるかのように光弾が襲いかかる。もはや、シールドの崩壊も時間の問題だ。だが、そうなっては光弾とスプラッシュフォトンをまともに喰らう結果となり、久須那は蒸発してしまうだろう。
(……まだ、死ねない。負ける振りをするか……?)
 そうしたら、間違いなくマリスは攻撃をやめるだろう。しかし、その後でマリスが自分の狙い通りの行動をとってくれなければ、別働隊メンバーを窮地に立たせることになりかねない。さらに久須那は蒸発とは別のリスクをおわなければならない。負けた振りをすることはこの上空から地上まで墜落して見せなければならない。
 が、策を弄する必要はなかった。久須那は既に消耗しきり、マリスの魔法攻撃に耐えきれなかった。久須那はズタズタに引き裂かれたシールドと共に地上に向け、叩き落とされた。
「! くあっ!」
 翼を広げて、空中で体勢を整える余裕すらもなく久須那は落ちていく。致命傷になることはないだろうが、丸一日はまともに動けないだろう。まずはそれで十分だ。トドメは最後でもいい。
「ふん……。強情を張るからだ」マリスは軽蔑の眼差しを久須那に送った。「さて、……問題は残りの連中だな。まとめて消し飛ばすか、――何をするのか様子を見るか」
 マリスは慎重に考えた。幾度となく憂き目に遭ってきたとはいえ、ただまとめて殺すというのでは、ただ勝つというのではマリスのプライドが許さない。屈辱を与えなければ気が済まないのだ。マリスは決断した。残るリボンと迷夢に地獄を見せる。裏切りの代償を支払わせる。
 マリスは上空を飛行し、メンバーの行方を追った。
 転々と移動する彼らを見れば、何かをしようとしている意図があることは明白だ。しかし、その意図が読めない。意外にその意図とは逃亡なのかもしれないが、そんなことを考えるの時間の無駄だ。マリスは滑空して迷夢の前に降り立った。
「貴様ら、さっきから何をこそこそとやっている」
「久須那は!」迷夢が怒鳴った。
 マリスが目の前にいることよりも、久須那がいないことの方に意識がいった。
「久須那? あぁ、そんなのものいたような気がするな……。他愛もない」
 迷夢は激しい怒りのこもった眼差しをマリスへと向けた。久須那がやられた。久須那本人も迷夢もまさか勝てるとは思っていない。けれど、まだ早すぎる。そして、窮地に陥ったら直ぐさま救いを求めるはずだった。迷夢はギリリと歯を食いしばった。
「戦場に観覧席はないっ。貴様ら、まとめて地獄に落ちろっ」
 マリスは上空から深い憎悪の眼差しを向けていた。あの時のマリスとは違う。あの時、微かに感じられていた未練、甘さは一切排除されているかのようだった。ただ全ての感情を排し、戦うだけに特化したマシーンのよう。そこには恐怖を越えた何かがあった。
「地獄に落ちるのはキミだけで十分だ」
「ほざけ」マリスは右手を勢いよく突き出した。「光弾!」
 光弾は光魔法でも強力な破壊力を持つ魔法だ。スパークショットのような集中単発破壊型ではなく、広域持続型だ。かつて、レイヴンがアルケミスタを壊滅させたのも光弾だった。
「そうはいくもんか! スプールシールド!」
 迷夢の直前に白い不透明なシールドが立ち上がった。大きい。広がりを見せるマリスの魔法の全てをブロックするためには必要不可欠な大きさなのだろう。しかし、その分だけ厚さを犠牲にし、維持できる時間も格段に短くなってしまう。
 ズシン。マリスの魔法がシールドに当たり、その衝撃波が周囲に散る。
「くぁうっ!」期せずに悲鳴。
 どこまで魔法を止め、魔力をとどめておけるのか不安が残る。シメオンの魔力さえ閉じこめておけるスプールシールドだが、それには条件があった。ほぼ同質であり動きを見せないこと。ところが、天使やエルフ、人間の持つ魔力を直接吸収するとなると話は違ってくる。安定していない。それはスプールシールドにとり、致命的なことだった。
「デュレ、後は任せた。キミならきっと何とか出来る」
 迷夢はそれだけを言うと飛び立った。もはや、選択の余地はない。マリスとの直接対決、混戦をなくして異界に送り返すのことが最良の策だったのだが、それも叶うまい。となれば、こちら側に一体どれだけの被害が及ぶのか想像もつかなかった。
「そんな、迷夢さん! 人数が足りない」
「……セレスを単独にする。それしかないだろう」まだ近くにいたリボンが言った。
「でも、あの娘は魔力の制御もろくろく出来ないんです。もしものことがあったら」
 デュレは勢いよく振り返り、足下にいたリボンに視線を移した。
「それでも仕方がないだろう。ここでマリスに勝てなければ全員死ぬ」
 選べと言うのか。デュレはリボンを凍り付いたように見詰めた。リボンが命の選択を迫るような発言をするともにわかには信じられなかった。無論、一秒、二秒を争う危機的状況には魔法自体ではならないだろう。しかし、逆召喚で追い返す相手はあのマリスなのだ。当然、一筋縄で片付くはずもなく、魔法陣を維持し、魔法を発動し続けるためには強靱な精神が要求される。だから、一抹の不安がよぎるのは否めない。魔法も十分に使いこなせないセレスを単独配置にするのは多大な危険が伴うのではないかと。
「たまにはセレスを信用したらどうだ? デュレがあいつは出来ない、出来ないと思い込んでるだけで、実はとんでもなく凄いやつなのかも知れないぞ?」
「そ、そんなことあり得ません」デュレは即座に否定した。けれど、狼狽えたことは隠せない。
「ま、やらせてみようぜ。きっと、出来る」
 リボンはトタタと駆け出し、セレスとウィズのいる方角に向かった。