12の精霊核

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56. meimu vs. maris(迷夢 対 マリス)

 男が森の入口に姿を現したのはその日の昼下がりだった。姿勢は正しく、威厳に満ちており、瞳の奥底の煌めきはそのはげ頭のそれに劣らぬほどの深さを持っていた。
(……この森を訪ねる日がこようとは――)
 思いも寄らなかったと言うのが男の本音だった。精霊の住まう森として名高いエルフの森に足を運びドライアードを捜すことは一生ないと思っていた。それが変わった。協会の禁を破り、トウェルブクリスタルの謎を追うためにはドライアード・ジーゼの協力が必要なのだ。
 男はドライアードが出没すると噂の喫茶店を訪ねにエルフの森に来た。その店の名は“耳長亭”エルフの森を抜ける街道を利用するものは必ず立ち寄るという。何故なら、旅の疲れを癒してくれる不思議な飲み物を出してくれるからだと風の噂で男は聞いていた。
 男は耳長亭のドアを開いた。同時に呼び鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ。――わぉ」クリルカは男のつるつるの頭に釘付けになった。
「……? ジーゼさんはいるかな?」
「ジーゼ? 今日はここに居るよ。いっつもなら、森の奥にいるんだけど。おじさん、運がいいね」
 クリルカはくるりとカウンターの方を向くと、キッチンにいるジーゼを呼んだ。
「ねぇ、ジーゼ。頭のはげたおじさんがジーゼに会いたいって来てるよ」
 カウンターの向こうで、皿洗いをしていたジーゼは顔を上げて、びっくり驚いた。
「……そのはげ頭。もしかして、はげ爺……いえ、あ、そのジャンルーク学園長ですか?」
 ジャンルークは絶句した。誰が自分のことを“はげ爺”と呼んでいたのかすぐに判った。セレスに決まっている。しかし、森の精霊にまでそんな風に説明されているのでは堪らない。ジャンルークは服の裾を両手で引っ張って、複雑な表情をしてジーゼを見澄ました。
「その通りです。お初にお目にかかります。ジーゼさん」
「こちらこそ、初めまして。ジャンルークさん。――こちらへ」ジーゼはジャンルークを店の隅にあるテーブル席に誘った。「クリルカ……」
「は〜い。おじさん、珈琲がいい、紅茶がいい?」
 注文を尋ねるクリルカの視線は完全にジャンルークの頭に釘付けのまま。一生懸命に視線を向けまいとるするのだが、外そうとすればするほど、目はジャンルークのピカピカ頭に向いてしまう。ジャンルークはクリルカの視線を痛いほど感じながら、注文を言った。
「――アールグレイをホットで」
「りょ〜かいっ!」
 クリルカは左手をピッと額に当てて敬礼をしてみせると、早速キッチンに飛んでいって準備に取りかかった。一方、ジーゼはクリルカを見送ると、改めてジャンルークに向き直った。
「……さて、どのようなご用件ですか?」
 ジーゼはジャンルークの瞳をじっと見詰めた。

「解放! スプールシールド!」
 迷夢はスプールシールドの魔力を転換し他の魔法へ変えるのではなく、そのまま解放した。魔力を魔法としたら防御しやすいが、魔力のまま放出すると“圧力”を感じさせられる。その“圧力”を空中で受けたなら、反動を完全に防ぐことは出来ない。
「また……、姑息で古い手を使ってきたな……。サクション」
 マリスの目前の空間にぽっかりとした空隙が出来、魔力は全てその中に吸い込まれた。そこで、暫くの静寂が訪れた。マリスは攻撃しようとはしない。迷夢も同様の態度を取った。不穏である。その昔、時計塔で激突した二人に躊躇う理由などないはずなのに。
「――キミって意外に諦めが悪くて、執念深いわよね?」
 迷夢は口元を僅かに歪ませて、不敵にも言い放った。
「貴様も変わらないだろ。そんな姿になってもまだ、わたしに盾突くのだからな?」
「こんな状態になっても盾突いてるのはキミの方でしょ? あたしは違う。キミがしつこいから付き合ってあげてるだけ。感謝しなさい、マリス」
「ほざけ。二度と減らず口をたたけなくしてやる」
 その先は早かった。マリスは虚空から剣を取り出し、一気に詰めた。迷夢に考えるだけの時間も、防御する余裕も何も与えはしない。袈裟切りをお見舞いする。この憎たらしい物言いをする唇も、自らの信念に忠実な澄み渡った瞳も許せない。何より、千五百年前の背信行為。久須那が当時のマリスの行動に反対するのは判りきったことだった。しかし、迷夢のあれは――。
 ガキンっ! 迷夢のサーベルが受け止めた。
「見くびってもらっちゃぁ、困るのよね……。――本気出しな」
 迷夢は激しい眼差しでマリスを突き刺し、剣を払った。迷夢とて、やられるつもりは毛頭ない。この戦いが終わった時、地面に倒れているのはマリスにしてみせる。迷夢の瞳は悪辣に煌めいていた。とことんまでやるつもりだ。豪雨の時計塔で見せたあの瞳とは全く違う。これは時間稼ぎのための戦いであり、同時にそうではないのだ迷夢自身は感じていた。
 この戦いの結末が“マリス逆召喚”への足がかりとなる。
「いい啖呵をきりやがる」
 マリスは目を三角にして、迷夢に挑んだ。いや、挑んでいるのは迷夢だろうか。
 二人は互いに剣を押し合って、間合いを大きく広げた。ヴァーチュズとドミニオンズの魔力差を考えれば、迷夢は剣術で優位に、マリスは魔法で大きく優位に立てる。しかし、総合力で迷夢が圧倒的に不利な状況に置かれているのには変わりはない。
(――このままいくと……勝てないし……、引き分けにも持ち込めない……)
 何とか、自分の間合いに持ち込まなければ、勝ち目はない。いくら威勢のいいことを言ってみても、魔力差は埋めようがない。と言って、諦めるのは迷夢の性分ではない。フツーにやって勝つ見込みがないのなら、イジョーにやって勝算をアップさせればいいだけの話。迷夢はマリスに対しては強気に発言し、振る舞うことでマリスの精神的な優位を奪い去ろうと試みる。
「……来なさいよ。何を遠慮しているの?」
「遠慮などしていないさ。――遠慮しているのは……貴様だろう?」
「あらぁ……、自信をなくしたキミには何が残るのかしら? ……いいから、来なさいよッ!」
 威勢のいいことを言うものの、冷や汗ものだった。迷夢にとっては攻撃を誘うのはお手の物だし、ずっとそうやりからかい半分に相手を挑発、ほぼ百パーセントの勝利を収め続けてきた。けれど、相手がマリスとなると楽観的な展望を持つことは全く出来ない。
「ほう――、判った。貴様の望む通りにしてやろう」
 そこから、マリスの動きは疾風のようだった。躊躇いなく打って出た。当然そう来ると迷夢も読んでいたのだが、予想以上の決断の早さに僅かに戸惑ってしまった。それが反応の速度を遅らせ、反撃の狼煙をと考えた作戦をフイにしてしまう結果を導いた。
「く、あっ!」
 ギイイィィィイン。耳障りな音を立て二本の剣は激しく交差し、黒い炎をプロミネンスのように巻き上げた。十数センチの極至近距離で迷夢とマリスは激しく視線を戦わせた。目と目の戦い。どちらも引かない。引けば、運気を逃してしまいそうな予感さえする。
「――まだまだ、青いな。迷夢」さり気なく、蔑みの眼差しを迷夢に向ける。
「そりゃぁね。キミより少し年下だから。おばさまには適いませんわよ。楽勝で引き離してるのなんて、お肌の張りツヤくらいなものだけかしら?」
 既に嫌味だらけで、ついでに挑発していた。マリスも気にしなければいいと理性で判っていても、どうしてもむかっ腹がたってくる。マリスは左手を剣の柄から外して、迷夢の下腹に当てた。
「ブレイクショット!」カッと閃光が走った。
「っ!」迷夢の顔が引きつった。
 それをまともに喰らったら、下腹に大穴が空くのは避けられない。迷夢は咄嗟に体をかわし、マリスとの間に剣を割り込ませながら、飛び退こうとした。それでも間に合わないかもしれない。永遠のような一瞬。優雅とは程遠いが、ブレイクショットの挙動がコマ送りの動画のように事細かに観察できた。極限の精神状態は通常の数十倍の処理能力を発揮する。
 迷夢は出来る限りの魔力をサーベルに充填した。同種の魔力は互いに反発し合うことを利用し、身を守る。けれど、失敗したら、被害はより大きくなる。
「かあっ!」迷夢は弾き飛ばされた。
 迷夢はくるんと一回転して、地面に軟着陸を果たし、そのまま地面を蹴って飛び上がった。マリスに付けいる隙を与えない。守勢から攻勢へと立て直すのだ。これまでの迷夢の経験から言って、基本的にマリスは立ち上がりが遅い。と言っても、常人には付けいることさえ不可能な僅かな時間だ。けれど、自分ならばと迷夢は考える。
「喰らえっ!」
 迷夢は剣を引き上げて、逆袈裟切りを見舞おうとしていた。マリスは避けようともしない。太刀筋が読めれば、小さなフィジカルディフェンスを形成することで、雑作もなくブロックできる。ガキンっ。だが、迷夢の反撃はそれだけでは終わらない。ノックスのサーベルを二分し、逆方向から斬りつける。無論、マリスも目敏く迷夢の動きを読んだ。
 右下からの攻めはフィジカルディフェンス。左上からの攻撃は剣で対応する。すると、迷夢は胴が隙になってしまう。瞬間、迷夢の瞳が“そうはいくか”と言わんばかりに煌めかせた。
 攻撃手段は剣や魔法だけではない。迷夢はグッと唇を噛み締めてハイキックを放つ。万一、外せばそのまま、脳天にかかと落としを喰わせられる作戦に出た。マリスは仰け反りながらハイキックをかわす。だが、流石に余裕はないようだ。
(やっぱり――)
 迷夢は翼を軽く羽ばたかせて、距離を詰める。迷夢はマリスにかかと落としをきめる……はずだったのだが、マリスに足首を掴まれて逆さに吊り上げられてしまった。
「……可愛いなりをして、はしたないことをするものだな」
「何とでも好きに言えばいい。けれど、まだ、終わっちゃぁいないのよ」
 重力に従って捲れ上がるスカートを押さえながら言っても、いまいち決まらない。
「では、終わりにしよう」
 マリスは剣を迷夢の胸に突き立てようとした。絶体絶命。ウロボロスの腕輪に込められたサスケの魔力も既になく、サスケの力を借りて甦ることは不可能だ。そして、完全回復もままならなずお子ちゃまサイズの迷夢の現状では大怪我を負わされたら、それでお終いだ。
 迷夢は全身の力を込めて身体を左に振り、脇腹を掠めるあたりでギリギリで剣をかわした。
 その振り子の原理で戻ってきたところで、迷夢は上下逆さまのまま剣を握るマリスの手首を蹴った。無理な体勢のだけに威力はないが、剣を落とさせるには十分なショックは与えられた。しかし、ノックスの剣は魔力の塊である。霧散させて、再構築させればすぐにマリスの手に戻る。
 迷夢はマリスが僅かに怯んだ隙に、勢いに乗り顎を蹴飛ばした。これには流石のマリスも迷夢の足首を掴んだ手の力を緩めてしまう。その間に、迷夢は足首をするりと抜いて間合いを取った。
「――貴様ぁ――」
 マリスは痛む顎を押さえ、憎悪を込めた声で叫んだ。
「大した策もないままにあたしに勝とうなんて百年早いのよ! 開け、クラッシュアイズ!」
 今こそ、弛まない攻撃をすべき時だ。
 迷夢の左手にポウッと光が灯ったかと思うと、光がほとばしった。
「開け、クラッシュアイズっ!」一瞬、遅れてマリスもクラッシュアイズを放った。
 二つのクラッシュアイズがほとばしり、二人のほぼ中間地点で鬩ぎ合った。光が弾け、まるで火花のように激しく見える。僅かな気の緩みが死に直結する。このまま、魔力が枯れ果てるまで向き合い続けるか、それとも――。迷夢が動いた。
「スパークショット!」迷夢の指先から滑らかに光の弾丸がほとばしった。
 二つの魔法を同時に使うと負担が大きいが、やむを得ない。奇策を駆使して初めてマリスと互角になれるのだから。迷夢は額から汗を流し、歯を食いしばった。
「子供だましだ。シールドアップ」
 マリスはシールドをはるのと同時にクラッシュアイズを止めた。
 ビシィ! マリスの出した透明なシールドに弾痕が出来上がった。マリスのスパークショットはデュレのシールドを粉々に出来たというのに。マリスとデュレの魔力差と迷夢とマリスのそれを考えたら当然の結果だが、迷夢は微妙に納得がいかなかった。
「……たったそれだけか。頑張ったのにぁ」心底残念そうに迷夢は言った。「けど、終わらない。天空に住まう光の意志よ。我が左腕に宿り、全てを滅する破壊のパワーを体現せよ!」
 連続魔法。複数魔法の同時、時間差展開も考えたが、魔力総量が変わらない以上はマリスにたった一枚のシールドでもブロックされてしまう可能性が高い。それならば、タイミングを嫌な感じのランダムにとった方がマリスに少しでも傷を付ける可能性がちょっぴり増える。
「光弾っ! さあっ! 行っけぇ!」
 迷夢の左手には手のひらサイズの小さな魔法陣。そこから青白い弾丸が幾重にも発射された。
「ミラーシールド!」
 虚空を突き破り銀色のシールドが展開した。それにぶち当たると光弾は反射角ゼロで迷夢に向け戻っる奇跡を取った。マリスは自分の魔力をほとんど消耗することなく攻撃をしてきたのだ。消費魔力の大きな光弾を反射するだけのシールドを作るには非常に高度なスキルが要求される。
「ちっ! ――ミラーシールド」
 流石の迷夢も自分の光弾を喰らってはバカ丸出しで、冗談ではない。だから、迷夢は次の行動に出た。ミラーシールドを二基。迷夢は反射角を調整して、光弾の進路を再びマリスに向けた。
「……バカバカしい」
 マリスは相手をしていられないとばかりに、光弾を地面に向け反射させた。すると、大音響。瓦礫の山と地面を激しくえぐり、砂塵と石ころを巻き上げた。光弾が着弾した中心から、数百メートルの半径を持つクレーターのようなものが出来上がった。
「わおっ♪ やっぱ、あたしの魔法も捨てたもんじゃないのねぇ!」
 妙に感心したように迷夢は言った。マリス相手では子供だましに見えてしまっても、迷夢の魔法の破壊力は人間のそれを遙かに凌駕する。天使同士には大人しめの争いでも、人間にとっては激しいどころの騒ぎではない。命が幾つあっても足りない状況なのだ。
「詰まらんぞ。もっと、捻りのきいた技はないのかッ!」
 迷夢に代わり、マリスが挑発する。実際、天使同士の魔法対決となれば並大抵のことでは決着がつかない。強い攻撃力を持つ反面、大概の魔法を防御できるだけの魔力も備えているからだ。
「……捻りねぇ。捻るのは切り札だけと決めてるのよ。乞う、ご期待♪」
「何が『乞う、ご期待♪』だ。わたしをバカにするのもいい加減にしろ!」
「あら、あたしは畏敬の念を込めてるのよ。そこんとこ、忘れないで」迷夢は不敵にニヤリ。
「畏敬の念があるなら、大人しくしていて欲しいものだ……」
「そおかしら? ――スパークルアロー」
 迷夢は使える限りの魔力を使う。素振りも見せず、脈絡なく攻撃するのだ。
 放たれた言葉は魔力に転じ白く発光する光の矢に姿を変えた。その数は数百。迷夢の立ち位置から上空に放たれ、一秒とかからずにマリスのシールドの上方を越え、降り注いだ。
「やった??」一瞬、迷夢の声色が喜びに満ちた。が、現実は甘くはない。
 キンキンと乾いた音がしたかと思うと、あらぬ方向に矢が飛んでいった。マリスは迷夢に悟られずにいつの間にか上面にシールドを張り巡らせたのだろう。
「……ざ・ん・ね・ん……はぁ……」
 と疲れ切った声を出しても、戦意喪失はしていない。瞳の煌めきは未だ失われず、何とかマリスを追い詰めてやろうという気概に溢れていた。戦意の喪失は死を直接意味しているのだから、そう簡単に勝ちを譲る訳にはいかないし、失敗したからと打ちひしがれてもいられない。
「終わりだな」マリスのひどく冷たい声が響いた。
「終わらないわよ。そう簡単には終われないのよねぇ」
 半ば口癖のように迷夢は言う。
「さぁ、光の精霊、ウィル・オ・ザ・ウィスプ。あたしの味方をしてちょうだい。バニッシュ……」
 意味深な笑顔を残して、迷夢は消えた。今まで、マリスと迷夢の対峙していた空間にはマリスしかいなくなった。マリスは深呼吸をして、改めて辺りを見回した。バニッシュを使おうとも、どこかに迷夢の息遣いがあるはずだ。迷夢は逃げない、逃げられないことをマリスは承知していた。
 或いはこの隙を突いて、デュレたちの画策を完全に潰してしまうのがいいのか。が、それはマリスが直接ではないにしろ自分からこの戦いを降りることを意味してしまう。それはダメだ。少なくとも、迷夢にそう仕向けさせなければマリスのプライドが納得しない。
「……」マリスは何かの気配を感じ、鋭い眼差しを向けた。「そこだっ」
 マリスは思い切ってスパークショットを放ったが、何も起きなかった。スパークショットのような単発一方向の魔法では、いくら気配を掴んだとしても全方向どこにいるかはっきりとは特定できない相手には有効打とはなりえない。広範囲に、水平垂直方向全てにスキャンをかけられるような何かがなければ、迷夢を発見するのは容易ではない。
「――あまり気は進まないが、“走査”をかけるか……」
 かつてのシメオンで、エルフ狩りに使われていたあれだ。マリスならば必要な魔力は楽に供給できるから、あとはエルフではなく迷夢を見付けるために発する波長を変更するだけでいい。マリスはそっと目を閉じて、精神を集中させる。唇が微かに動くと、聞き取れない囁きが漏れた。それから、マリスの身体を中心にして光の円柱が湧き上がり、水平方向に広がっていった。
 しかし、何者にも反応はせず、光の輪は虚しく消えてた。
「……どこへ消えた……?」
 迷夢が自ら戦いを降りたとは考えにくいが、マリスは小さな焦りを感じた。まるで一人芝居だ。いない相手に向かって“走査”をしたり、魔法を放ったりするなんて恥ずかしい上に、虚しすぎる。
「――スパーク……」
「!」
 マリスはイヤな気配を感じて足元を見た。何かがいる。マリスは瞬間の判断で、その場から離れようとした。“スパーク〜”で始まる魔法なら、広範囲に影響が及ぶ魔法はない。だから、魔法が発射される場所の直線上から、僅かにでも移動できれば攻撃を回避できる可能性が高い。
「ショットっ!」
 最後の声が聞こえたかと思うと、白い弾丸がマリスの前髪をかすめた。
「ありゃりゃぁ? 折角、いい作戦だと思ったのになぁ。ダメか。キミもなかなかやるよね? け・れ・ど、――あんな面倒くさいことなんかしなくても良かったのに」
 走査は真下と真上が死角になりやすいことを迷夢は心得ていたのだ。しばらく、迷夢はマリスの下で佇んで、油断したところを狙うつもりでいた。実際に作戦の半分は成功。だが、結果はまるで伴わなかった。
「――時計塔の時は手加減していた訳か、結局」
「そりゃそうよ。倒せると思わせといて、子猫ちゃんたちから気を逸らせておく必要があったからね。でも、もう、その必要は全然ないでしょ。久須那も伸されちゃったし、キミに太刀打ちできるのはあたしだけ――。あたしがキミを倒す」
 迷夢は瞳に険しい輝きを湛えて、サーベルをピッとマリスに差し向けた。
「大した自信だな」
「当たり前。この二百年の間に修行を積んだんだから」
「その姿で……? 持久力には難がありそうだぞ?」マリスは眉一つ動かさない。
「それはどうかしら、体力には自信があるのよ、あたし」
「しかし、魔力と体力は直接は関係ない」マリスは迷夢を突き放すかのように冷たく言った。
「そうよ。けど、無関係じゃない。だから、キミはあたしには勝てない」
「わたしが貴様に勝てないはずはないっ!」
「そおかしら。実際にキミはあたしに勝利したことはないじゃない?」
 マリスは何も言えない。しかし、負けてもいない。迷夢は勝敗が決するのを巧みに避けているのは確かなことなのだ。だが、同時に避けさせているのもマリスなのだ。迷夢を逃がさなければ、今ここでこんな馬鹿げた戦いはしていないはずなのだ。
「――勝ちは一回あればいい」
「そおね、それには賛成よ。でも、勝つのはあ・た・しっ! 忘れないで」
 元気に意気揚々と言うも、すでに空元気のようなものだった。マリスには少しでもへばってきているところ感じられてはならない。見せてしまったら、一気に畳み込まれるのは確実。引き延ばし工作さえなければ、もっと楽に戦えるのに……。
「いいこと? あたしは迷夢なのよ。そこんとこ、お忘れなく」
「それは一度も忘れたことはない」
「あら、そぉお? マリスは絶対に忘れているわよ。策士・迷夢ってことを」
「策士と言うよりはむしろドジにしておきたいな。貴様は不死鳥の卵をここへ持ってきただろう?」
 マリスは不意に、全くの唐突に不死鳥の卵の話題を振った。戦いの最初にリボンを遠くへぶっ飛ばしたのには意図があった。マリスが地下墓地大回廊で見付けられなかった不死鳥の卵を探させるため。魔都と呼ばれ悪意に満ちたこのシメオンでは不死鳥の卵の発する魔力を頼りに探すのはかなり骨が折れる。その点、リボンであるならば、“予兆”と言った特殊な能力で見付けてくるのではと踏んだのだ。どちらにしても、迷夢たち、マリス共にあれがこの奇妙な決戦に於いて、キーになると読んでいた。だからこそ、探す方向で両陣営とも動いたのだ。
「あら、策士でドジだなんてマリスにしちゃぁ、随分と気の利いたことを言うじゃない」
 皮肉なたっぷりに迷夢は言う。
「そんなことはどうでもいい。卵をどこに隠した。わたしによこせ」
「イヤよ」迷夢は毅然とした態度を取る。「あれはキミのじゃない。キミにあれを持つ資格はない。キミは不死鳥の卵を持つことの……、不死鳥と接することのホントの意味を理解してない」
「理解ならしている。あれは覇王のみが持つことを許される卵だ。しかも、万里眼と不死鳥の卵が融合した逸品だぞ? あれはわたしにこそ相応しい」
「いいえ、キミには見合わない。あれは――セレスにこそ似合う」
「あの金髪の小娘か……。何故、そう思った?」
 険しい表情の中にも、好奇心が働いたことが見て取れた。
「そんなこと知ってどうするの〜?」迷夢は不敵にニヤリ。「あれがキミの持ち物だったからってキミご相性がいいとは限らない。玲於那の万里眼も混じっているから殊更よね。強力無比悪夢の不死鳥としてキミの相棒になるはずだったかもしれないそれは万里眼の影響を受けて、未来を見透かす心優しい不死鳥になる。ね? セレスにピッタリでしょ?」
「ピッタリかどうかは知らんが……面白い意見だ」
 マリスは肩を怒らせ、迷夢との距離をゆっくりと詰める。迷夢といるといつも調子が狂う。真剣勝負のただ中だろうと関係なく迷夢は喋り、マリスは集中力をかき乱される。無視するつもりでいようとも、迷夢の良く通る声はマリスの頭の中でガンガンと響くのだ。
「……だが、それ以上の解説は不要だ」
「残念だけど、そのようね……」
 全ての感情を排したような冷たいマリスの眼差しを受けとめて、迷夢は呟いた。

 それから、ジーゼとジャンルークは見つめ合ったまま、まるで止まってしまったかのようなゆっくりとした時が流れた。ジャンルークには言いたいことは決まっていた。問題は自分が発言しようとしている内容がドライアードの機嫌を損ねてしまわないかが心配なのだ。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありませんよ」
 ジャンルークは少しでも緊張を和らげようと紅茶を口元に運んだ。さて、どう切り出すか。単刀直入にズバッといくか、遠回しに目的の話題まで持っていくように仕向けるか。
「――トゥエルブクリスタルのことですか?」
 あくまでにこやかにジーゼは言った。しかし、その笑顔の裏には凛とした芯の強い女性のイメージが見て取れた。それにこの様子では策を弄すればどつぼにはまりそうだ。ジャンルークは前置きなしに核心に迫ることを決めた。
「――そうです」神妙な面持ちでジャンルークはジーゼを見澄ます。「ですが、その前に学園の生徒であるデュレと、セレスが伺っていると思うのですが、どちらに……?」
 とジャンルークが言うと、今度はジーゼが神妙な面持ちをした。
「……シメオンへ……」ジーゼは一旦言葉を切った。ジャンルークは思わず固唾をのだ。「天使・マリスと最後の決着をつけに……」
「天使・マリス……?」ジャンルークには馴染みのない名前だった。
「ええ、トゥエルブクリスタルの伝承に深く関わっている天使の名前です……」
 紐解いてはいけない伝説の謎。何故、リテール協会が長年に渡り、調査を禁じてきたのかその理由をちらりと垣間見たような気がした。テレネンセス魔法学園長に任じられて長いジャンルークでさえ、トゥエルブクリスタルの伝承について知ることのできる情報は極限られている。
「伝承に関わる天使の名……」ジャンルークは緊張に顔を強張らせた。
 深入りは危険かもしれない。小さな子供でさえ知っている教科書程度の内容しか知らない方がいいのかもしれない。ジーゼの語る伝承に触れてしまったら、後戻りできない何かに絡め取られてしまう予感がするのだ。ジャンルークは紅茶を手に取り、飲みながら何とか緊張を解きほぐそうとしたが、無駄な抵抗に終わった。
 もう、手を引くことは出来ない。協会に反旗を翻した以上、後戻りは許されない。
「――歴史に書き残されていたトゥエルブクリスタルの伝承は……」
「真実の一部を伝えているに過ぎません。あれには封じられた“残り半分の伝説”が存在してるのです」何とも重々しい。「知らない方が良かったのかもしれませんが……」
 今更、手遅れだ。デュレたちに触発され、既に魔法学園全体を巻き込んでいる。そして、何よりも、ジャンルーク自身の好奇心に火を灯してしまい、もはや消火は不可能だ。トゥエルブクリスタルの伝承はリテールに住むものならば、解きたい謎の一つだった。
「――詳細を教えていただけますかな……?」
「……ええ。でも、今は手短に――。詳細は全ての決着がついてからお話しします。それにきっと、わたしよりもこの伝承に詳しくなった娘たちがいますから……、二人に聞いてください」
 ジーゼはニッコリと微笑みながら、意味深長な言葉をさらりと言った。